なぜ?空は青いのか? なぜ?海は塩っぱいのか? なぜ?心は痛いのか? なぜ?人は死ぬのか? なぜ?なぜ?なぜ……? 幼い頃の応えづらい疑問符は立ちどころに潰されて、それはそういうものだと言い聞かせられた。 それを飲み込める子、それを聞き分けられる子がいい子だった。 それが大人にとって都合のいい子だった。(と大人になって思い知るなんて皮肉なことだと思った。) (周りの大人だけでなく、友人なども含めて)顔色を伺い、空気を読んで、言われたことをしっかりとやる。それが正しいことで
これで今日3度目の散歩。健康志向で歩いているわけではないと分かる頻度。なんにもやる気が起きなくて、でも、家にいてはダメだと思い、あてもなく歩いている。歩きながら聞いている音楽にも色はなく、単調に聞こえる。定期的にくるメンタル不調に絶賛やられている際中である。定期的にくるので、そのときどんな気持ちだったのか思い出せるように綴ってみようと思う。こういうコンセプトだったし、たしか。 もちろんそんな悠長なことをしている時間はないし、やらなきゃいけないこと、やりたいこと、やってみたい
友人でいてくれてありがとう。 先日、1年ぶりぐらいの地元の友人とファミレスに行った。小学校とか幼稚園来からの友人で腐れ縁である。前々から「いつか飯いこうね」って具合に声をかけていたのだが、それぞれの予定や学生と社会人という違いも重なって、ことごとく予定が合わずじまいだった。しかし、「今夜空いてる?」と急にラインが来て急に決まった。地元だなぁと思った。 時間が近くなり、若干緊張をしている自分がいることに驚いた。昔であればありえないことなのだが、時の流れが人をこうさせるのかとち
ふらっと居酒屋に入った。 ふらっとは嘘だ。前々から大衆居酒屋やって物に興味があったから、今日こそはと意気込んで入った。自分はまだ生まれてきて20とちょっとで、酒の味も知り始めたばかりの新参者だが、このアットホームな雰囲気はなんか心地がいいように感じた。懐かしさというものは流石にないが、それでも、いい雰囲気だなくらいは分かる。 自分が座った席は角席で正面が一面にメニューの並ぶ壁だったから、大衆居酒屋の知らない人とでもいつの間にか仲良なってたみたいな本領発揮!みたいなことは起こら
人間関係はいつも難しいと思ってしまう。 特に属しているグループが多ければ多いほど、関わらなければならない人もどうしても多くなる。みんなうわべだけの関係だ。まぁそれでもいいと思っていた。どこかに所属していれば、何かしらの活動があり、誰かしらと関わっていることができる。ひとりじゃないと自分をごまかすことができる。虚しさを、悲しさを、紛らわすことができた。でも、最近やりたいこと、やらなきゃいけないことが多くなり、今まで(都合の)良かった関係が煩わしくなっている自分がいることに気が
最近、「書きたい」という欲求が強くなったっていることに気がついた。なぜだか理由を考えてみたが、これではないかと思う経験がひとつあることを思い出した。 自分は学生という身分であり、専門職につくために勉学に励むものである。そのため、実習がありとても大変だった。その中で、「思考し続けることが大切である」ということを学んだ。それ以来、自分の中で意識的にか、無意識的にはわからないが、なぜ?と思ったことに対して考えてみるようになった。そのせい、そのおかげか、色々と自分の中である事柄に対し