母が死にたがっている。
母が死にたがっている。
一緒にいると、何度も「もう2人でいなくなろう」や「炭持って来たから火を点けよう」と言ってくる。
うちは焼肉屋を経営しているから、炭は簡単に用意できてしまう。困ったものだね。
なぜそこまで死にたがっているのか?
それはシンプルに焼肉屋の経営が上手くいかないからというのが大きいだろう。
なにぶん小さいお店だ。知名度がそこまであるわけでもない。
ここまで騙しだましやってきたけど、遂に限界がきてしまったのかもしれない。
お客さんが来るかどうかなんて、店を開くまで分からない。
当然、店を開くだけでもお金はかかってしまう。
支出と収入のバランスが取れない。
赤字のまま店を開き続けている。
母にとってお店は唯一の居場所だ。
それがなくなってしまったら、何も残らない。と思っているのだろう。
僕もなるべく手伝いとかしてみたし、お金の面で工面もしてきたけど、それすら間に合わなくなってしまった。
今の母は口を開けば「もうおしまいだ」「なんで私だけこんな目に合わなくちゃいけないんだろう」と呟く。
半ば発狂しながら僕に向かって声を荒げる。
そんな状況が辛くて、僕が逃げるようにしてコンビニへ行くとすぐに付いてこようとする。
「あんたがいなくなったら私は何も残らない」
「私の言い方が悪かった」
赤く腫らした目を僕に向けながら、彼女は赤子のように泣きじゃくる。
昔から僕の母はヒステリック気味、というかすぐに癇癪を起してしまう性格だった。
何かあると「私のことをバカにしている」「誰も私のことを分かってくれない」と言い出す。
しかし、恐ろしいほど真っすぐな人でもある。
悪く言えば冗談が通じない人
どんな言葉でも額面通りに受け取ってしまうから、隠れた善意や優しさにも気付かない。
少しでも上手くいかないと諦める。
性格が合わない人に対して露骨に嫌な顔をしてしまう。よくぞここまで店主として接客をしてきたものだ。
自分の母だから思う。
あの人は人間的に未熟なまま歳を取ってしまった。今まで沢山の注意を受けてきたにも関わらず、自分を叱責してくる人間をすべて”敵”と見なしてきた。
そのツケが回ってきているのかもしれない。
もう、親族周りで母の味方をする人すらいなくなった。
母は3人兄弟の真ん中だ。
しかし、姉と弟からはとっくに『無能な姉妹』のレッテル貼りをされている。
辛いだろう。
姉と弟、僕からすれば叔父と叔母に当たる人物は有能で世渡りが上手なタイプだ。
昔から親族の集まりがあると、僕はこの2人と母の差に驚いていた。
性格の落ち着き方が真逆だし、何より周りからの扱いも違う。親族が放つ言葉の節々に『僕の母を皮肉る要素』を感じてならなかった。
嗚呼お母さん、さぞ辛かっただろう。
きっと昔から、母の幼少期からずっと彼女はコンプレックスの塊だったのだ。
何をしても姉弟と比べられ落胆される。
僕の祖母と祖父、つまり母の両親はとっくに亡くなっている。
でも、生きているときに軽く話を聞いたことがある。
あの2人は僕の母の可愛がり方を間違っていたんだろう。
「どうせあの子はこれができない」と決めつけ、突き放した過保護をしていた。
小さい孫の僕がそう感じていたのだ。
きっと母はダイレクトに”歪な愛され方”を感じていたはず。
その結果、母は様子がおかしい人になってしまった。
こんな言い方したら、如何にも近づきがたいヤバい人みたいだけど。
そこまでイカれてはいない。
『ちょっと冗談が通じなくて絡みづらい女性』と思ってくれればいい。
僕が思うに母はずっと”独りぼっち”だったのだ。
褒められることも少なく、自分を理解してくれる人もいない。結婚してもすぐに離婚したらしい。
僕の父に当たる人とは一度も会ったことがない。
ただ、父は僕の親権を握ろうとしていたみたいだ。そして母はそれを本気で嫌がり、僕の世話をしてくれた。
母によると、いま父は東京にいる。どんな仕事をしているかなんて分からない。新しい奥さんを見つけて、新しい家族を作っているのかも。
父は今の母を見て何と思うだろうか。
これは僕の予想だけど「やっぱりこうなったか」と感じるのではないだろうか。
母と離婚した詳細な理由は知らないけど、おそらく性格に難を感じたんだ。
一緒にいるなんて無理と思ったんだ。
だって僕でもそう思う。母みたいな人と一緒に生活するなんて疲弊するってレベルじゃない。
お金が入ったらすぐに使うし、日によって機嫌が全く違う。
乱高下する彼女に合わせて過ごしていたら、いつか必ず限界が来る。
たまに母は言う。
「こんなことになるなら、お父さんのほうに親権譲れば良かったね。あんたもそう思うでしょ?」と
これは否定してほしい質問だ。ここで僕が否定しないと、母は何をしでかすか分からない。
だから僕は必ず「そんなことない」と言う。
というか、これは本心だ。
母が親権を持っていなかったら、今の僕はいない。
父が親権を持っていた世界線の僕だって、それなりに幸せだっただろう。
しかし、それでも母が僕に注いだ愛情を感じない人生なんて嫌だ。そう感じるくらいには、母の愛情を一心に受けてきた。
どれだけ人間性に問題を感じても、浪費癖に腹が立っても、僕の母は”あまりにも唯一無二”なのだ。
下手くそな料理を出されたってかまわない。味が濃すぎて食えたもんじゃないサバの味噌煮だって笑顔で食べ切る。
母の境遇を知っていたら、僕に注いだ愛情が並外れたものじゃないのは想像に容易い。
例え愛情の形が歪んでいても、やっぱり母は母でしかない。
そんな母が死にたがっている。
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