スキゾフレニアワールド 最終話「ねる」

「スキゾフレニアワールド。こんなのはどうかな?」
 戸田は一人詩作に悩んでいた。題名は決まった。今や作品の数は五万を超える。六十余年の生涯は障害者施設での共生だったが不思議と悔いは無かった。あれからプロの詩人となり詩集も数冊子会社から生まれ、其れ相応の人生を歩んでいた。若年から変わらぬ不敵な笑みで新米の支援員に話し掛ける。
「兄ちゃん! 何か良いアイデア無いか?」
 その支援員は身を乗り出して言う。
「その題名良いですね! 僕の母も精神障害者なんですよ! 今じゃ元気ピンピンですけどね」
「若くてエネルギーの有る小僧だな! その若さくれ!」
 施設は今日も平和だ。

「春は元気でやってるか? 輝」
「隣街のグループホームで働いてるよ」
「涼子ちゃんに無理させちゃ駄目よ。統合失調症に完治なんて無いんだから」
「言われなくとも分かってるよ、母さん」
 実家に里帰りした輝は両親達と寛いでいる。薬局事務の仕事も二十年余。壊れたパソコンを直す羽目に成って居た。
「諦めて修理屋に出すかな」
 父が溜息交じりに言う。その癖は息子と瓜二つだ。
「輝。頼りにしてるわよ」
「分かってるって。あ、直ったっ!」
 電源は点いたみたいだ。小倉家は今日も大安だった。

「ママって病気なの?」
「ねる。知らなかったの?」
 私は二人目の子供の娘・ねると会話している。有る昼下がりの事だ。幼稚園から帰って来たねるは不思議そうに私を見て言った。
「なんでパパと結婚したの?」
「大人に成れば解るわよ」
 穏やかな時が続く。今頃あいつは実家でこき使われているに違い無い。良い気味だ。ねるは何時の間にか昼寝をしてしまった。お兄ちゃんとは違いマイペースで自由家だ。それでも私達同じ血液型なんだけど。
「……AB型なのにね」
 私は独り言を呟いて見た。
 色々な事が有った。色々な事が起きた。でも人が人を愛し合うのは何ら変わらない。其れで良いんだ。私はそう想って夜御飯の支度に取り掛かった。
「御免! 遅くなった。両親とも機械に疎くて参るぜ」
「ご苦労様! 手を洗ったらカレー作り手伝う」
「はいはい」
 何時もと何ら変わらない光景。長閑な日常。

 此の街で私は生れ育った。此の街で恋に落ちた。此の街で愛を育んだ。其れもまた心のアルバムに加わってゆく。新しいページはどんな色に染まるのか。其の瞬間を只、祈って居る。私は障害者だ。夫が一枚の手帳を拾った日から私達の関係は始まった。其れからなんてあっという間。人生は恐ろしや。何時の間にかねるは言った。此の子また不思議な事を。
「ねえママ。……今幸せ?」
「教えない」
 其の気紛れな風が何を運んで来るか分からない。でも、良いんだ。ねるに私は問い返した。
「貴方は幸せ? ねる」
「うんっ!」
 其の笑顔は眩しくて私のコップから溢れそうだった。……其処に他意は有るかって? 答えはー。





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