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ドイツ人学者の娘

このバウレス滞在記では、町の人や様子に焦点を当ててきた。
帰国後日本にて、印象的な3人を日本で追記している。



11月になり、そろそろ雨季が訪れるはずだ。

「カカオはまだ熟さない?」そんな問いを、毎日マリアやエルマン、バウレスの住人に浴びせていたある日のこと。

「オサキー」
またマリアママが呼ぶ声がした。

すっかり自分の部屋となったホテルの一室から、声のする部屋へと向かう。

すると、なんとヴォルカーさんが来ていた。

「久しぶり〜、元気?」
そう軽く挨拶を交わすと、ヴォルカーさんは娘さんを紹介してくれた。
彼女は名をラウラと言った。

なんでもサンタクルスのドイツ人学校が、コロナの影響で休校になってしまったらしい。
安全のためか、都市部からこんな田舎までパパに同行するのだそうだ。


しかしヴォルカーさんは、「じゃ、後はよろしく」とマリアに言い残し、自身のボリビアの拠点であるトランキリダッド(カカオの森に囲まれた加工施設)へ戻って行った。

こうして、数日ラウラは僕らと共に生活することとなった。


彼女は年頃の女性らしく、ハンモックに寝そべっては携帯電話ばかりいじくっていたが、ドイツ人学者の娘らしく知的で心優しい面を覗かせていた。

ラウラの人柄がよく分かるエピソードがある。

昼間ラウラとタニサと3人で、バウレスの町を散歩していた。

ボリビアの田舎でよく見かける光景だが、出稼ぎ?“売り子”さんが、「新しい服が入荷したよ」そう僕に話しかけてきた。
僕は何度か見ていたので素通りした。

するとラウラは、
「ああいう時はノー、グラシアスって言うのよ。笑顔でね!」
そう教えてくれた。


ある日、バウレス周辺にある方牧牛を管理する牧場へ行ったときのこと。

エルマンが牛を所有しているため、僕はマリアに連れられエルマンと共に幾度か、その牧場へ行ったことがあった。

年頃のラウラには、さぞ退屈だろうと思っていたのだが、案の定「なぜ私たちはここに連れて来られたの?」とぼやいていた。

目の前の広大な森林を指差し、「植物ってさ、メッセージ物質を飛ばしてて、僕らと同じように会話してるって知ってる?」と話しかけみた。

「うん、知ってる」
ラウラは携帯電話をいじくりながら、そう答えた。
そりゃそうか、彼女のパパは農学者だ。

僕ならずっとハンモックでマリア達の用が終わるのを待っているだろう。
しかしエルマンが牧場主と仕事をしている間、ラウラは牧場主の子である幼い女の子と僕を誘い辺りを散策し始めた。

女の子と一緒にマンゴーを取っては皮を剥いてあげたり、3人で鶏を追いかけ回したりしていた。

退屈そうにしていても、僕がカメラを構えると決まって手を振ったり変顔をしたり、明るくポジティブなキャラを見せてくれた。

並んで柵の中にいる牛たちを眺めていたとき、言うことを聞かない牛が叩かれたり首に縄をつけられ引っ張られたりしている。

「あれはダメ、ストレスは良くない。かわいそう」
こちらに顔を背けながら、彼女はそう呟いた。


ある日の夜には、「マサキー」と呼び声が聞こえる。
なんでも自分のお気に入りのメキシコのソウルフードを見つけ、買ってきたから食べて欲しいと言うのだった。

またスコールの日には、マリアママのホテルにも強風で雨が舞い込み、食事はみな中断し撤収するのが恒例なのだが、ラウラは「すごいねー」と言いながらこちらを見てニコニコ顔だ。
僕はもともと土砂降りを面白がる性格だったので、「都会からやってきた綺麗で可愛い女の子が、ずいぶんワイルドだな」と感心しながら一緒にびしょ濡れになりながら朝食を食べた。


そうして数日が過ぎ、ヴォルカーさんが迎えにやって来た。

若者らしくSNSで連絡先を交換し、欧米人らしく軽くハグして彼女はサンタクルスへと戻って行った。

いつも明るくポジティブで優しいラウラには、正直脱帽であった。

見習うべき人となりを彼女は持ち合わせていた。
日本に帰国してからも、マリアママ同様にラウラもたまに連絡をくれる。

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