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細い針金に音を記録、磁気録音機の元祖 〜 『ワイヤーレコーダー (鋼線-こうせん-式磁気録音機)』

ソニー技術の秘密にまつわる話 (3)

磁気録音機の元祖『ワイヤーレコーダー』

1898 (明治31) 年に、デンマークの ヴォルデマール・ポールセン (Valdemar Poulsen) によって開発された「テレグラフォン (Telegraphone)」が原型となる『ワイヤーレコーダー』は、その名の通り、細い針金状のステンレスワイヤーに、磁気記録の形で音声を記録する「磁気録音機の元祖」と称される機械でした。

日本では 1934 (昭和9) 年頃から、逓信省電気試験所や東北大学などで、磁気録音の研究が活発に行われるようになり、日本電気 (現NEC) 製の『MR-1型(0.1㍉のピアノ線4kmを使用し、最大で60分の録音に対応) 』をはじめ安立電気 (現アンリツ) などが、軍用の機械として『ワイヤーレコーダー』を作るようになっていました。

後にいくつかアメリカ製の市販商品も出回るのですが、やはり一般への普及には至らず、国内においては、いわば幻の録音機でもあったのです。

大衆向けの新しく独特な商品を目指して

当時ラジオは多くのメーカーから発売され、一般にも広く普及されるようになっていたこともあり、東京通信工業 (現ソニー、以下 東通工) では創業時より「大衆向けの新しく独特な商品」を模索していました。

この時、磁気録音機の制作を自身でも挑戦し、その将来性を強く感じていたソニー創業者の一人・盛田昭夫 (もりた あきお、1921 - 1999) は、アメリカ人の友人から実際の『ワイヤーレコーダー』を見せられ、

われわれとしては初めて接する物であったが、自分の声がすぐ録音されて聞こえるということは、なんといっても面白い。これなら日本でも普及するに違いない ”

学歴無用論』ソニーの歩みより

と、考え、東通工での「大衆向けの新しく独特な商品」の栄えある第1号製品として『ワイヤーレコーダー』開発を決意します。

1948 (昭和23) 年9月、
『ワイヤーレコーダー』をきっかけに「磁気録音機」を研究課題とした東通工では、当時日本電気に在籍していた、多田正信 (ただ まさのぶ・後ソニー取締役) が所有する『ワイヤーレコーダー』を入手し、製品化に向けての検討をはじめます。

東通工での『ワイヤーレコーダー』研究

入社一年半を迎えていた木原信敏は、履歴書に書かれたメカと電気の両方を知っていることや、後にNHKの実験放送が始まった頃に自作でテレビを作ってしまうほどの器用さを、当時の経営陣であった井深大や盛田昭夫に早くから評価されていたことから、この『ワイヤーレコーダー』研究を任されることになり、機構の複雑さ、動作の面白さ、記録の電気回路の斬新さに惚れ込み、回路図から配線部分をたどり動作の仕組みを全て確認していきます。

“ 早速、私が呼び出され、
「君、この録音機を研究してくれないか」
と機械を手渡されました。
私も新しいものにはなんにでも興味津々ですから、ワクワクしながらこの録音機の電源を入れ、説明書を見ながら働かせてみました。
軍用の機械だとは聞いていましたが、とても頑丈にできていて、転換機ハンドルなども非常に重く、固いので、女性や子どもにはとても動かせないのではないかと思いました。しかも磁気録音用のワイヤーは、錆予防の油が染み込ませてあるため、機械中が油だらけでした。
しかし、私にとっては貴重な興味の対象であり、私は、機構の複雑さ、動作の面白さ、さらに記録の電気回路の斬新さに、ぞっこん惚れ込んでしまいました。
それに機構部を調べてみても、疑問に思うようなこともなく、また回路図から配線部分をたどりながら動作を確認して、すべてを理解することができました。


ソニー技術の秘密』第1章より

同じ頃、盛田昭夫がアメリカの友人を介して、ウェブスター・シカゴ社(Webster Chicago Corporation)製ワイヤーレコーダーキット (ワイヤーを駆動する機械部分のみのもの) を入手。

このウェブスター・シカゴ社製キットで使用されていたワイヤーは、鋼の線ではなく、 "1818ステンレス" を直径約0.1㍉の線にしたもので、木原が研究を始めていた日本電気製のワイヤーレコーダーよりも音質性能が良かったことから、すぐに研究対象を変更し組み立てを開始します。

キットはワイヤーを駆動するメカ部品だけでしたので、電気部品は自作しなければなりません。
回路は五球スーパー程度の簡単なものでしたから、早速神田に行って、シャーシ、スイッチ、トランス、真空管、抵抗コンデンサーなどを買い揃えてきました。
すぐに組み立て配線をして調整をしましたが、高周波の発信器の周波数とパワーが適合していないようなので、発信コイルの巻き替えを何度か試し、やっと記録再生ができるようになりました。
それから後は着々と性能が上がりましたが、回路の配線の難しさを嫌というほど味わったのは、これが初めてでした。


ソニー技術の秘密』第1章より

東通工製『ワイヤーレコーダー』完成、しかし...

1949(昭和24)年2月、
キットに含まれていなかった電気的な部分が木原の手により自作され、録音可能な機械として仕上げられ、ワイヤーレコーダーキットの組み立てと調整を完了します。

しかし、完成したキットを見た 盛田昭夫 から

「こんなでっかいのではなく、
ポータブルなものはできないか」

との新たな注文を受け、

1949 (昭和24) 年3月、
木原は、小型のポータブルな『ワイヤーレコーダー』として改良を加え、これを完成させます。

ところが、この『ワイヤーレコーダー』製品化のための量産については、ステンレス製のワイヤー製造が可能な工場が当時の日本国内には存在しておらず、自社での製造を実現するために、このステンレス加工に必須な「ダイヤモンドダイス」の購入を検討することに。

当時の東通工の資金力では、倒産しかねないほど高価な3個のダイヤモンドダイスを、盛田昭夫 は「借金してでもやろう」と決断しますが、直後にテープレコーダーの研究開発を始めることで購入には至らず、『ワイヤーレコーダー』開発はそのまま頭打ちとなってしまうのでした。

そして、いよいよ木原はテープレコーダーの開発に着手します。しかし、現物はもちろん資料も何もない状態からのスタートでした。↓

文:黒川 (FieldArchive)


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