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キャデラックスリムとエレファントカシマシ HOKURIKU TEENAGE BLUE 1980 Vol.5「孤独のメッセージ」「今宵の月のように」

■ キャデラックスリム「孤独のメッセージ」 作詞:葛西隆能 作曲:敦賀浩隆 編曲:キャデラックスリム 発売:1981年3月
■ エレファントカシマシ「今宵の月のように」 作詞:作曲:宮本浩次 編曲:宮本浩次、佐久間正英 発売:1997年7月30日

名曲『孤独のメッセージ』との出会い。

「今度の『コッキーポップ』の主題歌、すっげえカッコイイな!」

時は1981年3月。中2の3学期が終わっての春休み。普段は部活で観られない音楽番組『コッキ―ポップ』を、僕は久々に堪能していた。

同番組のオープニング曲(2~3か月ごとに変更される)は、数多くの大ヒット曲を生み出していた。

僕が中学に入学した79年には、円広志『夢想花』チャゲ&飛鳥『ひとり咲き』、翌80年は、クリスタルキング『大都会』雅夢『愛はかげろう』といった具合だ。

「この曲も大ヒット間違いなしやなあ」と僕はテレビの前で独りごちた。

スローで浮遊感のあるコーラスから始まり、突然、疾走感のあるアップテンポなギターサウンドが弾ける導入部。青春の焦燥感を映した歌詞。サビに向かって盛り上がると思いきや、最初のコーラス部(実はここがサビ)にテンポダウンして戻る構成の妙。

「何から何まで最高や!こんないい曲、聴いたことがない」

だが、待てど暮らせど、その曲『孤独のメッセージ』は「ザ・ベストテン」に顔を出すことはなく、友達に『孤独のメッセージ』やキャデラックスリムについて話をしても反応は薄い。「なんで?こんな名曲がヒットせんの?」中3なりに考えてみたが、答えが出ることはなかった。

そのうちに時は流れ、「コッキーポップ」のオープニングは、伊藤敏博『サヨナラ模様』へと変わった。この曲は50万枚近くを売り上げる大ヒットを記録。現役の国鉄職員(しかもお隣富山県での勤務)という異色の経歴に注目が集まったことを覚えている人も多いかもしれない。

キャデラックスリムの次のシングルについては、何も情報が流れてこなかった(ように感じた)。当時、FM誌を購読していたが、『孤独のメッセージ』以外に彼らの曲を見かけた記憶はない。あればたぶんエアチェックくらいはしていたはずだ。

「コッキ―ポップ」1981年3月オープニング

『孤独のメッセージ』がとまらない!

1984年、冬。「ザ・ベストテン」を眺めていた高校2年の僕は、杏里『悲しみがとまらない』を聴きながら、「なんかこの曲、聴き覚えがあるような」と首をかしげていた。Aメロが、何かの曲に似ている気がするのだ。

記憶を探るうちに思い当たった。「これって『孤独のメッセージ』だ!」と。

チェックできる方は、ぜひ聴き比べてほしい。以下の部分である。

夕暮れのラッシュアワー 誰一人身動きもできず 窓に映るきらめく街の灯り 疲れた俺の顔 『孤独のメッセージ』

あなたに彼女会わせたことを わたし今も悔やんでいる ふたりはシンパシィ感じてた 昼下がりのカフェテラス 『悲しみがとまらない』

僕は画面を眺めながら、キャデラックスリムのことを久々に思い出していた。

「彼らはどこでどうしているのだろう?まだ活動しているのだろうか?」

実際の彼らは、1983年に活動を終了し、この頃にはすでに解散していた。そのことを知るのは、ずっと後のことだ。メジャーでの活動期間は約2年。彼らは、シングル3枚とアルバム1枚を残したのみで、音楽シーンから足早に去っていってしまった。

2分頃、杏里によるキャデラックスリムの紹介。「今年最も気に入ってグループ」

『今宵の月のように』と『孤独のメッセージ』

時はさらに流れて1997年。僕はすでに30歳になっていた。

それは、エレファントカシマシが主題歌を担当したドラマ『月の輝く夜だから』を観ている時、ボーカル・宮本浩次の声が「夕暮れ過ぎて きらめく街の灯りは」と歌い出した時のことだった。

またも、それはやってきた。

「どこかで聴いたメロディーだなあ、なんだっけ?えーと、『悲しみがとまらない』か?いや…『孤独のメッセージ』だ!」

「悲しみがとまらない」と同じく、Aメロ部分が、かなり似ていると思った。しかも今度は、歌詞までも一部言葉が重なっている。

夕暮れのラッシュアワー 誰一人身動きもできず 窓に映るきらめく街の灯り 疲れた俺の顔 『孤独のメッセージ』

夕暮れ過ぎて きらめく街の灯りは 悲しい色に染まって消えた 君がいつかくれた 思い出のかけら集めて 真夏の夜空 ひとり見上げた 『今宵の月のように』


メロディーがどことなく似ているだけならいざ知らず、「夕暮れ」「きらめく街の灯り」など言葉まで共通している。『今宵の月のように』は『孤独のメッセージ』を、ある種下敷きにして作られたように思われた。そして、作者の宮本浩次は、そのことを隠そうともしていない、と。

僕は何もここで「盗作だ」「パクリだ」と主張したいわけではない。当たり前だが、『今宵の月のように』は独立した素晴らしい楽曲だ。

そして、この時、僕の胸には歓びに近い、何とも言えない感慨が沸き起こっていた。

心の同級生バンド、エレファントカシマシ 

エレファントカシマシは、THE東南西北に続いて出会った同世代(丙午世代)のバンドだった。

ジュンスカユニコーンなど80年代後半に活躍を始めたバンドのメンバー達の多くは1、2年学年が上だった。エレファントカシマシが登場した時、「ついに同世代のロック・バンドが現れたか」と感動した。

彼らのファースト・アルバムを、一時期「これしか聴いていない」と言ってもいいほど、僕は愛聴していた。忌野清志郎を思わせるアクの強い宮本のボーカルもハードなら、ひずんだギターを前面に出した演奏もハード。しかし、楽曲自体はとてもポップでとっつきやすいと思った。ポップな曲をハードに演奏する。それが彼らの魅力だと感じていた。

しかし、2枚目以降はポップさは段々と後退し、ハードさだけが前面に出るようになった。それは彼ら独自の音楽を突き詰めていった結果でもあり、今でもライブで頻繁に演奏される名曲をいくつも生み出しはしたが、難解さばかりが増していくようにも感じられ、個人的には少し寂しくもあった。

セールスは当然下がっていく。7枚目のアルバム『東京の空』を最後に、ついにレコード会社との契約が打ち切られた。時に1994年。普通なら、ここでバンドのキャリアが終わっていても不思議ではなかった。

しかし、彼らはこの逆境から這い上がっていく。レコード会社も所属事務所もない状態で、自分たちでライブハウスをブッキングし、地道にライブハウスを回り、新曲を作り続けた。ファンも音楽雑誌も、そんな彼らを変わらず支えた。

そして前作から2年後、新たに契約したレコード会社から、彼らの代表曲の一つとなる『悲しみの果て』などを収録した8枚目のアルバム『ココロに花を』で再デビューを果たす。セールスもよく、初のオリコントップ10入りを果たした。

翌97年、彼らが月9ドラマの主題歌を担当すると聞いた時は、しかし、さすがに驚いた。時はタイアップ全盛時代。確実にその一曲で、エレカシは大ブレイクを果たすだろう。ついにここまで来たかと思う一方で、「一体どんな曲で勝負をするのか?」と気になった。

彼らのキャリアでも最も重要な局面。最大のチャンスは最大のピンチでもある。ドラマの初回放送時、僕はテレビの前で正座する勢いで、画面を凝視した。

キャデラックスリムのメンバーは「今宵の月のように」を聴いただろうか?

エレファントカシマシのキャリアにおいて、この超重要な局面に『孤独のメッセージ』を持ってきた(と僕には思えた)ことに、僕は同世代的な共感を覚えていた。

もちろん、確証などないが、宮本浩次も僕と同じく14歳の春休みに「コッキ―ポップ」をみて『孤独のメッセージ』と出会ったのだろう。その時、彼が何を感じたのか、この曲を気に入ったのかいないのか、それは僕にはわからない。けれど、それは彼の記憶の奥に刻まれ、時を経て、彼のキャリアの重要な局面で突如、記憶の彼方から浮上し、あの曲を彼に作らせた。僕にはそんな風に思えた。

自分の大好きなバンドが、自分が昔大好きだった曲に、ある種オマージュを捧げている。僕にはそう感じられたのだから、胸が熱くならないはずがなかった。

そしてこの時も、キャデラックスリムのメンバー達のことを思った。

彼らは、『今宵の月のように』を聴いただろうか?

自身の楽曲に影響を受けたと思しきこの曲を、どんな風に感じたのだろう?

思えば1981年当時、彼らのようないわゆる本格派のロックバンドが、チャートの上位にあがってくることは、まだまだ少なかった。時代的に早すぎたのだ。しかし、彼らの楽曲を聴いて育った世代であるエレファントカシマシが、15年の時を経て、そのDNAを受け継いだような楽曲を大ヒットさせた。

そのことを、彼らはどう感じただろうか。報われた気持ちが少しでもあったろうか、それとも苦い思いがこみ上げてきたのだろうか、それとも…。

『今宵の月のように』は、80万枚以上を売り上げ、エレファントカシマシの最大のヒット曲となった。2017年、バンドとして初の紅白歌合戦に出場した時にも、演奏したのはやはりこの曲だった。

音楽は、時空を超えるメッセージ。

「なぜこの曲が、もしくはアーティストが売れなかったのだろう?」と不思議に思うことは、誰しも幾度か経験したことがあるだろう。

僕にとっては『孤独のメッセージ』とキャデラックスリムは、その象徴のような存在だった。

十分な実力がありながら報われることのなかった悲運の存在。

けれど、ユーチューブ時代になって感じるのは、『孤独のメッセージ』もキャデラックスリムも、まったく忘れられていない、ということだ。

ユーチューブを開けば、彼らの動画や音源がいくつもあげられている。そして、そのコメント欄をみると、僕と同じような思いが数多く書き込まれ続けている。たしかにチャートの上位に食い込むことはなかったかもしれない。けれど、『孤独のメッセージ』は、生半可なヒット曲よりははるかに多くの人々の記憶に残り続けているのがわかる。

そんな曲を1曲でも残すことができた彼らが、悲運の存在であるわけがない。

だから僕も、彼らをそんな風に思うのは、もうやめようと思う。

今回、この小文を書くにあたって、ネットを徘徊していた時に、メンバーの藤野敦志さんが2011年1月に逝去されていたことを、遅まきながら知った。

あらためて、すばらしい楽曲と演奏を残してくれたことに感謝するとともに、もしも叶うならば、1981年にキャデラックスリムが鳴らした音は、今もそのままに、この世界の空気を震わせ続けていることを伝えたい。

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