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私は多分、人生の傷が癒えていない、だからつぶやきで恨みがましい台詞がまだまだたくさん出るのだ

こんな時間に更新してますが、皆さん、心配しないで下さい。
持病(膠原病)の減薬の影響で日中が寝たきりに近いから、夕方から深夜が今の私のほぼ活動時間帯なので。

さあ、本題に行きましょうか。
最近の私はとにかく調子が出ない。
さっきも言ったが、日中はだるくて眠くてどうにも体が動かない。
もちろん、最低限の家事とか用事はこなしてますよ。
でもそういったことがなければ、ひたすら寝ているか起きているが横になっている。

こんな暮らしをしていると、やっぱり頭の中にどうでもいいことを思い出しがちだ。
変な悪夢も見るしね、その悪夢の中には、かつて自分をいじめた人や、意地悪な人ばかりがいた会社や、両親と私を絶縁にしてきた姉達が出てきたりするのだ。
明らかに、私の潜在意識では、自分の人生の傷が癒えてない。

コロナ回復時に、体の不調がだいぶなくなってきたので、思考のクリア感があった。
それは私の思考を停止させている感じでもあったが、余計なことを考えないで済む感じが心地良かった。
あ~、私の人生の傷はだいぶリセットされたのかもしれない。
そんな風に思えた。

しかしここへ来て、コロナ後遺症が復活してるような感じの、倦怠感が私を襲う。
この倦怠感のせいで頭が働かない。
記事が書きたくても書けないから、つぶやきにすることにした。
つぶやきにしてみてわかったこと、私は心の奥底に人生の傷への痛みを抱えているということだ。

その痛みは、過去、自分を辛い目にあわせた人達の記憶をよみがえらせる。
そして、私の心の声がつぶやきで見事に爆発する。
あ~、いやだ、なんだ、このドロドロした感情は。
これ、吐き出して良いのか?
吐き出された方は迷惑なんじゃないのか?
そんなことを考えたりしてしまう。

それでも、心に渦巻く、抱え切れない違和感のようなものを、やはり言葉に出したい欲求が生まれる。
そして気付いた。
私は、無自覚な人間が嫌いなのだと。
無自覚な人間は、平気で人を傷付ける、反省もしない、なぜならば無自覚だからだ。

無自覚な人間は、とにかく人のことを考えない、考えていることはいつも自分のことだ。
人や社会のことを気にしている素振りをしても、言葉と行動が一致してないから滑稽だ。
その最たる例が、残念ながら私の(毒親気質の)母である。

図々しいお願いを平気でしてくる。
相手の状況などお構いなしなのだ。
というか、相手の状況はそんなに大したことはなくて、自分の状況だけがいつも大したことを抱えていると、本気で信じている。

だから、親だから、高齢者だから、体が不自由だから、そんなことを正当理由にして、私を容赦なく使ってくるのだ。
しかし、そういう人間は親だけではない。
今までの人生で、知人や友人や会社の人や近所の人など、様々な所で遭遇してきている。

結局、人がいるところで生きている以上、自分にとって迷惑な人間と遭遇することを完全に避けることは不可能なのだ。
ならば、受け止め方を変えるか?かわし方を覚えるしかない。
は~、上級テクニックだよな~、こういうことが自然にできることが大人の証なのだろうが、まだまだ私は人生の未熟者、成熟には程遠いが、せめて半熟卵ぐらいにはなりたいと思うのであった。

なわけで、今日は記事を1つ書けちゃったよ。
そろそろ、回復か?(爆笑)



大好きなエマニュエル・べアールが出ている映画「8人の女たち」関連の動画3つ(^^♪


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