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Music × English なエッセイ【46】


今回の曲

メインで名を連ねているZeddのことを良く知らないが、ロックバンドのMuse と組んでいるということで、「エッセイのネタになるかな」とピックアップしてみました。


1685

あなたはクラシックの素養おありですか?僕はあんまり😅。いや、盛っても仕方ないので白状すると、ほぼありません。ただ、知識はなくても、一応、自分なりの審美眼はあるつもりです😅。

英語圏の歌詞紹介サイトによると、もともと、Zedd の音楽的出自はクラシック音楽の畑だったそうで。

彼が影響された中でもおそらくは、称えたい音楽史の事実が、曲名の年のようだということです。インタビューやアルバムのクレジットに解説されていたんだろうか?

ともあれ、クラシック門外漢の僕でも知っている、「バッハ≒音楽の父」の生年なのだそうです。作曲の上でベースにした曲は、リンク先のこれらしいです。


歌詞

[Intro]
Ave Maria
Hold me in your arms tonight
Heal these opened wounds
Will you still be there for me
When I fall?

[Chorus]
Spin me till I'm entranced
This could be our last chance
Did I stray too far
To still deserve your warm embrace?

[Refrain]
Ave Maria
Ave Maria
Cleanse me of my sins
Restore me from within
And I need you to know
I will love you so
Until the world explodes

[Chorus]
繰り返し
[Refrain]
繰り返し
[Instrumental Outro]

1685 by Zedd feat. Muse 

試訳

かなり宗教色の強いニュアンスがあり、ブロークンな歌詞の訳し方では顰蹙を買いそうなので、できる限り品よく訳す努力はします😅

[Intro]
恩寵を得たるマリア
今宵 我が身を包み給え
開いた傷を癒し給え
まだ御国(みくに)でお待ちくださいますか
僕が堕落しても?

[Chorus]
永らえさせ給え 門をくぐることを許されるまで
我らの最後の契機やも
僕はあまりにも遠くへ迷い出過ぎて
未だにあなたの温かき恩寵に値しませんか

[Refrain]
アヴェマリア
恵みを受けし聖母マリア
我が罪を浄め給え
内奥より 元あった姿へと
そして知っていただきたいのです
僕があなたを一層愛するだろうと
世界が吹き飛ぶその瞬間まで


訳にあたり考えたこと(エッセイ等) 

下地のプレリュード

この曲はバッハのこの曲👇を下敷きに翻案しているようです。クラシックの素養があって初めてできる流用ですね。


そういや、バッハは本気で神と交信しようとしていたっぽい音の造りをしていますよね(全部じゃないけど)。

教会向け、パイプオルガンの楽曲とか…きちんと曲名を指定できないあたり、クラシックの素養なくてつらいのですが。😅


秩序的なカノン(ついでに見つけた)


他に検索してみたら、形式美を追求したようなカノンがありました。ハッフルベルのほうじゃないやつで。基底にある音を墨守しながら階層で足していく、みたいな。「秩序に神を見る」的な造り。いや、細部に宿るってのを勝手にもじりました。すいません。


ステンドグラスらしき聖母マリアのパーツが、爆発後、新秩序か天国か別のものへと組み上がっていく今回の動画も、バッハへの敬意を通じて、やはり何かしら神々しいものを意図しているようです。歌詞と方法論は不穏ですけど。


出だしが有名なトッカータとフーガ


給食の時間を想起させる(?)トッカータとフーガを収録しているこの動画にも、偶然、「らしいステンドグラス」が映っていましたので「採用!」となりました。😅


まとめにならないまとめ


奇しくも、世界史年表を横断して眺めたら、同年はナントの王令廃止というキーワードが浮かんできたのです😅。

プロテスタントが弾圧されまくったとある。カソリック優勢。
クリスチャンの間ではだが、バランスの良い年号ではなさげだ。

音楽史だけで見ると、Zeddによるオルガニスト・バッハへのリスペクトというだけなのかもしれないが😅、宗教史も勝手に織り込んでしまうと、Museの歌詞はやはりのなかなか、宗教音楽っぽい。

弾圧されたプロテスタントが異端として新世界を求めているかのような歌詞。例えばのちに新大陸を発見するとか?もっとロングスパンで月面着陸するとか…😅?

締めくくりがすごい(今の世界でいえばテロリストみたい、ともとれる)。

僕はクリスチャンではないが、一般教養だとか雑学だとかの寄せ集めとして知る限りにおいては、我ら全員が「とがびと」だという理由は割とヘビーですよね?連綿と始祖からもらってるんだと。統一教会もパクってましたね。

天にまします我らの父(ということになってるヤハウェさん)とやらが、土塊から自分に似せて創った人間の始祖たるアダムとイブを、林檎だか無花果だか争いのある禁断の果実をかじったからと、楽園から追放したときの罪(いわゆる原罪)の償いを今もさせられている(という世界観)。

ホントは働かなくていいエデンに居たのに、始祖の犯した原罪のせいで、仮居の宿としての現世の肉体では、罰として労働して世の中に奉仕しなくてはならない(という世界観)。

つまり日本人の勤労の美徳とはちょっと違って、最初に人間の始祖が大罪を犯したので、その罪滅ぼしをずっとやっていくというフィクション(すいません)が、彼らの労働観の根底にはある(はずである)。

仮居の宿としたけど、それは死んだら元居た居場所≒天国に召されるんで、奇妙な話、死ぬと救済されるわけ。禊が果たされて。

完全な魂に戻って。
現世の苦役から。

しかし。
悪いんだが。
彼らの宗教観や美意識に反して、僕がこの曲の歌詞の締めくくりが気に入ったというのは、無神論者っぽいからだ。

今ある秩序が気に入らないという。
そんなものを創った神仏なんか知るかよという方向の。

ラストの手前までは、「開いた傷を癒したまえ」とか、「我が罪を洗い清めたまえ」という風に聖母マリアにすがっていながら、until で時限を区切るときに至って、世界が吹っ飛ぶそのときまで、という。

至福のときのふりして
雌伏のときだったという。

作者たちなりの終末論といってもいいのかもしれないが。

今風の電子音の用い方でありつつも、おごそか(な装い)な音の運びをしてきて、最後がぶち壊しなのが Muse の歌詞らしいともいえますね。

Zeddは歌詞を渡されてびっくりしたのかな😅。

そういう破滅方向の耽美なのかなと。

かといって、自分だけ潔く死ぬ葉隠の滅びの美学とは違いますよね。
世界全体リビルドしちゃうのだというから、巻き添えも居るでしょ。
その辺は事なかれ主義、ご都合主義、現状維持派にしてみれば迷惑な美意識かもなと。

あ、ちなみに僕は日本のビジュアル系みたいな、ダークな耽美主義者ではないです。

外見の美意識は、全くそういうんじゃないんで…😅

思考上のそれにシンパシーを感じた、という話でした。以上です。


過去作のまとめ

他のエッセイも読んでいただけたら、泣いて喜びます。
どうぞよろしくお願いします。


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