僕の人生の歩み#2
こんばんわ!僕です✌️
新型コロナウィルスが東京で最多というニュースが出ていました。これは1、2週間前の低い意識が影響されたことです。この失敗を活かして、外出自粛を続けることで近い将来コロナウィルスが収束してくれることを願うばかりです。
さて、昨日は中学生のときのことについて話したと思います。本日は高校編とはいかず、中学生のときの僕の苦難について話そうと思います。
私は、アトピー性皮膚炎を患っています。症状がひどく、医者には「汗をかくな」「日光に当たるな」と言われてました。ソフトテニスと出会ってアトピーが益々悪化していき、皮膚は日光によって火傷のように腫れ上がっていました。
思春期で周りからの目や人間味ない言葉も気にしてましたがソフトテニスだけは諦めることができませんでした。ただただソフトテニスが楽しくて一生懸命ボールを打っていた、このときはもうすぐ訪れる病魔なんて知るよりもありませんでした。そんな生活を続けていた結果中学3年生の県中総体が終わった8月に悲劇が訪れました。
39°Cを超える高温の熱が続き、寝たきりの生活が続きました。熱で終わればいいのですが、全身からは組織液が分泌され、シャツやパンツは汗で濡れているようでした。
さらに、組織液だけではなく顔の毛穴からはウミが溢れ出し、最終的には全ての毛穴からウミが湧き出ていました。熱や組織液が出ているのを親には隠していたのですが、様子がおかしいのに気づき、近くの病院につれていってもらいました。
小さい病院は面倒見きれないと病院をたらい回しにされたのを覚えています。4つ目の病院でも見きれない言われて、最終的に大学病院に救急搬送されました。病名は、
カポジ水痘様発疹症。
症状は発熱や痛みをともない水痘があらわれます。痒みよりも痛みの方が強いです。簡単に言えばヘルペスが全身にできたような感じです。
原因は、免疫力や体力が低下していると感染症を起こしやすくなり、ヘルペスを合併することにより発症するみたいです。ソフトテニスを通して、日光や汗によって皮膚が炎症を起こし、負担をかけていたようです。
40℃の高熱も続いたため、髄膜炎も合併する可能性もあり、母親は死を覚悟したといい、ずっと泣いており、毎日病室に泊まってくれました。
そんな母親のサポートもあり、完治して今のような生活を続けることができています。僕自身は何もしてませんが、この病気を通して学んだことがあり、生きていく上での目標ができました。
・人間は一人では生きていけず、
常に周りから支えられている
・家族に支えてもらったように、僕も周りの人達をコミュニケーションを通して支えることができる人間になりたい
病気は本当にきつく、死を覚悟しましたし、
アトピー性皮膚炎も完治はしていませんが、
この病気を通して当たり前のことに感謝したり、
今まででは見ることができない世界がみることができています。
軽はずみなことは言えませんが、自分を変えるきっかけとなりました。
みなさんコロナウィルスによって、日々の当たり前が奪われつつあると思います。死ぬこと以外はかすり傷です。日々生きていけることに感謝し、僕達に出来ること、手洗い、うがい、外出自粛のやっていきましょう。
長くなりましたがこれが僕の中学生のときのお話です。
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