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『孔雀とナイフとヒエラルキー』第6幕

ヒエラルキー

1

 事件の後、退院した私は警察からの聴取を受けた。事件に関するあれこれを聞かれた末、咎められることはなかった。どうやら、青木さんら事件に関わった警察官たちが私のことを庇ってくれたらしい。そうしているうちに事件から二ヶ月近くが経っていた。

 三月の朝。私は久しぶりに学校へ行く準備をしていた。
「本当に大丈夫なの?」
 荷物をまとめているとお母さんが私のことを心配してくれた。どうやらクラスのことが心配なようだった。

「まあ、無理はしないよ」
 そう言いつつも私はこの時点で無理をしていた。あの事件以来、私はクラス全体のコミュニティーから追い出されていた。連絡がついたのは真希ちゃんをはじめとするほんの数人だけだった。私はそのことをお母さんには言えなかった。

 荷物をまとめ終えた私は、制服を二ヶ月ぶりに着た。久しぶりに着ると少しの違和感があった。

「なんでだろ、あのきらきらしている割には中身空っぽで人を蹴落とすことばかり頭にあるクソったれどもに嫌気を感じたからかな」

 制服を着た自分を鏡で見た瞬間、咲の言葉が頭の中で反響した。私はもう学校にいる何も知らない連中が嫌になり始めていた。だが、それは気のせいだと思って私は自分の気持ちに蓋をした。そうしないと私の日常が保てなくなってしまうのだから。

「じゃあ、行ってくるね!」
「気をつけてね!」
 時間が来たので私は急いで家を出た。私は無理をして笑顔を作った。お母さんはそれでも笑顔で見送ってくれた。

 季節が冬から春に変わろうとしていた。私はなんとなく寒さの残る道を自転車で走った。こうやって自転車で走ったのは二ヶ月ぶりだった。久しぶりに走る道は何も変わっていなかった。ただ、変わってしまったのは自分の心だった。咲と友美をほぼ同時に失ってしまった。この頃になると私は、これからどうしたらいいのだろうかとずっと考えていた。

 学校に到着した時には、既に朝のホームルームが始まっている時間だった。私は下駄箱に靴を入れようと扉に手を触れた。
「痛い!」
 取手に触れた瞬間何かが指に刺さった。私は慌てて取手の方を確かめた。そこにはカッターの刃先のような物がテープで貼りついていた。

「やーい、人殺し!」
「引っかかったね! きゃはは」
 後ろを向くとクラスメイトの男の子と女の子が笑っていた。私の指からは血が出ていたのに。

「これで少しは人の痛みがわかったか死神め」
「しーにがみ! しーにがみ!」
 死神という言葉を向けられたのはこれで二度目だった。確かに私は友美と咲を葬った死神なのかもしれない。そう思いながら私はただ二人のことを見つめることしかできなかった。

「何みてるの……」
「怖いんですけど……」
 私の何に怯えたのかわからなかったが、二人は走り去ってしまった。

「おい、大丈夫か!」
 担任の先生が駆けつけてきた。それからすぐに保健室で手当をしてもらった。手当が終わったところでカッターの刃が下駄箱に隠されていたことを伝えると先生は苦い顔をした。
「実はな、事件の後でクラスの仲がこじれてしまって、先生たちも手に負えないんだ」

「手に負えないって……」
「いろいろあるが、昨日は五人くらいで激しい口喧嘩をしていたよ。喧嘩を収めるのに一時間かかった……」
「どうして、そんなことに……」
「なんでだろうな……、クラスをまとめていた石崎があんなことになったから皆んなの何かが壊れてしまった。先生はそう考えている」

 先生もまた苦しそうだった。二ヶ月前には目立っていなかった白髪がところどころ目立っていた。この二ヶ月での辛さが感じ取れた。
「佐野、俺はどうしたらよかったんだろうか……、何がいけなかったんだ……」
「それは、私にもわからないです……」
「そうだよな……、石崎と倉持の一番そばにいたのは、お前だもんな。佐野がわからないのなら先生はもっとわからないな……」
「ごめんなさい……」

「いいんだ、謝らなくて。謝るべきは先生の方だ」
 先生の目は涙で溢れていた。私の方も心苦しかった。
「良い先生ってなんだろうな? 先生はわからなくなったよ。だから、今月で先生を辞める」

「そんな! それじゃ……」
 先生はそれ以上は言わないでくれと言うように涙を拭いた。
「佐野、とりあえず今日は帰った方がいい。授業とかあれこれは気にしなくていいから、とりあえず帰れ」
「でも……」
「いいから」

 私は誰にも気づかれないように学校を後にした。何もすることがなかった私はとりあえず、自転車を走らせた。街の中心の方へと自転車を漕いだ。並木道を眺めるとまだ桜は咲いていなかった。私は何気なくスマホのカメラで写真を撮った。

 街の中心の方へと出た私は曇った心を少しでも晴らそうとそこで時間を潰すことにした。
 まずはじめに立ち寄ったのは新年早々咲と行ったアクセサリーショップだった。

「ねえ、これ良くない?」
「うんこれで良いかも」

 二人でアクセサリーを探した時のことを思い出した。思い出して楽しい気持ちになる反面、それから後のことを思い出すと悲しい気持ちにもなった。

 途中で制服姿の私を見て怪しげに見てきた店員さんがいたのだが、何かを察したのかそのまま店の奥の方へと戻っていった。私にはそれがありがたかった。それから私は商品棚をしばらくの間見つめ続けた。

 見つめ続けているとお腹が空いた。人間というのはどんな状況でもお腹が空いてしまうのかと悲しい気持ちになったが、仕方がないのでアクセサリーショップを出た。何かを食べられるお店を探すこと数分。空いていそうなハンバーガー屋さんを見つけられた。

 私はそのハンバーガー屋さんでハンバーガーとポテトを食べた。どんよりとした気持ちなのに、ハンバーガーとポテトが美味しいと感じられた。なんでそう思ってしまうのだろうか。私は私自身のことが悲しくなった。

 ハンバーガーを食べた頃には時刻は昼の一時を過ぎていた。私は一月に咲と一緒に行った場所を改めて回ることにした。

 二人でシリーズ物の映画を観に行った映画館。
 お腹が空いたからと食べに行ったイタリアン。
 他にもその日のうちに回ったいくつかのお店。

 咲との短くて幸せだった日々のことを思い出した。スマホの写真フォルダを見るとそこにはその日撮った記念写真が何枚かあった。それらを見ているとどうしてこうなってしまったのだろうと改めて感じた。どうして二人とも居なくなるようなことになってしまったのだろうか。もしあの日、友美がナイフを出さなければ。もし、友美が逃げなければ。もし、友美が咲を殺そうとしなければ。

 疑問ともしもばかりが頭の中で溢れかえっていた。

 場所を移動してベンチに座りながら私は咲と友美のことを考え続けていた。考えても仕方のないことなのにどうして考えてしまうのだろうか。

 それは結局のところは私が二人のことを大切に思っていたからに他ならないのかもしれない。だからこそ、未だに私は二人のことでどうしたら良かったのだろうかと悩み続けている。

 人がどんどん私の前を通り過ぎていった。私の気持ちなんてお構いなしに世界の時間は進み続けている。なんとなく通り過ぎていく人々を眺めていると一組の男女が隣に置いてあった別のベンチに腰掛けた。

「ねえ、このバック良くない?」
「良いよね」
 隣の席で聞き覚えのある声がした。私はそれを思い出せずにどこで聞いた声なのかを考えた。

「ねえ、あいつが死んでからさ私達上手くいっていると思わない?」
 女性の方が楽しそうにバックを見つめ続けていた。一方で男性の方も女性の様子を嬉しそうに見つめていた。
「そりゃそうさ。あいつは俺たちにとってめんどくさい存在そのものだったからな」

 その瞬間、私はこの声をどこで聞いたのかを思い出した。テレビだ。テレビのニュースでカメラの前に向かって土下座をした夫婦の姿が頭に浮かんだ。それから目の前で話している二人が誰なのかもわかった。

 友美の両親だった。彼らの言葉を聞いて私は彼らが自分の娘のことをめんどくさい存在と形容したことに強い怒りを覚えた。私はベンチから立ち上がって二人の前に立った。

2

「娘がいなくなって喜ぶ親がどこにいるっていうんだ!」
 立ち上がるなり私は隣にいた男女に向かって怒鳴りつけた。私なりの全力の大声だった。
「あんた誰?」
 驚かれつつも男性の方から問いかけられた。

「誰って、石崎友美の友達です」
 私は堂々と答えた。
「ああ、君か。友美を殺した人の友達っていうのは」
 彼は手に持っていたジュースを口に含んだ。

「どうしてそんな冷静なんですか……」
 私は思ったことをそのまま口に出した。
「だって事実でしょ」
 そう言う男性の言葉には自暴自棄のようなものが含まれているような気がした。
 だが、この時の私にはそれを受け止められるほどの冷静さはなかった。

 あまりにもいなくなった娘に対して失礼すぎる。私はこの二人に対して怒っていた。
「そうですけど、その態度は友美に失礼過ぎるのでは」
「失礼過ぎるって、それはあんたが決めることではないでしょ」

 男性の意見には確かに一理あった。これは私が勝手に決めつけていいことではなかったし、ましてや死人の気持ちはわからないからだ。そう思いつつ私は彼らに対しての怒りがさらにこみ上げていた。
 
 男性の方は平気そうな顔をしていた。もう一人の女性の方も平然そうにしていた。だが、二人の態度のどこかがおかしいと直感が告げていた。

「だって、私たちはあの子を産もうと思って産んだわけじゃないからさ、いなくなってもらって清々したのよ」
 女性の方が私の目を見ながら軽い口調で語った。
「じゃあ、テレビで謝った時は何も感じてなかったってことですか」
 私は思わず聞き返した。

「そうだよ。世間体を気にしてああしなきゃならないからああしただけ」
 友美の両親は何も感じていないようだった。娘の死についてまるで他人事のように語っていた。彼らは平気そうにジュースを飲んだ。私の中でますます違和感が大きくなった。やはりこの大人たちを許せることができそうになかった。

 私は友美の父親の頬を勢いよく叩いた。彼が飲んでいたジュースが地面にこぼれた。
「痛っ! 何するんだ!」
 男性の方が私を怒鳴りつけた。私はそれに怯まないように強い口調で言い返した。
「何するんだって。当たり前のことをしたの!」

 彼は拳を握って私のことを殴りかかろうとした。幸い友美の母親の方が彼の手を押さえてくれた。この瞬間、なんとなくだが彼が殴りかかろうとしたのは自分のことを責められたからだけじゃないような気がした。なぜなら二人の態度にはどこか矛盾したようなものがあったからだ。

「当たり前のことだって……」
「そう! こんなことになったのは何のせい? あなた達が友美のことを放っておいたからこんなことになったんでしょ! 私はあなた達を許したくない!」

 私は全力で宣言した。私はこの二人を決して許したくない。そう固く思っていた。

「俺らのせいでこうなったって、言いがかりにも程がある」
 友美の父親からは直前までの余裕が感じられなかった。言い返したいことがあるようだった。

 だが、
「事実でしょ」
 私がそう言った途端に彼は黙り込んでしまった。彼は頭を抱えて何かをか考え込んでいるようだった。彼は空を見上げて涙を浮かべた。その涙には何か苦しい物が感じられた。

 やがて、友美の父親は空を見上げながら心の内を明かしてくれた。

「ああ、そうだな。確かに事実さ。もちろん、あんたの言う通り俺たちにも非がある。俺たちの無責任な態度のせいで友美を苦しめてしまった。だがな、あいつが苦しんでたのは俺たちのこともそうだが、学校のこともあったのじゃないかと今になって思うのさ」

 彼は本当に悲しそうだった。

 私は頭が真っ白になってしまった。
 訳のわかならない感情が頭の中で駆け巡っていた。

 その間に今度は母親の方が辛そうな顔をして、私に教えてくれた。

「私たちは友美のことをほったらかしにした。友美はだんだん壊れていったから次第に関わるのが面倒になってしまった。友美は気づいていたんだろうな、私たちがちゃんと自分と向き合ってくれていないことにね。心が壊れていく友美が怖かった。どうしていいのかもわからなかったから……」

 はじめ、私は彼らは責任逃れのためにデタラメを言っているのではないかと思った。だが、二人の苦しそうな顔や言葉には嘘が無さそうだった。それに気づいた瞬間、私はその場で膝から崩れ落ちた。
「じゃあ、私はあの二人が死んだ責任をどこに求めたらいいの……」

 思わず口に出してしまった。言ってしまった後で、これは許される言葉ではないと気づいた。友美の両親は私のことを怒ってもいいところだった。それでも彼らは怒らなかった。いや、怒れなかったのだと思う。

「責任か。俺たちにもこうなった責任はあるさ。頼むから俺たちのことを許さないでくれ。それが、君なりの弔い方なのなら」

 彼らは友美が死んで苦しんでいたのだ。自分達の無責任さが原因でこうなってしまったと負い目を感じていたのだ。だからこそ、どうしたらいいのかわからなくなって、あんな態度になってしまったのではないか。私はそう思った。

 そう思った瞬間、私の中で怒りが鎮まった。徐々に冷静さを取り戻して、やがて友美の両親に対して申し訳のないことをしてしまったと反省した。

「ごめんなさい。お二人のことを責めてしまって……」
 私は彼らに向かって深く頭を下げた。

「いいんだ。友美が居なくなってから上手くいくようになったと言った俺たちの方も謝らないといけない。申し訳ない」
 彼らは私に向かって頭を下げた。私はそれに対して何も返す言葉がなかった。

 春の空は澄み渡って綺麗だったが私の心はぐちゃぐちゃのままだった。
 友美の両親に謝られた後、自転車を押しながら私は考えた。

 私たちにはああいう結末しか有り得なかったのか。
 どうすれば、あの結末を回避できたのか。
 
 この頃になると私の頭の中には、考えていても仕方のない、途方のないたらればしか出てこなくなっていた。
 私は自転車に跨って、全速力で漕いだ。
「うわああ!」
 行き場のない感情を叫びながら。

 家に帰っても自分の部屋でずっと考え込んでしまった。
 咲と友美の死には私たち全員が責任を負わなくてはいけないような気がしていた。私や二人の家族、学校の皆んなに刑事。その全員が最終的には二人を死に追いやってしまったからだ。二人のいた日々はもう戻ってこない。それが悔しかった。

「ねえ、二人とも。どうしていなくなっちゃったの……」
 独り言だった。彼女たちがいなくなってしまった理由はなんとなくわかっていた。だけどどうしても納得することができなかった。

 咲が死んでしまった直後に夢で見た、地獄へ向かうと言っていた二人の安らかな声がなんとなく頭の中で再生された。どうして、あんなに安らかそうだったのだろう。気がついたら夢の中の話なのにどうしても真剣に考え込んでしまっていた。

 なんとなく思い立ってクローゼットの中に仕舞ってあった、咲から借りたままの衣服を取り出した。あれ以来着ることはなかったが、終ぞ彼女に返すことができなかった。それから更に思い返して、咲と一緒に買ったアクセサリーをタンスの中から取り出して机の上に置いた。

 私はなんて大切な時間を彼女たちから貰ったのだろうか。二人との思い出の品々とスマホに保存されていた写真の数々を眺めて、あの二人が生きていた時間は二人がどれだけ喧嘩をしていようと、二人から傷つけられようと大切な時間だったと思う。

 二人との日々を思い返して私は泣いた。泣いて泣いて、枕を濡らした。
 一通り泣き終えて咲から借りた服を見つめた。

 私は、彼女から借りたままだった服を今度こそ返そうと思い立った。

3

 翌日の正午過ぎ、私は借りたままだった服が入っている袋を持って、咲の家の前にいた。チャイムを鳴らす勇気が出せずに十分以上立ち尽くしていたら、先に玄関が開いた。中から出てきたのは咲のお母さんだった。
「どうしたの? うちに用があるのなら上がって」
 彼女は何気ない顔で私を招き入れてくれた。私はどんな反応をしていいのかわからず、無言のままで家の中へと入った。

 家の中に入るとそこには数ヶ月前には無かった咲の後飾りの祭壇が置かれていた。彼女が死んだという事実が私の心に再び迫ってきた。咲のお母さんは祭壇に手を合わせてから、キッチンの方へと向かった。私は部屋中を訳もなく見回してみた。よく見ると、未使用のダンボールが何枚もあり、引越し業者のロゴが書かれたダンボール箱にはいくつかの物が詰められていた。

 ダンボール箱に目を向けていると後ろの方から咲のお母さんが戻ってくる気配があった。
「ああ、ごめんなさい。目につくようなところにダンボールが置かれてて」
「いえ、大丈夫ですよ……、それよりどうしてですか?」
「うーん、今度引っ越すのよ。ここに居続けてもあんまり意味がない気がして……」
「そうだったんですね……」
 私は、咲が居なくなってしまってから、この家は大変だったのだろうとなんとなく察した。直接は聞けなかったがもしかしたら咲が事件を起こしたということがこの家や周りの関係を破壊してしまったのかもしれなかった。
 それからしばらくの間、この部屋が静かになった。私はただ、彼女の遺影を見ることしかできずにいた。咲の遺影は少しばかり微笑んでいる。
 先に話を切り出したのは咲のお母さんだった。
「最近の写真で笑ってるのが、これくらいしかなかったの。あの子の笑う姿をしばらく見ていなかったわ」

 咲のお母さんは用意したお茶を一口飲んだ。それから彼女の話は続いた。
「でも、最後の数日間はあなたのおかげで笑顔の咲を見ることができたわ。佐野さんには感謝してもしきれないわね」
 私の中で楽しそうな彼女の姿が思い浮かんだ。
「ありがとうございます」
 私は最大限の気持ちを込めて頭を下げた。私は、咲にどれだけのことをしてやれたのだろうか。頭の中でこの考えがずっと場所を取っている。私はそれを正直に咲のお母さんに言ってみることにした。
「今、こんなことになってしまって、私は、咲にどれだけのことができたのだろうって考えてしまうんです」
「いや、あの時の咲にとっては十分なことをしたのだと思うわ」
「それなら、それなら幸いです」
 私はまた頭を下げた。すると、彼女は何かに気づいたような顔をした。
「何か、あなたは心の奥で辛い物を抱えてる気がするわ。せっかくだから、どんなことを考えているのか教えてくれない?」

 そう言われて私は頭の中にあるモヤモヤの正体が何なのかわからなくなってしまった。
「じゃあ、こんなことになって辛かったことって何?」
 彼女が言い換えてくれた。言い換えてくれたおかげなのか、頭の中にあった物が噴き出てきた。いくつかの言葉が頭の中で再生される。

「なんも言わないのね、お前。この死神が!」

「これで少しは人の痛みがわかったか死神め」
「しーにがみ! しーにがみ!」

「今回の件で刑事さんや同級生から死神とかって言われたんです。事実そうかもしれないですよね。だって、私の友達だった二人が一斉に居なくなってしまったから。私は私のことを死神だってこれからずっと思うのでしょうか? 私のせいでこうなったのならば、私には大きな罪があるのでしょうか? それが頭の中でつっかえています……」
 咲のお母さんは私の答えを聞いて私のために真剣に返事を考えてくれた。
「あなたは別に死神でもなんでもないんじゃないかな。あなたは咲と友美ちゃんを助けようとしただけでしょ。どうして死神呼ばわりされなきゃいけないわけ?」
「それは、私が……」
「あなたが責められる筋合いは無いんじゃないかな。少なくとも私はそう思っているけど」

 この言葉を聞いて私は少しだけ心が軽くなった。今でも、この言葉が私を助けてくれている。彼女の話は続いた。
「咲が居なくなってから二ヶ月経って思うのは、本当は正しい人間なんてこの世のどこにも居ないんじゃないかって。みんなどこかでは正しいし、どこかでは間違っているんだよ。だから、あなたは死神ではないよ、きっとね」
「でも、世の中みんな正しくないのならば、だとしたらどうして私はこんなに苦しまなければならないの!」
 私は思わず叫んだ。すぐに冷静になってまた苦しくなってしまった。
「ごめんなさい……」
「いいのよ。こんなことになったら誰だって、苦しくなるよ。私もね、咲が居なくなってしまって今、とっても苦しいのよ」
 この時、私には彼女の目に涙が見えた。この時、彼女もまた苦しかったのだと思う。

 彼女は目をハンカチで拭うと再び話し始めた。
「私、ここ数日で咲も友美ちゃんもこんなことになったのは学校のせいもあるのかなと思ってね。実際のところはどうなのかわからないけど、そういう面もあるんじゃないかな」
 彼女の言葉を聞いて、私の中でぐちゃぐちゃになっていたものたちが少しずつ形を整えて言葉になり始めた。私の中でようやく言えそうな言葉が一つ見つかった。
「ありがとうございます。なんだか言いたくて言えなかった苦しいモヤモヤをようやく言葉にできそうです」
「そう、それなら良かったわ」

 私はここでようやく渡すべき物を渡そうと持ってきていた袋を差し出した。
「あの、これ前に咲から借りたままになっていた衣服です。今更かもしれないですが、お返しします」
 すると咲のお母さんは袋を受け取らなかった。
「これは、思い出としてあなたが持っていてください。その方がいい気がするの」
「そうですか。では、いただきます」
 私はそれを手元の方に戻した。

 日が傾き始めた頃に私は咲の家を出ることにした。
「じゃあ、気をつけてね」
 見送られた時、咲のお母さんは笑顔だった。
「本日はありがとうございました」
 私が頭を下げると彼女も頭を下げてくれた。
「いいのよ。また何かあったら連絡してね」
「はい、ではまた」

 帰り道で私は明日は学校に行こうと決めた。学校に行って真希ちゃんらと久しぶりに話がしたいと思った。それから、自分にできることを少しずつやっていこうとも思っていた。
 夕陽は既に落ちていて、辺りはほんのり暗かった。

4

 次の日、私は学校へと向かって全速力で自転車を漕いでいた。この数日の中では一番足取りが軽かったように思う。真希ちゃんと直接会って話がしたかったのだ。だが、久しぶりに教室に入るとそこはもう私の知っている教室ではなかった。机は綺麗に並んでおらず、クラスメイトの何人かは大きな声を上げて、ゲームか何かに夢中になっていた。また、一部のクラスメイトはその壊れてしまった空気が怖くてたまらなかったのか、死んだような顔をして机に突っ伏していた。私は自分の席を探したが、その席は既に壊されていた。同じように咲の座席だったらしき物も破壊されていた。どうして、こうなってしまったのだろうか。まるで彼らが抱えていた鬱憤が咲が居なくなったことで、表に溢れ出したような景色だった。私の存在に気づいたのか、クラスメイト達から壊れた状態に追い打ちをかけるような冷たい空気が伝わった。

 仕方なく、教室の隅にいるとやがて真希ちゃんが私の側までやってきた。
「久しぶり、由香里ちゃん!」
 彼女は私の存在を確かめると突然私を抱きしめた。その力はとても強かった。
「私、あれからずっと心配してたんだから……」
 そう言われると私は少しくすぐったい思いだったが、とても嬉しかった。
「ありがとう……」
 私はそう言うことで精一杯だった。それでも真希ちゃんに意思は伝わったようで、私のことを離すと彼女は安心したような顔をした。
「よかった、元気そうで」
 彼女は半泣きになりながらこう言った。彼女は話を続けた。
「友美ちゃんがあなたを襲ってから、どうだったの?」
 私は彼女にはちゃんと事の全てを伝えなくてはならないような気がしていた。だからこそ、私は自分の中で伝えられると思ったことを真希ちゃんに丁寧に説明した。彼女は何も言わずに私の話を聞いてくれた。
「そうだったのね……」
 説明を終えると彼女は少し寂しそうな顔をした。
「二人が死んじゃったと思うとやっぱり寂しいな」
 彼女は少しあっさりとした調子でそう言った。一瞬だけ私は彼女はなんて冷たいんだと思ったが、あっさりとした調子で言うのも仕方がないことだと私は考えを改めた。。なぜなら、彼女は二人の死を直接見てはいないから。死を見なかったことは良いことだと思う。私はそれを見てしまったせいで、未だに何かに囚われている。

 真希ちゃんが何かを言いかけた時だった。近くで誰かが舌打ちをした。舌打ちが聞こえた方を振り向くとクラスメイトの女子が私と真希ちゃんの会話を聞いていたようだった。それから少し大きな声でわざとらしく言った。
「かわいそうな人」
 その言葉が、私にとってはとどめだった。自分の中で無意識のうちに考えていたある事がついに噴き出した。
「かわいそう、だって?」
 私は彼女の顔を見る。彼女の顔はいかにも私のことを嘲笑していた。
「ええ、あなたはかわいそうな人よ」
 私は何も考えずに彼女の胸ぐらを掴みかかった。
「違う! 私はかわいそうでも何でもない! ただ、私は友美と咲、両方のただの友達! 二人にとって私は加害者であり被害者なの!」
 真希ちゃんを含め、周りにいたクラスメイトの何人かが慌てて私を宥めようとした。だが、それを私は無視して彼女の胸ぐらを掴み続けた。
「何よ、それ! 加害者でもあり被害者でもあるってどういうこと!」
 彼女は迷惑そうに言った。それでも私は訴え続けた。
「どういうことって、よくよく考えて! 私達が二人にしたことを。きっと、私達は加害者でもあり被害者でもあるんだ! 二人はもう居ない。だから本当のところはわからない。でもね、私達は決してそのどちらかという訳でないの。私達皆んなで二人を傷つけたし、二人に傷つけられたの。だから、自分は被害者だなんてこれぽっちも思わないで!」
「それじゃあ、まるで私まで悪いみたいじゃない!」
 彼女は半泣きで叫んだ。私ももしかするととんでもなくぐちゃぐちゃな顔になっていたのかもしれない。
「そう言っているんだ私は! 私達は皆んなで二人を失った罪を背負わなければならない! それは私達自身が招いてしまったこと。だから、この罪からは逃げられない!」

 この時の私は二人が居なくなったのは、この学校にあったヒエラルキーのせいでもあったと考えた。家族と上手くいかず、学校内ヒエラルキーの上位にいることに拘ってしまった友美。そのせいで、関わることそのものを疎まれてしまった咲。二人はナイフや孔雀といったものを頼って生きていくしかなかったのだと思った。だから私は叫び続けた。
「これは、私達が勝手に作って勝手に悩んだり困ったりしているヒエラルキーが招いたことよ! それに苦しんだ二人は心を壊して死んでしまった。だとしたら、二人が死んだことは私達全員が抱えるべき罪なのよ!」
 私は目が滲んで視界が悪くなっていた。それでも相手の女子がとても恐ろしげにこちらを見ていたことはわかっていた。
「はあ、あなたどうかしてる……」
「どうかしていて、結構! 私の心は死んだんだ! 二人が死んでしまった時に!」
「怖いよあんた……」
 その言葉を聞いた瞬間、ずっと耐えていたものがどうしてか耐えられなくなった。
「……ああ、ああ、うわぁ!」
 私はとうとう堪えきれなくなって泣き崩れた。周りは呆然として私のことを見つめていたように思う。やがて、事に気づいた先生が駆けつけた。
「おい、佐野何があった!」
 私は何も説明できなかった。様子を見ていた真希ちゃんが代わりに説明をしてくれたらしかった。
「わかった。とりあえずここじゃない場所に運ぼう。佐野、立てるか?」
 それからはあまり覚えていないのだが、私は先生と真希ちゃんに支えられて教室を後にした。この瞬間、クラスメイト達はどこか冷ややかな目を私に向けていたと思う。結局、私が言いたかったことはクラスメイト達には伝わらなかったのだろう。私は結局は一人でこの罪を背負うべきなのだと思った。
 この事がとどめとなって、私の心は完全に壊れてしまった。自ら抱えてしまったことに耐えられなかったのだと思う。しばらくの間は何もできず、どこにも行けなくなっていた。そうこうしている間にも時間は流れ、いつの間にか高校生ですらなくなった。あの時に私のことを呆然と眺めていただけのクラスメイト達とはそれきりになってしまった。

 二人を失ったことに整理がつけられずに時間だけが過ぎて三年が経った。


次回、第7幕


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