とある心にある物語 第三幕

「どうも、私は舞台俳優をしておりまして」その男はお酒を持ってとある家族の向かいに席を寄せた。常連だった彼は母と娘二人という組み合わせは珍しかった。「よければお芝居の参考にお話を聞いてもよろしいですか」「いいですよ。舞台俳優なんて出会う機会も滅多には無いですし」娘の方は気が強く、母の方はも物静かな印象があった。「おじさんとは大違いです」娘は笑いながら言った。「おじさん?」「旦那のことです。今日から持病で入院しているので密かにお酒を飲みに来ているのです」母も微笑して言う。「それは心配ですね」「その逆ですよ、清清してます。こんな夜が定期的に来てくれないかなと笑っていたところですよ」男は会釈を返す。印象を大きく覆すように、母は娘と高笑いをしながらジョッキに手をかける。夫の抑圧から解放される姿は太宰治の描くような生命力が滲み出ていた。夏特有の冷気が体を駆け抜ける、居酒屋は今日も騒がしかった。

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