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他人の失敗を喜ぶのが人間の本性

今回は、中野信子さんとヤマザキマリさんの著書
「生贄探し」について紹介します。
脳科学者である中野信子さんが、人間とはこういうものであると
解説してくれていて、とても勉強になりました。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、
嫉妬や妬みなど負の感情を持っているのが人間の本能です。
このように言うと、「私は他人の不幸を喜ぶような
卑しい人間ではない」という反論があるかもしれません。

しかし、人間が妬みの感情を持っているからといって、
それは悪い心ではないようです。
人類が進化する過程では、他人との生存競争のために
食べ物や異性を奪い合ってきました。
そして結果的には、他人の不幸が自分の幸福に繋がり、
子孫を残すことができる可能性が高まるため、他者を妬み、
他者の不幸を喜ぶことが必要でした。

このような経緯から、妬みは否定するものではなかったのですが、
現代社会を生きる私たちにとっても、この感情がしばしば
争いの元となっているようです。

本の内容を通して、人間の本性を学んでいきましょう。



なぜ人は他人の目を気にするのか?

人間は実に不思議です。
一人ひとりの考えを聞けば、さほど良識が無いとは
思えないのに、集団になると、それだけで凶暴になる。

異なる内面、異質な外見を持った者を排除しようと、
執拗に何年も叩き続ける。
体内に取り込まれた異物を排泄するかの如く、
集団は異質なものをどうにか排除しようと足掻く。
誰のコントロールも受け付けず、問答無用で異物を排除しようと

いつも生贄を探している。


自らを正義であると思い込んでしまった途端に、
人はどんなに残虐なことでも、あまり心を痛めずに
行うことができるようになります。
歴史的には、もっとも残酷なかたちで、この人間の心理が
顕在化した時期がありました。
その1つの例が「魔女狩り」です。

ドイツを中心に、ヨーロッパにおける魔女狩りが
猛威を振るったのは16世紀~17世紀にかけてです。
悪魔に仕え、呪術で人々にさまざまな害悪を及ぼす
魔女ではないかと疑われる人物に対して、
制裁を加えるなどの迫害が行われていました。

社会不安に対する生贄として、魔女と疑われた無実の人々は、
民衆によって裁判にかけられ、殺されていったのです。

キリスト教ではその当時、魔女を殺すことは正義だと
認められていたので、自身を正義の側に置いて、
自分が救われるには魔女を裁かなければならないという
考えが広まり、魔女を裁くことが神の意思に沿うことで
あると信じました。

人間には、集団にとって都合の悪い個体を見つけ出し、
排除しようとする思考が備わっています。
知恵を持つ人間ならば、これを過激化させず、共存共栄の道を
探すこともできるはずだと思うかもしれませんが、
人間の脳は数百年前からほとんど変化していません。

魔女狩りの裁判が収束したのは、
上層部の意識が変わったからでした。


民衆からの告発が減ったわけではなく、民衆は依然として
異質なものを排除するために告発を続けていたのです。
ただ、それが裁判で受理されなくなってしまった、
それだけのことでした。
そして現代の私たちの心の中にも、依然として
異質なものを排除しようとしていた民衆のように、
正義中毒の火種がくすぶり続けています。

残念なことですが、人間は他人が失敗したり
不幸な出来事に会った時に、思わず湧き上がってしまう
喜びの感情を持っています。
これをドイツ由来の学術用語でシャーデン・フロイデと言い、
シャーデンは「損害」、フロイデは「喜び」という意味で、
他人の損害を喜ぶ感情のことを指しています。
シャーデン・フロイデが集団内で発生したとき、
異質な他人を排除する方向に動きます。
同調圧力が働き、異質な他人を魔女として排除した当時の
民衆の精神状態が目に浮かぶようです。


誰でも、集団による排除の対象になってしまう可能性はあるし、
あなたの心の中にも異なる考えの人とは相容れない
「自分の信じる正義」があるはずです。
愚かなことに人間の脳は、他人に正義の制裁を加えることに
喜びを感じるようにできています。
匿名によるネット上での叩きは、まさにその表れではないでしょうか。


あなたにも、このように感じた経験があるはずです。

自分が苦しい状況の中、一生懸命頑張っているのに、
楽して得をしている人を見ると何だかモヤっとしてしまう・・・・

なぜ自分はこんなに苦労しているのに、あいつだけ
いい思いをしているんだ?腑に落ちない・・・・

働きもせず、のんきに暮らしている人を見ただけで
イライラが抑えられない・・・・


実はこういったネガティブな心の働きも、人間という
生物の、ごく自然で健康な機能の一つなのです。
当てはまるからと言って、慌てて綺麗ごとで塗り固めたり、
自分を卑下する必要は全くありません。

とはいえ、自分が思わず得をした時などには、
誰かがこのことを知ったときに自分も他人から
妬まれるのではないかと心配になってしまうのも
人間の性(さが)でしょう。


そして、嫉妬や妬みの対象は配偶者、家族、友人など、
むしろ近くにいる存在のほうが、不公平感や不平等な
関係を意識させる可能性が高いようです。

誰かが得をしていると気に入らないのは、
人間が何かと比較しないと幸福を感じられないという
脳の性質を持っているためでもあります。
決して、あなたの性格が悪いわけではなく、人間というのは
自分の基準よりも他者との比較を優先しやすいということです。
誰とも比べることができず、自分に自信が持てないという人は、
案外高収入の人に多かったりします。
私たちはそれほど自分自身の基準を持てない
悲しい生き物でもあるのです。

自分ではない誰かが出世したり、収入が増えたりすることで
不幸を感じてしまう地獄は、自分の収入が増えたところで
終わるものではありません。
「他人の不幸は蜜の味」などと言いますが、
逆に人間は、誰かと一緒に幸せになるということを
苦手とする、不思議な脳を持っています。

こういった脳の性質は克服できるものなのでしょうか?


同僚の収入が増えると、自分の収入が同じ額だけ減ったような
気がして、ネガティブな感情を味わうという研究があります。
自分の収入は変わらないのに、誰かが得をしていることを知ると、
自分が損をしているような認知が生じてしまうのです。

コロナ禍では、事業者救済のためにさまざまな施策が
とられましたが、これらの動きに対して
不満の声が上がりました。
行政による救済措置では誰も損をしていないにも関わらず、
恩恵を得るのは飲食店や旅行業者など、一部の業種に
限られていたということから、利権政治ではないかという
批判があったのです。

国民全体が得をすることに異を唱える人はいないでしょう。
しかし、自分は恩恵を得られないのに、誰か一部の人だけが
得をしているのは許すことができません。
つまり、 恩恵を得られないということで自分が損したと
感じる人が数多く存在しているのです。

人が満足をするのは、自分も得をしたと実感する
何かを得られた時です。

そのときようやく、他人を攻撃することを止め、
穏やかな心で誰かの不幸をともに嘆き、
誰かの幸せを心から喜ぶことができるのです。

日本人は他国の人よりも顕著に「スパイト行動」を
してしまうという報告があります。
スパイト行動とは、相手の得を許さないという
振る舞いのことです。

この日本人特有の、誰かが得するのを許さないという
精神は、どちらも得をするという win-win へ
結びつかなくしてしまいます。
また、興味深いのは、私が損をしているのだから
お前も損をすべきだという考え方が生じることで、
win-win よりも lose-lose を好む
考えを持っているということです。

足を引っ張りあい、誰の得も許さない。
一人だけ抜け駆けしようとするやつは、
皆で袋叩きにするのだ。


日本にいまだによくある根性論や、美徳を振りかざして
他者を追い詰める行為も、スパイト行動の一種です。
これは今では、パワハラ、モラハラと言われてしまう
ものですが、若い人がおいしい思いをしているのが許せず、
足を引っ張り邪魔しようとする大人がたくさんいるのです。

成長に全く寄与していないにも関わらず、「自分たちはこんなに
苦労してきたのだから、お前たちももっと苦労すべきだ」
などと考え、理不尽な論理でねじ伏せようとしてきます。

足を引っ張られず、悠々と実力をつけたいと願うのであれば、
スパイト行動をとる人が多い環境をなるべく選ばないように
することです。

そしてもし、現在あなたが置かれている環境に
スパイト行動をとる人が多いのであれば、その人達には
「この人は私とは違う、もはやこの人は私の手の届かない
特別な能力を持った人だ」と思ってもらう必要があります。

出る杭は打たれてしまいますが、出過ぎた杭は打たれないのです。

相手の妬みを憧れに変え、自分を生贄にするよりも
生かして仲良くする方が得だと思わせられるようになるまで、
自分を磨きぬかねばなりません。

そうして自身を作り上げていった人たちが多数派になると、
日本という国も変わっていくのではないでしょうか。


本編は以上になります。

ブラック企業とか、パワハラ上司という言葉が聞かれるように
なって久しいですが、過労自殺というのは決して見過ごせません。
本編中には「スパイト行動」というのが紹介されていましたが、
間接的に仲間を死に追いやるブラック職場の存在は、
足を引っ張り邪魔するという生易しいものではなく、
人間社会の深い闇です。



 2015年に電通の新入社員が過労自殺した事件がきっかけとなり、
過労死が広く社会問題として認識され、厚生労働省を中心に
過労死を無くすための取り組みが進められてきました。

しかし、その後も若い命が失われてしまう痛ましい事件は
なくなっていません。

 2019年には、「東芝デジタルソリューション」に勤務していた
システムエンジニアの男性(当時30歳)が過労自殺しています。
(2020年12月に労災認定)
この男性の残業時間も100時間を超えていました。


このような事件は、ネットで検索すればいくらでも出てきますが、
過労自殺をいろいろと調べていくと、
「長時間労働、休日労働、深夜労働」などの過重労働による
肉体的負荷に加え、納期の切迫やトラブルの発生などからくる
精神的なストレスも重なっているようです。

また、過労自殺した人が残す遺書には、必ずと言っていいほど
謝罪の言葉が残されていると、ある弁護士の指摘がありました。

「もう何もやる気の出ない状況です。会社の人々には
大変な心配、迷惑をかけている」

「すいません。何も感じない人だったら、
このようなことはしなかったと思います」

「なさけないけどもうダメだ・・・、ごめんなさい」

彼らを苦しめているのは職場なのに・・・・、
なんと悲しい言葉なのでしょうか。


長時間労働は過労自殺の引き金になります。
ただ、それ以外の要因、精神を病むようなストレスの
影響が大きいので「長時間労働だけ」を規制しても
過労自殺の撲滅にはつながりません。
過労自殺する人の多くはうつ傾向や、うつ病などの
精神障害を発症しています。

新国立競技場の建設工事の現場監督だった男性社員(当時23歳)が、
2017年3月に失踪し、遺体で発見された事件がありました。
男性のひと月の残業時間は200時間を超え、
ほぼ1日拘束(例:朝7時に出勤、翌日朝8時に退勤)が3回、
休日は5日だけ、という過酷なものでした。
友人に「もたない、やめたい」などと話していたそうです。

また、自殺した現場には、「突然このような形をとってしまい
申し訳ございません。身も心も限界な私はこのような結果しか
思い浮かびませんでした」
と書いたメモも見つかっています。



重い責任、過重なノルマ、達成困難な目標設定などにより
精神的に追いつめられ、長時間労働で肉体的にも極限状態に
追い込まれる・・・・

過去10年で10倍も増えた過労自殺(未遂者も含める)を
無くすには、「長時間労働」に加え、「職場のストレス軽減」も
必要です。

労働基準監督署に相談に行ったら、「労災にはならない」と
言われることがあるようですが、簡単に諦めるべきでは
ないようです。
労災が認められるかどうかは、即答できるような
ものではなく、労基署には申請を受理する義務があるので、
申請をして、しっかりと調べてもらいましょう。


 また、2021年9月には「脳・心臓疾患の労災認定基準」が
改定され、労働時間が一定の基準(いわゆる過労死ライン)を
上回っていなくても、不規則な勤務や深夜勤務といった
「労働時間以外の負荷要因」を合わせて考慮し、
労災として認定するか否かの判断をするようになっています。
従来と比べて柔軟な判断がなされる可能性がありますので、
無理だと決めつけずに申請をすることが大切です。











ホームページ
https://yakuzen330941662.wordpress.com/

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