マガジンのカバー画像

「ソニー技術の秘密」にまつわる話

61
ここでは、ソニー株式会社の研究技術開発の要を果たし、「ソニー創成期の基礎技術」を確立させた 木原信敏 (きはら のぶとし) の著書『ソニー技術の秘密』に記された研究開発の歴史を振…
運営しているクリエイター

#ソニー

ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者が残した名著 〜 『ソニー技術の秘密』 にまつわる話を

■ ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者1946年 (昭和21)年に井深大、盛田昭夫により創設され、現在では世界的な大企業としてその名を世界に轟かせている ソニー株式会社(Sony Corporation) その創業期より数々の「世界初」「日本初」の製品を誕生させ、ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者がかつて存在していました。 1950 (昭和25) 年に発売された、国産初のテープレコーダー『G型テープコーダー』。 1955 (昭和30)年に、ト

井深大の秘蔵っ子といわれ、録音・録画文化の礎を築いた伝説の技術者 〜 東京通信工業 (現 ソニー) 新卒採用第1期生-木原信敏

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (1) モノづくりに心奪われた科学少年ソニー創業者の一人井深大 (いぶか まさる、1908 - 1997)の秘蔵っ子といわれ、日本のメカトロニクス機器の原点ともいえる、1950年に誕生した日本初のテープレコーダー『G型』を始め、数多くの「日本初」「世界初」の製品開発に携わり、ソニーを技術面で支え続けた伝説の技術者・木原信敏 (きはら のぶとし、1926 - 2011) 1926 (大正15)年、東京・中野で誕生した木原は、幼少の頃より『科

文字を電波に乗せ送信、ドイツで開発されたテレックスやFAXの原型 〜 『ヘルシュライバー (鍵盤模写電信機)』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (2) テレックスやFAXの原型『ヘルシュライバー』現在のFAXのように、文字を電波に乗せ送信し印字する機能を持つ文字通信装置の一種『ヘルシュライバー (鍵盤模写電信機)』は、1929年 (昭和4年) に誕生した「メッセージ伝送装置」でした。 発明者であるドイツの ルドルフ・ヘル (Rudolf Hell) にちなんで名付けられたこの装置は、文字を小さな点に分解し電話または電波を通して送信、受信の際は紙テープの上にドットプリンターの要領で

細い針金に音を記録、磁気録音機の元祖 〜 『ワイヤーレコーダー (鋼線-こうせん-式磁気録音機)』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (3) 磁気録音機の元祖『ワイヤーレコーダー』1898 (明治31) 年に、デンマークの ヴォルデマール・ポールセン (Valdemar Poulsen) によって開発された「テレグラフォン (Telegraphone)」が原型となる『ワイヤーレコーダー』は、その名の通り、細い針金状のステンレスワイヤーに、磁気記録の形で音声を記録する「磁気録音機の元祖」と称される機械でした。 日本では 1934 (昭和9) 年頃から、逓信省電気試験所や東

GHQの将校から知らされた、テープを巻いて音を出す機械とは?〜未知の機械「テープレコーダー」開発に着手

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (4) GHQの将校から知らされた 「テープレコーダー」 の存在1949 (昭和24) 年6月、 東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) の技術者として採用された木原信敏の手によって開発された『ワイヤーレコーダー』は、製品化を目前にステンレス製ワイヤーの加工に必要な (会社が倒れかねないほど高額な) 「ダイヤモンドダイス」の購入が必要とわかり、ソニー創業者の一人・盛田昭夫が社運をかけて購入を決断します。 『ワイヤーレコーダー』開発のお

フライパンとしゃもじで磁性粉を作成!? 国産初 『テープレコーダー』 開発の第一歩 〜 音の出る紙 『ソニ・テープ (Soni-Tape)』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (5) どうすれば磁石の粉が作れるのか?GHQの将校が東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) に持ち込んだ未知の機械「テープレコーダー」の音や操作性に感銘を受けたソニー創業者・井深大と盛田昭夫は「テープレコーダー」の開発を決意。入社2年目となった木原信敏にその開発が託されることになります。 「テープレコーダー」開発決断のお話はこちら↓ 1950 (昭和25) 年に入ると、東通工で生産される「テープレコーダー」に使用する「磁気テープ」

東通工 (現ソニー) 念願の「録音できる機械」製品開発の可能性を実証! 〜 『簡易試作テープレコーダー』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (6) 『簡易試作テープレコーダー』を制作1949 (昭和24) 年6月、 東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) 入社2年目を迎えた技術者・木原信敏は、ソニー創業者の一人・盛田昭夫と共に、東京・神田の薬品問屋街で手に入れた「蓚酸 (しゅうさん) 第二鉄」を、フライパンでしゃもじで煎って作成した磁性粉 (磁石の粉) を8㍉幅の紙テープに塗布した自作「磁気テープ」の録音再生のテストをするために、簡単な装置を組み上げます。 フライパンが活

海外機器の研究から得た情報とノウハウを集結〜東通工 (現ソニー) 製 『試作1号機』 テープレコーダー

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (7) テープの巻き取り方法フライパンでしゃもじで煎って作った磁性粉を塗布した「磁気テープ」を使った 『簡易試作テープレコーダー』での録音再生テストで音出しに成功した東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) 入社2年目の技術者・木原信敏は、東通工での製品化を意識した『試作1号機』テープレコーダーの開発に取り掛かります。 木原お手製の『簡易試作テープレコーダー』のお話はこちら↓ 『ワイヤーレコーダー』研究の経験から、機構部分や増幅部分の

販売苦戦を強いられた東通工 (現ソニー)による国産初のテープレコーダー 〜 『GT-3型 テープコーダー(Tapecorder)』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (9) 『GT-3型 テープコーダー』一般市販開始東京通信工業 (現ソニーの前身、以下 東通工) 入社2年目の若き技術者・木原信敏の手により開発された国産初のテープレコーダー『G型』は1950 (昭和25) 年8月に完成。 東通工創業時よりの悲願であった「大衆向けの新しく独特な商品」の完成に、社内の誰もが「素晴らしい機械が完成した。これは売れる!」とその販売成功を信じていました。 『G型』テープレコーダー試作機のお話はこちら↓ 東通工

東通工 (現ソニー) による国産2台目にして、既に録音再生機器の基本となる多機能を備えた 〜 『A型』テープレコーダー試作機

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (11) 日本のメカトロニクス機器の原点ともいえる、国産初のテープレコーダー『G型』の開発と、ほぼ同時期に東京通信工業 (現ソニーの前身、以下 東通工) 入社2年目の若き技術者・木原信敏によって研究開発が進められていた機器がもう一つありました。 それが、一般家庭への普及を念頭に製作された『A型』テープレコーダーでした。 国産初のテープレコーダー『G型』開発のお話はこちら↓ 小型化を目指した『A型』テープレコーダー 『G型』テープレコー

ソニーの伝統となった、伝説の合同設計会議 〜 『H型』テープレコーダー試作機

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (12) 「日本初のテープレコーダーができたのだから、 飛ぶように売れるに違いない」 1950 (昭和25) 年5月、ソニー創業者の井深大、盛田昭夫 はじめ、東京通信工業 (現ソニーの前身、以下 東通工) の皆が国産初となるテープレコーダー『G型』の完成を喜んだのも束の間、いざ販売を始めてみると、目算とは大違い、「面白い、便利だ」とみな驚き、一様に注目するものの、誰も「買おう」とは言ってくれない苦境に立たされてしまいます。 販売に苦戦す

盛田昭夫によるテープレコーダー解説書 〜 『テープ式磁気録音 - テープコーダーとはなにか? 』 盛田昭夫 著 1950 (昭和25)

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (13) 1950 (昭和25) 年当時の日本では、放送局等ごく一部での輸入された物を除いて、「テープレコーダー」の使用方法どころか、存在そのものが、一般的にはまだ認知されていませんでした。 当然、国産初のテープレコーダーとして開発された東通工 (現ソニー)製の『G型テープコーダー』も、一般消費者から見ればまだまだ「未知の機械」にすぎなかったのです ソニー創業者の一人盛田昭夫は、約40kgの大きな筐体の『G型』テープレコーダーを自ら担い

視聴覚教育の需要に応え、教育現場に広く普及。 柳宗理 による日本初のインダストリアル・デザインを採用 〜 『H型』テープレコーダー

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (14) 家庭への普及を目標に、東通工の技術者・木原信敏の手によって開発された『A型』テープレコーダーを原型として開発された『H型』テープレコーダーは、熱海の旅館によりすぐりの技術者を缶詰め状態にすることで、短期間で完成、国産初のテープレコーダー『G型』発売から一年を待たずに、1951 (昭和26) 年3月に正式に販売が開始されました。 「家庭に入る品物は、 デザインとしても秀逸であって欲しい」 というポリシーの元、『H型』テープレコー

最適な視聴覚教育機材として進化! 更なるコストダウンで大きく普及!日米統一規格に対応した普及型 〜 『P型』テープレコーダー

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (15) 1951(昭和26)年5月、 視聴覚教育の需要に大きく応え、学校を中心に教育現場で広く活躍し始めた『H型』テープレコーダーの後継機として、東通工 (現ソニー)の技術者・木原信敏は既に次の製品開発に取り掛かっていました。 「H型の後継機としてさらに安い普及品を作ること」 を目的として、木原は『P型』テープレコーダーの開発に着手、急ピッチで試作が進められていたのです。 どうすれば、より安くできるか? 販売台数の増加による大量生