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【桃太郎】 第九話「満月と涙と……」

「いたい、いたいよう……!」
「こら! 観念せい!」
 エテ吉は盗人を取り押さえた。
 見るとそれは、五、六歳のまだあどけない子供……。
 桃太郎は、その額の瘤に目が留まった。
 なにやら、胸騒ぎがした。

 *  *  *
 
 鬼は、鬼ヶ島にいると言う。
 八丈島の南海に浮かぶ絶海の孤島……、そう噂されていた。
 さて、どうやって向かえば良いのか?
 
 桃太郎一行は、伊豆の下田を目指していた。
 以前、熊一が、青鬼に襲われた集落の話をしていたのだ。
 それが下田であった。
 ならば、そこに行けば、鬼ヶ島の手がかりがあるのではないか。奥多摩と異なり絶海を臨む下田は、八丈島にも近い。得られるものも多いはず。そんな一縷の望み託し、相模の海を左手に、南へ南へと進んでいた。

 やがて下田に着いた。
 夕暮れ時にはまだ早い。
「今日はこの辺りで、宿ろうや?」
 エテ吉は、荷物を大樹の根元に置いて言った。
「そうだな」
 今日は、夜明け前から歩きどおしであった。
 三人とも疲れ切っていた。
 早めに休んで疲れを取り、明日、早朝から聞き込みをする算段にした。
 桃太郎もどさっと座り込み、木立にもたれかかる。
 そして、空を舞う、雉を目で追いかけた。
 うつら、うつら、うつら……。

 ——キヨ……

 雉たちは、南海へ飛び去った。

 *  *  *

 二羽の雉は、つがいであった。
 キジ彦とキジ子、二人は、武蔵、相模を経て、伊豆の空を舞って物見をしていた。
「あなた、もうやめましょう。こんなこと……」
「そんなことを言っても、あの子たちはどうするんだ」
「だからと言って、ひと様のお子を……」
「もう言うな……」
 二羽の雉は風を捉えると、南海へ飛び去った。

 *  *  *

「待て!」
 桃太郎たちは盗人を追った。
 エテ吉の荷物、干し肉が盗まれたのだ。うとうとしていた隙を狙われた。
 盗人は、走る、走る……。
 ただ誤算があった。
 狙った相手が、熊をも倒す手練れであるということである。
 あっさり捕まってしまった。
「いたい、いたいよう……」

「申し訳ございません、うちの旅助が飛んだご迷惑を……」
 少年を捕縛して程なくすると、金助と名乗る初老の男が、桃太郎たちに詫びに来た。
 どこか、寂しげな影を引き摺る、そんな佇まいの人物であった。
 聞くと、下田で漁師をしており、今夜の宿を勧められた。
 渡りに船とはこのこと。
 野宿を決め込んでいた桃太郎一行は、金助宅へ一宿一飯の世話になることになった。

 小屋の囲炉裏を囲んで、夕餉を馳走になる。
 日はとっぷりと暮れていた。
 今朝、獲れた金目鯛の煮付けが、陰気な主人に代わって食卓を賑わす。
 桃太郎は頃合いを見て口を開いた。
「鬼について聞きたい」
 金助は、部屋の隅で寝息を立てている旅助の方を見やった。
「はい、青鬼と言いまして、十年前、ここ下田は襲われました」
 熊一の言っていたことと符合する。
「多くの人が喰われ、私の娘は……」
 旅助を凝視する金助。
「青鬼に連れ去られました」
 キヨと同じであった。
 桃太郎は、喉を鳴らすと更に問うた。
「なあ、主人。その子は一体……?」
「はい、片子(かたこ)と言いまして、鬼が人間のおなごに産ませた子にございます」
 金助によると、旅助の額の瘤は、やがて成人するとツノになるという。
 成人した片子は、人を喰らう。
 今日、旅助が、干し肉を見て我慢が効かなかったのは、この性だったのだ。
 片子は、生殖能力がなく、ただ生まれて、人を食らい、そして、死んでゆく。
「まさか……?!」
 やはり——、心の内とは裏腹な声が出た。
「はい、旅助は私の孫、私の娘の産んだ子にございます……」
 連れ去られた娘は、鬼に手篭めにされたのだ。
 桃太郎は、思わずその場で立ち上がった。
「落ち着け、桃。まだ、キヨがそうと決まったわけやない」
「そうです。時はまだある筈です」
 桃太郎は拳を握りしめる。
「鬼のやつ、絶対に退治してやる……」
 今度は、金助のほうが驚いた。
「ま、まさか、鬼ヶ島に行かれるのですか?」
「ああ」
「……実は、この旅助は、鬼ヶ島からやって来まして……」
 金助によると、二年前、旅助は八丈島の雉が引く船に乗せられて下田にやって来た。
 その少年の懐には、文(ふみ)があった。
 金助の娘で、旅助の母、タマからであった。
 ——鬼ヶ島にいるといつ何時、鬼に食われてしまうか分からない。雉が用意した船で、下田に向かわせるので、どうか、旅助を育ててやって欲しい……。
 そうしたためられていた。
「で、その雉っていうのは、八丈島でなにをやっとる奴らや」
 ——なんや、陰気なおっさんやのう……
 そんなことを思いながらエテ吉は言った。
「はい、雉たちは鬼ヶ島の荷役をさせられているようです」
 桃太郎は身を乗り出した。八丈島に行けば鬼ヶ島に辿り着ける。
「主人! 舟を借りたい!」
 桃太郎の瞳に宿る炎を、奥多摩の老夫婦と同じく、この下田の漁師も見てしまった。
「……いいでしょう。明朝、ご用意します」
 気押された金助はそう約束した。
 布団で寝返りを打った旅助が、寝言を漏らす。
 ——かあちゃん、かあちゃん……

 *  *  *

 この満月は、雲取山のそれと同じだろうか?
 キヨは、格子越しの満月を指でなぞった。
 新月の夜に集落が襲われて、ひとり鬼ヶ島に連れて来られた。
 奥多摩の家族たちは無事であろうか。
 ようやく落ち着いて考えを巡らすことができるようになって来た。
 鬼ヶ島の御殿……。
 その御殿の前に、露天の大広間があり、その広間を回廊が「コ」の字型に囲んでいた。
 キヨは、その回廊の二階に設けられた一室、いわば牢に囲われていた。
 殺風景な部屋は、窓が格子ではめ殺されているが、そこから逃げたところで、ここは絶海の孤島、どこに逃げよと言うのか。
 時々、タマと名乗る青ざめた女が、食事を運んでくる。二、三話をしたが、すぐに奥へ退散する。その様がキヨの鬱々とした胸を、より一層陰らせた。
 あれから青鬼は見かけていない……。

 ——行く末は、俺と……

 今となっては、なにを言っても詮無いことになってしまった。
 キヨは、満月から目を背け、さめざめと泣いた……

 *  *  *

 翌朝、桃太郎たちは、桟橋に係留されている舟に案内された。
 早速、荷物を積み込む。
 いざ、乗り込もうとすると桃太郎の陣羽織を掴む者がいる。
 旅助であった。
 その後ろには、金助が身なりを整えて立っている。金助が切り出す。
「舟はお貸しします。代わりにと言ってはなんですが、私たちも連れて行ってもらえませんか?」
「おっさん、なに言うとんねん! 鬼ヶ島やぞ! 爺さまと餓鬼を連れて行く余裕なんかないわい!」
 一喝するエテ吉。そこにシロがまあまあと、
「坊や、どうして鬼ヶ島に行きたいのかな?」小さい少年に尋ねる。
「……かあちゃんに、会いたい」
 涙を堪えて旅助は言った。黙っていた桃太郎が少年の頭を撫でて、
「かあちゃんのこと助けたいか?」
 と聞いた。黙って頷く旅助。
「よし、分かった。兄いちゃんたちが鬼をやっつけて母ちゃんに会わせてやる。旅助にも働いてもらうぞ」
 再び頷いた旅助は、桃太郎の膝にしがみついた。

 舟は、南海の波濤に乗り出した。
 声を合わせて、櫂をかく。
 荒波が何度も舟を洗い、乱暴にこの新参者を歓迎する。
 遠く八丈富士が、うっすらと噴煙を南海の空に滲ませていた。

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