見出し画像

パンクロッカーで保育士?!【東京都杉並区】てらだはるかさんに政治に挑戦する思いを聞いてみた!

こんにちは!FIFTYS PROJECTです!
今月から『推しを見つけて応援しよう!』FIFTYS PROJECTインタビュー企画がスタートします!👏
春の統一地方選に向けてFIFTYS PROJECTが応援する全国様々な地域の皆さんのインタビュー記事をお届けします。わたしたちといっしょに「この人を応援したい!」と思ってくれる人が増えるよう、皆さんの魅力をお伝えしていきます!!

記念すべきインタビュー第1回では、東京都杉並区議会に挑戦予定のてらだはるかさん(東京都杉並区)に、政治家を目指した理由や、政治家になってやりたいことをお聞きしました!


街頭に立ち笑顔でこちらを見るてらださん

まずは自己紹介をお願いします!

1987年生まれの35歳です。群馬県高崎市で18歳まで暮らし、その後上京して国際基督教大学(ICU)に進学したのですが、バンド活動に集中するために大学3年生の夏休みに大学を退学し、10年ほどバンド活動をしていました。その間に3.11や安保法制の強行採決があり、市民活動や杉並の選挙に関わるようになりました。
2015年の夏、安保法制強行採決に抗議するために国会前に通っていた時に、「議論のできない大人たちが力で物事を推し進めようとするのはおかしい。これからの時代を作っていく子どもたちが、自分も相手も大切にできるような大人になってほしい」と思うようになり、働きながら保育士の資格をとって保育士として働き始めました。

政治に関心をもったきっかけは?

政治に関心を持ったのは、小学2年生の時の阪神淡路大震災がきっかけでした。その時に瓦礫の下から救出されて体育館で暮らしている自分と同い年くらいの人を見て衝撃を受けました。ずっと世の中のことを気にしているような子どもで、9.11の同時多発テロの後、アフガニスタンに報復をするアメリカに賛意を評した日本政府に、家のパソコンから抗議のメールをして親に怒られたこともあります(笑)
大学生のとき、音楽活動に専念するため大学を中退したんですが、社会に対して思うところはずっとあって、3.11の後に初めてデモに参加しました。反原発のデモだったんですけど、その後から一人で考えるだけじゃなくて色々な人と繋がって行動するようになりました。安保法制が強行採決された時には、もうすでに戦争の前段階が始まっていたということに気づき、「今ここで止めなきゃいけない」と思って、毎日国会前に通っていました。

区議会への挑戦を考えるようになったきっかけと理由は?

市民運動には関わりつつも自分が議会にいくことは考えていませんでした。しかし、21年の衆議院選挙の東京8区(杉並区含む)で、ずっと当選し続けていた議員が落選し立憲民主党の吉田はるみさんが議席を取るということがあり、22年6月の杉並区長選でも野党統一候補の岸本聡子さんが、パワハラで有名だった現職の区長を破った。こうして一歩ずつ変化を作り出してきたなかで、実際に杉並区議会を見てみたら、岸本さんに対して元区長相手だったらやらなかったであろう誹謗中傷や攻撃をする議員がいて。女性区長だからあからさまにそういう態度で質疑をする議員がいました。これではダメだと、政治の世界だけで生きている人たちだけじゃない、現場の声、生活者の声を届ける人が議会に行かなきゃと思い、決意しました。

区議会への挑戦を決意するまでの困難だったことは?

まずお金が全然なかったです。20代はずっとアルバイト掛け持ち生活だったので貯金がほぼなく、保育士の仕事も給料が低い。あと、子どもがいる現場はすごく人間関係が大切で、子どもとも保護者とも職員同士も信頼関係を積み重ねていくものだから、こうして信頼関係を築いてきた子どもたちと離れることがものすごく苦しかったです。私一人が抜けることで保育の現場の負担も大きくなるので、私がやりたいことと矛盾している感覚もありました。今でも葛藤しています。
今街頭に立つと、「保育士」と書かれたタスキをみて「私も保育士です、頑張ってください」と話しかけてくれる人もいるので、ケジメをつけて踏ん張らなきゃという気持ちにはなっています。


街頭に立つと、子どもがマイクを奪いに来る

自分だからこそできること・強みは?

街頭に立っていると子どもが話しかけてくれることが多いです。スーパーの前で防衛費増大の話をしていたら、小学生が真剣に聞いて拍手してくれて、「大人が児童館を廃止する決定をして、子どもには決まったおしらせだけがくる。子どものための施設なのに、大人が勝手に決めるのはおかしい。ニュースをみていても、おかしいことがたくさんあるから、子どもの声を聞いてくれる人を応援したいんです」と言われて、すごいなあと思ったんです。その子のように、子どもはきちんと言葉を持っているし、大人たちが話していることもよく聞いているから、やっぱり大人を介さない、子どもの生の声を拾って議会に届けたいです。
私はFIFTYS PROJECTの理念と私のやりたいことが一致して、本プロジェクトに参加しようと思ったのですが、ジェンダーに関してだと、性教育にも取り組みたいです。保育園では子どもたちが自分の体について気がつき始める時だから、小さい頃から自分のことを大切に思ってもらえるような教育をしていきたいと思っています。
自分が子どもの時、「大人は子どもの話を真面目に聞いてくれない」ということがありました。子供は本当に大人をよくみているので、「大人は子どもの声をちゃんと聞け!」と訴えていきたいです。

杉並区の好きなところと、もっとよくしたいところは?

高円寺という街が好きです。個性的なお店が多く、こだわりを持って生活している人もいれば、街をパジャマで歩いていても何も言われないところもある。私は駅前で鬼ごっこや缶蹴りをして遊んだこともありますが、自由な発想で生きている人を受け入れる土壌があります。それを前区長時代に大規模再開発のために商店街を潰して道路を作る話もあったから、そうではなく、もうすでにこんなにいいところがあるよと、どんな人でも丸ごと受け止めてくれるような雑多な街の魅力を伝えていきたいです。

また、今新区長の下でタウンミーティングが増えてきて、今までは区の決定を一方的に説明する説明会という形だったところが住民から声を聞くという形に変わってきています。これを一気に推し進めていきたいです。他にもやりたいことはたくさんありますが、住民の声が届く体制づくりに加わっていきたいです。せっかく住民が声をあげても聞かない、というようなことにはおかしいときちんと声をあげ、議論ができる政治をつくりたいです。


タウンミーティングで道路拡幅について説明中

最後に、春に向けてどんな活動をしていきたい?

従来の、ただ街宣車で大きい音を出すといった形ではない街宣がしたいです。感覚過敏の人には大変な思いをさせてしまっているので、大きな声で訴えるのではない、例えば紙芝居を作ってみたりして工夫したいです。あとは配りたくなるチラシを作りたいです。ボランティアの方で「1日で3000枚ポスティングしてきた」という人がいて(笑)、一緒に応援してくれる人が楽しみながらできたらいいなと思っています。あと、チラシは子どもや外国籍の住民の人たちでも読めるように工夫したいです。

インタビューを終えて
たくさんのお話を聞くことができたインタビューは、時間を感じないほど、あっという間に過ぎて行きました。お話を聞く中で、てらだはるかさんの幼少期から、バンド活動、保育士と今に至るまでの全てがこの立候補という挑戦につながっていると感じました。現場を知るてらだはるかさんのいる区政は、どんな区政になるだろうと期待に心が踊ります。「子供の声を届ける」その先にあるのは、きっと誰もが暮らしやすい社会だと思います。

取材・執筆:あいちゃん&みっちゃん
取材日:2022年12月29日

てらだ はるか(基本情報)
1987年生まれ/群馬県出身/杉並区宮前在住。高崎女子高校卒業後、国際基督教大学に進学後、大学を中退して、音楽活動にのめり込む。バンド活動とパン屋や音楽スタジオなど様々なアルバイトを掛け持ちし、20代を杉並で過ごす。東日本大震災をきっかけに政治への関心を深める。その後、保育士となり、現在は杉並区内の保育園に勤務。

てらださんについてもっと知るには?✨
【Twitter】
てらだはるかさんご本人: @karuha11
活動: @team_teraharu
【Instagram】
てらだはるかさんご本人:h_t_o_c
活動:team_teraharu

『推しを見つけて応援しよう!』FIFTYS PROJECTインタビュー#1、いかがだったでしょうか?てらださんの想いが伝わっていたら嬉しいです!
次回もお楽しみに!✨

FIFTYS PROJECTとは?
私たちは政治分野のジェンダー不平等の解消を目指し、20代・30代の女性(トランス女性を含む)やノンバイナリー、Xジェンダー等の方に対して2023年4月統一地方選をはじめとした地方議会議員選挙への立候補を呼びかけ、一緒に支援するムーブメントをつくろうと活動しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?