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 東北出身で誰が有名か、と問われれば、私の中では断然、同い年の羽生結弦選手と大谷翔平選手と答える。
 二人とも異次元過ぎて、その活躍ぶりに圧倒される偉人と言っても過言ではない。
 私は東北へ行ったことはないが、二人が育った東北の風景を一度でもいいから見てみたい、と密かに思っている。

 震災の当時、私たち1994年生まれは16歳という多感な時期を過ごした。
あの震災が起きた春の日、私は速報を聴いて、真っ先にシニアデビューしたばかりの羽生結弦選手の安否を心配した。
 学校でもその話題が飛び交い、同い年の頭角を現したスポーツ選手である羽生結弦選手に他人事ではない、心配が広がり、次々と流れる悲しいニュースに16歳の私は委縮するしかなかった。

 東北には行ったことはないのに、震災のニュースを今でも見ると、涙が出てしょうがないのだ。
 あの頃の私は入退院を繰り返し、解離性障害の診断が確定したから、その辛さと共に思い出してしまう。
 自分自身が壮絶につらい時期を過ごしていたから、同じ国内で起きた悲しみに身につまされるように感じる。

 1994年生まれは、物心をつく頃からゆとり世代と罵られ、自己肯定感が低い人が私も含めて多いと思う。
 ゆとり世代のせいで日本は終わった、と中学生の頃に授業中に叱責された私たち、1994年生まれ。
 大人たちに全く期待されていなかった同年代からまさか、二人の天才が飛び立つとは思いもしなかった。

 フィギュアスケートが昔から好きだった私は、羽生結弦選手の優雅で繊細な演技が好きだった。
 羽生結弦選手がデビューしたとき、母が「あんたが好きそうな同年代の男の子がいるよ。少女漫画みたい」と言ったのを覚えている。
 羽生結弦選手がリンクの上で舞う姿は母の言う通り、少女漫画に出てくる星に祈りを捧げる、少年のようだった。
 本当にすごい人を見ると、私を含めて人は圧倒され、夢中になる。

 震災で傷つき、立ち上がった羽生結弦選手がフィギュアスケートの金字塔を打ち立て、オリンピック2連覇を成し遂げたときも、私の青春は羽生結弦選手と共にあったと生意気に思う。
 あの震災の日、同じ1994年代生まれにとって、羽生結弦選手を心の中で一度は考えただろう。

 16歳といういちばん人生の中で感受性が強い時期にあの震災があり、生まれたばかりの94年から95年にかけて起きた、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を小さい頃から聞いてきた私たち。

 生きる意味や、ささやかな日常の大切さを否応なしに感じた。
 羽生結弦選手の信念や何度も救われた。
 入院中の冬、病棟の多目的ホールで羽生選手の演技をみんなで視聴して、その時だけは世界の飛翔に鷲掴みになり、憂鬱や希死念慮を忘れられた。

 同じように大谷翔平選手は野球の神様であるベーブルースの記録を更新させ、コロナ禍の世界中に希望を与えている。
 二人ともすごすぎる同年齢だ。
 中学時代の男子たちをふと思い出すと、同い年にあの二人がいるのだから、とフフフと笑う私もいる。

 震災で打ちひしがれた、東北からあの偉大な二人を輩出したのは、東北の人の人柄や大きな困難に立ち向かう、『生きる力』が発揮されたからではないか、と私は畏れ多くも思う。
 人は本当につらいことがあっても、その波を乗り越えようと大きな力が生み出されるのだろう。
 二人は東北にとっても、日本にとっても、いや、世界にとっても勇気の希望を与える存在なのだ。

 あの二人の出身地である、東北は本当にすごいと思う。
 ほかに東北と言えば、何と問われれば、文学に関連すると、福島県相馬市に移住した柳美里さんを答える。
 私は柳美里さんの本に入院中も読み耽り、幾度かも救われた。
 柳美里さんが2020年、全米図書賞を受賞したニュースに私は、『ひょっとしたら、柳美里さんは女性として初めての、日本文学として3人目のノーベル文学賞を受賞するのではないか』と満更、冗談でもなく、期待してしまった。
 全米図書賞の過去の受賞者にはあの川端康成も受賞し、その後、ノーベル文学賞を受賞したのは周知の事実だろう。

 東北には太宰治や寺山修司、宮沢賢治、石川啄木など、その豊饒な文化を背景にすごい人がいっぱいいる。
 私は小学生の頃、源義経が好きだったことも相まって、一度でもいいから義経伝説が語り継がれている東北へ行くのが夢だった。
 私の住む地域からだとなかなか、遠いので行ける機会には恵まれなかったが、この文章をきっかけに憧れの東北に恩返しができたらいいな、と思っている。

 東北はすごいところだ。ベタ褒めじゃなくて本当に。

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