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星神楽 61 夏草や我の生誕光あれ


 意識が戻ったとき、僕はとうとう、十五歳になっていた。
 長く続いた梅雨も明け、空は光に満ち、まだ、雨の匂いが草叢には残っていた。
 もう、露草が荒れた庭に繁茂していた。

 野薊も、その葉裏に七色の雫に燦然と輝き、晴れ渡った空に向かって、遠慮もしないで咲いていた。
 まだ、梅雨の気分を抜け切れていない。
 空に憧れるように身を委ねていた。
 土手には大振りの山百合や鬼百合が咲き誇っている。
 夏草が表舞台に立った、庭で僕はその強い光の花束を見ながら思う。

「伯父さん?」
 振り返ると伯父さんが無表情のまま、砂利の上に立っていた。
「辰一君、具合は大丈夫か。ずっと、寝込んでいたんだよ。あれから」
 何日も寝ていたんだ。
 それがいい証拠に、伯父さんの目は深く動揺していた。
「辰一君が生まれたときは本当にみんな、喜んだんだよ」
 風は鳴り、晴嵐の梢からゆっくりと、葉擦れが揺れていく。

「千夏が赤ちゃんの辰一君を抱いて、集落まで来たときは、本当にみんな喜んだんだ。可愛かったものさ。茉莉子だって、赤ちゃんの辰一君が笑ったとき、本当に嬉しそうだったし、正子さんも義展さんも赤ちゃんの辰一君を見たら、大騒ぎさ」
 伯父さんの口調はどことなく、寂寥感が含まれていた。
「銀鏡では赤ちゃんが生まれるのは、十年ぶりだったからね。辰一君がキャッキャッと笑ったときは、みんなも笑ったんだよ。そうだよ、それは本当のことなんだ。まだ、勇一は生まれてはいなかったけれども、伯父さんは心配したんだよ。千夏が知らせもなしに、東京へ行ってしまったときはみんな、村中を探したんだよ。東京に行ったなんて、分からなかったからね」
 伯父さんの笑みに噓偽りはなかった。

「辰一君の名前は伯父さんが付けたんだ。俺の親父が山で亡くなったばかりだったから、親父の名前をもらって、つけたんだよ」
 伯父さんが僕の名付け親だったんだ。
 その紛れもない事実を知って、僕は思わず悪い質問をした。
「伯父さんのお父さんは山で亡くなったんですか」
 どうして、開いた口は鉄製の戸を固く閉めるようには、塞がれないのだろう。
 伯父さんの瞳孔を一切は曇らず、表面には翳はなかった。

「そうだよ。あのときはおふくろも千夏も、おろおろしていたし、俺もまだ、若かったからかなり動揺したさ。あまりにも急な出来事で、泣くこともできなかった。赤ちゃんはみんな可愛いものさ。千夏が里帰り出産のために、銀鏡に戻ったときはみんな喜んだよ。可愛かったんだ。みんな祝福したんだよ」
 伯父さんのかすかに手が震えているのを、僕はちゃんと発見した。
「義展さんは赤ちゃんの辰一君の頬っぺたにスリスリしたものさ。赤ちゃんの辰一君は嫌がらずに、キャッキャッと笑ったものだよ」
 伯父さんの憎しみは本当だった。
 それ以上に温かさもあった。

「伯父さんは僕のことが憎くないんですか」
「憎いって何が?」
 伯父さんの笑みは、今までいちばん哀しげだった。
「いや、何でもありません」
 雨上がりの空は果てしなく広かった。
 清く心に巣食う業まで、洗われた山々と真新しいシーツのような空には、雲一つもなかった。
「さっき、鰻を採って来たんだよ」
「鰻?」
「そうだよ。天然物の鰻だ。辰一君のために特別に採って来たんだ。普通に買えば、高いんだぞ。天然物の鰻は希少価値が高いから、なかなか、食べられないんだよ」
 会話を中断すると、伯父さんは車庫に行き、車の荷台から籠のようなものを取り出した。

「この籠を川の流れが速いところに、仕掛けて置いておくんだ。中に餌を入れておくと鰻が餌を狙って、自分から籠の中に入っていくんだよ。元には戻れないように、内側に罠が作ってあるんだよ。しばらく経ってから、様子を見に行けば、籠の中に鰻が入っていく仕組みさ。鰻も賢いから、簡単には引っかからないな」
 その亜麻色の籠は横に長く、筒状になっていた。
 素材はたぶん、藁で出来ているんだ。
 全部で六つもあり、傍目では何のために使用されるのか、見当が尽かない。
「この中に何匹の鰻がいるかな」
 伯父さんは籠をひっくり返し、手で中を探った。
 その籠から何も音は聞こえない。

「中に鰻がいるときは籠が揺れるんだよ」
 僕は荷台の向こうにある、籠を指した。
 その籠は微動しながらゆさゆさ、と揺れていた。
「そうだな。あれに目星をつけよう」
 籠は上下に細かく揺れ、籠そのものが、生きているかのように傾いた。

 伯父さんは持っていた籠を置いて、そのお目当ての籠を手に取った。
「いるよ。絶対にいるな」

星神楽 62 龍の化身|詩歩子 複雑性PTSD・解離性障害・発達障害 トラウマ治療のEMDRを受けています (note.com)


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