見出し画像

クーラーの功罪

 8月から所属する大学のスキー部の合宿に参加している。スキー部といっても更に言えばクロスカントリースキー競技専門である。

 雪のない夏場はローラースキーと呼ばれるスキー板に似た細長いシャフトにタイヤが付いたものに乗ってトレーニングをし、合間にはランニングや登山をする。体力づくりの為に盛りだくさんのメニューをこなしているのだ。

 8月初旬に長野県白馬村で行った一週間の合宿を含めれば合計23日目。もうかれこれ3週間近く山にこもっている。

 8月中旬からは新潟県妙高市に移動して合宿していたのだがこれがかなりハードだった。練習のキツさはさることながら、最も辛かったのは合宿所にクーラーが設置されていなかったことだ。

 日中は連日30度台後半まで気温が跳ね上がり、うだるような暑さの中練習をして帰ってくる。そして熱帯夜に苦しみながら雀の涙程度の扇風機の風を浴びながら眠りつく日々。

 一部の人は「盛っている」と思うかもしれないがこれは冗談ではない。特に新潟県妙高市は日照り続きで、ダムが渇水しているレベルなのだ。

引用:上越タウン情報

 これほどまでに暑い中でトレーニングを行い生活を続けていれば、当然疲労回復出来ず、パフォーマンスにも影響が出てくる。

 毎朝6時半に起きるたび人が後ろに立ち、肩に手を置いて力いっぱい力をかけてきているようなけだるさが襲ってくる。合宿所にはクーラーがないだけではない。お風呂の浴槽も無ければご飯も自炊だ。

 共同生活で溜まるちょっとしたイライラが溜まりやがてフラストレーションになってくるのを肌身で感じる。

 寝る前にヨガをしたり、オフの日に温泉に行ったり、たまには飲み会もして気を晴らさなければやっていられない。と個人的には思っている。

写真=合宿所(寝室)

 そして今日9月11日をもって長い新潟での合宿所生活が終わり、長野の宿に移動した。

 「何だこの幸せは」。クーラーが効いた部屋でゆっくり腰を下ろし、壁にもたれ掛かる時間は至福だ。

 お風呂に入ってポカポカの体を人工的に冷やす罪悪感を抱きつつ、ボーッとクーラーを眺めている時間。

 ご飯を食べ終わり、自分にとって最適温の25 度に設定して卒論執筆とnoteを編集する時間。

写真=新たな宿のクーラー

 今までの2週間が嘘だったかのような現代人の「普通の生活環境」に戻れたことに感無量である。

 これで毎日の練習の疲れをしっかりと抜くことができるだろうし、上手くコンディションを整えることができる。

 しかし、どこか腑に落ちない部分がある。それは要するにこの「クーラーがある普通」はいつから普通になってしまったかということだ。

 今や大都市に行けばビル裏に所狭しとクーラーの排気を行う空調機を目にする。そして排気部からはガーっという音を立てて暑い外気そのものを作り出しているかのような熱風が流れてくる。

 何万何十万何百万と同じ様なクーラーがあれば確かに火力発電で間接的に排気ガスを出す電気を大量に消費して地球温暖化に繋がる。排出する熱風自体も人間の住環境を悪化させているのには違いないはずだ。

 だが気温は年々上昇していき、クーラーが無ければ、気付いた時には体温調節することが出来ずに熱中症などの重大な体調悪化に繋がっていく可能性が高くなる。

 クーラーによって直接地球温暖化が進んでいるという訳ではない。しかしジレンマに感じている人は少なくないのではないか?と個人的には思うのである。

 自分の体調は良くなっても、一時のクーラーによる快感も間接的に影響を与えてこの先ドンドン気温が上がっていってしまえば元も子もないと思ってしまうのだから心配性なのかもしれない。

 だが、そんな不安感を持ちながら「クーラーのある普通」の生活を送っているのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?