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東通工 (現ソニー) 念願の「録音できる機械」製品開発の可能性を実証! 〜 『簡易試作テープレコーダー』

ソニー技術の秘密にまつわる話 (6)

『簡易試作テープレコーダー』を制作

1949 (昭和24) 年6月、
東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) 入社2年目を迎えた技術者・木原信敏は、ソニー創業者の一人・盛田昭夫と共に、東京・神田の薬品問屋街で手に入れた「蓚酸 (しゅうさん) 第二鉄」を、フライパンでしゃもじで煎って作成した磁性粉 (磁石の粉) を8㍉幅の紙テープに塗布した自作「磁気テープ」の録音再生のテストをするために、簡単な装置を組み上げます。

フライパンが活躍する「磁気テープ」開発のお話はこちら↓
テープから音を出すために、絶対に必要なものはヘッドと記録再生回路です。急ぎの実験をするのであれば、これだけあれば音は出ます。メカはいりません。
テープは手で引っ張りながらヘッドの前で擦れば記録再生できます。
このような乱暴なテストをしてでも、次から次へとテープのサンプルの判定を急ぎました。
のんびりと測定などをしていられる職場の雰囲気ではありませんでした。
井深さん、盛田さんたちが、しょっちゅう顔を覗かせては、この材料はどうだ、この刷毛はどうだ、この紙はどうだ、この糊はどうだ、と言います。
ありがたいことですが、私は蓚酸第二鉄に絞り込んで、なんとか音を出そうと、カットアンドトライ(試行錯誤)的な実験を進めるのに懸命でした。


ソニー技術の秘密』第1章より

木原は、78回転電蓄用フォノモーター仕様のターンテーブルを加工、これでテープを回しエンドレスに回転するようにし、これをみかん箱に取り付け、さらに手製のマイクやヘッドを取り付け、『ワイヤーレコーダー』研究の際に使用していた記録回路を流用し『簡易試作テープレコーダー』を完成させます。

ヤスリで磨きヘッドを自作

録音再生用のヘッド部分には特に力を入れ、パーマロイの板材から手作りしてしまいます。

" C型をした芯材の片方に細い電線を巻き、C型の隙間から磁力線が出るようにする。ただしその隙間を100分の1㍉以下にしなければならない。"

ソニー技術の秘密』第2章より

精密な作業が必要な工程ですが、向かい合わせた磁極に包丁研ぎの要領で、数十ミクロンの隙間をヤスリで磨き与えることは、幼少期から砥石の使い方を身に付けていた木原にとっては、さほど難しいことではなかったようです。

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即席組み立ての簡易な装置ではありましたが、木原はこれに、5メートル程の紙製自作「磁気テープ」の両はしを繋ぎ合わせてエンドレスに繋ぎ、録音再生の実験を行います。

「本日は晴天なり」

最初の録音、再生テストでは木原の声を実際に吹き込み、見事成功。

これが日本で最初のテープレコーダーによる録音再生だったのです。

盛田昭夫と訪れたまだ焼け跡の残る東京・神田の薬品問屋街で、「蓚酸第二鉄」の試薬ビン2本を手に入れてから僅か数日の出来事でした。

われわれのつくるものは、これしかない

この『簡易試作テープレコーダー』での録音テストに立ち会っていた、井深大、盛田昭夫を始めとする関係者たちは、「テープレコーダー」開発の目処が立ったことに喜び、思わず手を取り合い、子供のようにはしゃぎ、嬉し泣きに泣いたそうです。

東通工を立ち上げた井深大、盛田昭夫の両氏にとって「録音できる機械」を開発することは創業当初からの大きな目標でした。

特に、軍や役所、放送局から与えられた「仕様書による機器」を作り続けていた井深大は、「大衆に直結する商品」をつくることを常に考え、ラジオの制作を検討し、『ワイヤーレコーダー』を研究する中、東通工独自の技術力を発揮し「独創性」と「創造性」を加えた「大衆向け」の製品開発の可能性を、初めて見た「テープレコーダー」に見出し、

「われわれのつくるものは、これしかない」

と考えていました。

木原の手によって組み立てられた『研究用録音再生機』とも呼ばれた 『簡易試作テープレコーダー』によって、わずか短期間で想定よりもはるかにクリアな音での録音再生が実現できたことから、東通工は

「テープレコーダーという製品をつくる」

という目的意識を再確認し、テープレコーダーの製造販売に向けて大きく舵をとることになり、木原は製品化を意識した本格的なテープレコーダー試作機「試作1号機」開発に力を注ぐことになるのです。

「試作1号機」開発のお話はこちら↓

文:黒川 (FieldArchive)


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