スキゾフレニアワールド 第三十六話「太陽」

「戸田智裕? 知らね」
「障害者界隈じゃ有名なのよ。大型新人だって」
 僕は涼子と何時も通りLINE通話をしていた。仕事も終って晩御飯と風呂を済まして何気無い日常の一ページの一コマを心の底から愉しんでいる。涼子のマイブームは詩集らしい。詩集ねえ。イマイチピンと来ない僕に涼子は立て続けに喋り散らす。
「スマホやSNSも良いけど言葉の原点に立ち戻ってアナログな趣味に目覚めるのも良いと思うの」
「ふーん」
「詩って複雑で一見すると少ない言葉数だけど、其処には無限の智慧を恵んでくれるものなのよ」
「ふーん」
「聞いてる?」
「其の詩人も障害者なのか?」
「専門家が言う事に間違いは無いわ」
 作品の中に当事者同士、心の通じる物が何か有るのかも。それが涼子にとってプラスに働けば尚良いのだが。僕はその名前を頭の片隅に入れて記憶の保管庫に仕舞い込んだ。戸田智裕。日本といえど世界は広い。障害者の詩人等金銭目的で無い事など一目瞭然だが、物好きも居る者だと呑気に感心していた僕に涼子が質問する。
「貴方は仕事上何か悩んでいる事は無いの?」
 僕は即答する。
「マニュアルなんて熟せば良いだけだ。其処に感情なんて持ち合わす事がナンセンスなんだ」
 涼子が可愛い声で言う。
「はいはい。私が悪う御座いました」
「明日も早いんだろ? 切るぞ」
「そうだね。じゃあ……」
 お休みの言葉を同時に言った僕達はやはり以心伝心していると自覚し合うのだった。こうして今日も一日が終る。僕は涼子と会話出来る事に心から感謝して寝床に入る。此の穏やかで愛する日々が永遠に続けば良い、そう考えているのは彼女も同じだろう。僕は其れを切に祈った。明日はどんな言葉を交わそうか。僕は其の大切な胸の中の柔らかく温かな気持ちを何時迄も絶やさず抱き締めていた。気付けば意識は眠りに着いた。

 朝。快活に目覚めて涼子からのLINEを確認する。一件発見。
「お早う。今日もガンバロー」
 何て面白味に欠ける文体だ。説教だ。僕は其の旨を伝えると顔を洗い朝食を済ませ制服に着替え自転車に駆り出した。
「行って来まーす!」
「いってらっしゃーい!」
 お母さんが負けじと言い放つ。東の青空に日の光が照り射す朝の空気が気持ち良くて僕は風に揺られながら初秋の匂いを粉団に感じていた。快い。自転車のペダルは周りの景色に合わせて進み行き街を七色に染め上げる。色鮮やかな視界が姿を変え平和な暖色に心のパレットを上書きする。僕のキャンバスは此処からどんな色に変わるのだろう。カラフルな毎日はその一言を只待っていた。僕は全てを察して元気に挨拶した。
「お早う御座いますっ!」
 今日も仕事が始まった。

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