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エッセイ:精神障害の人間を迷惑だと思える贅沢な幸せ。

 つくづく、精神障害者と健常者は分かり合えないんだな……と思うことがある。

 先日、精神障害の友人とクリニックに同行した。彼の場合、気圧の変化に敏感で、春になると突発的に暴れ出してしまうことがあり。毎年恒例のイベントになっていて、周りの被害が尋常じゃない。僕も包丁とハンマーで過去2回ほど殺されかけたことがある。

 今年もまあまあ病状が悪くて、一人でクリニックにも歩いて行けないので、一緒に診察室まで着いて行ったのですが、一生懸命医者が「暴れるな」とか、「社会のルール」的なことを話していたけど。

 彼に限らず、周囲が精神障害による感情の起伏を抑えようと説得しても、そもそも本人は手一杯になっていることの方が多い……と感じることが多々ある。

 「精神病、心の病」というと曖昧なものに感じ取られてしまうけど、実際のところ「生理反応」に近いんだろうし、脳内物質の伝達が上手くいかないという医学的な根拠があると思うのだ。

 例え話だけど、あなたの身体の一部がものすごく痛かったとして、周囲に気を遣えるでしょうか? 痛くて痛くて仕方ないのに「気合いが足りないからだ!」とか、「ルールを守れ!」と言われたとしたら、湧いてくるのは殺意と憎悪でしょう。

 医者が注意するのも、当事者の彼にとっては挑発や悪意に見えていたらしい。クリニック後の薬局では、かなり怒っていて宥めるのが大変だった。「アイツの目玉を抉り出して身体障害者にして俺の苦労をわからせてやりたい」と話していた。来年の春には本当に実行してしまうのかもしれない。

 健常者と精神障害者のやりとりを見てると、噛み合わないことが多過ぎて、ある種の不条理劇を見ている気分になってくる。

 そう考えると、苦しむ精神障害者に対して「迷惑なんだよ!」と怒れる人の方が幸せなのかもしれません。支援者の人には、そのことだけは覚えていて欲しいのです。

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