スキゾフレニアワールド 第十三話「過去」

「長濱さん。サックス音量チェックして」
「卒業式は来週よ。気を抜かないでね!」
 私はあっという間の高校生活の三年間を吹奏楽部で過ごした事を誇りに感じて居る。掛け替えの無い宝物に出逢えた事。何より今までの人生を健康に過ごせた事。長濱彩夏という極平凡な女子高生は此の場所で光を放ち輝いている。私は友達に恵まれた。この月日から卒業するという事は実に感慨深く込み上げて来る気持ちが沢山有る。サックスに思いを込めて顧問の玉井先生の指揮棒を見つめながらそう思い演奏していた。もうすぐこの毎日も終わる。終わってしまう。周りを見れば気心の知れたクラスメイトと後輩。音楽に囲まれた私の学生生活は多幸感で胸が熱くなっていた。
 いつも通り部活帰り、友人と他愛の無い会話をして自宅へ帰る。そんな些細な卑小な時間こそが有意義で有ると気付いたのも遅すぎる結末となった。私の青春は終わる。このピリオドに遺憾は全く無い。この滾る気持ちを押さえ付けたくなど無かった。その時だった。
「よう」
 小倉。友達と別れ一人に成ったとの見計らったのか……。家まで十分の距離。こいつが故意に私に近づくとも思えない。私は此の胸の高ぶりを他人に邪魔されたくないだけで有った。
「何か用? 帰宅部は暇なのね」
「雨宮の事だが……」
「どうしたの? 支援学校に行ったんでしょ。彼女」
「俺に謝ってくれ」
「何を?」
「解ってる筈だぜ」
「……」
 私の記憶で雨宮という女は見事に消去されていた。其れ位誰だって分かっている。あの女は蚊帳の外だ。何故今頃名が挙がるのか。私は理解に苦しんだ。其れでも最期ぐらい大団円で終わりたかった。精一杯の気遣いで彼女の心情を察したつもりだった。
「そうね。あの子には色々と酷い事を言ったわね」
「謝れ」
「御免なさい。これで良い?」
 無常とも呼べる空気が一陣の風を巻き起こした。何の変哲の無い街角にピリリと痛い感覚が蘇る。
「ああ。此れで俺の気が済んだ」
 小倉は続けて言う。
「終いだ。もう二度と話す事はねえ」
「待ちなさいよ」
「あ?」
「あんたに用は無くても私には有るのよ。彼女は今幸せなの? 此丈確認させて」
「お前が知る必要ねえんだバーカ」
 彼は消えた。ふわりと現れて気紛れに成った。彼もまた私の人生の一ページに加わってゆく。私は此の生命の歯車を止める事は出来ない。風は只通り過ぎるだけ。彼への餞の言葉なんて思い浮かばなかった。いや、彼女への一言とでも呼ぼうか。私は私の世界を変える事は到底敵わなかった。

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