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#テープレコーダー
フライパンとしゃもじで磁性粉を作成!? 国産初 『テープレコーダー』 開発の第一歩 〜 音の出る紙 『ソニ・テープ (Soni-Tape)』
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (5) どうすれば磁石の粉が作れるのか?GHQの将校が東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) に持ち込んだ未知の機械「テープレコーダー」の音や操作性に感銘を受けたソニー創業者・井深大と盛田昭夫は「テープレコーダー」の開発を決意。入社2年目となった木原信敏にその開発が託されることになります。 「テープレコーダー」開発決断のお話はこちら↓ 1950 (昭和25) 年に入ると、東通工で生産される「テープレコーダー」に使用する「磁気テープ」
販売苦戦を強いられた東通工 (現ソニー)による国産初のテープレコーダー 〜 『GT-3型 テープコーダー(Tapecorder)』
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (9) 『GT-3型 テープコーダー』一般市販開始東京通信工業 (現ソニーの前身、以下 東通工) 入社2年目の若き技術者・木原信敏の手により開発された国産初のテープレコーダー『G型』は1950 (昭和25) 年8月に完成。 東通工創業時よりの悲願であった「大衆向けの新しく独特な商品」の完成に、社内の誰もが「素晴らしい機械が完成した。これは売れる!」とその販売成功を信じていました。 『G型』テープレコーダー試作機のお話はこちら↓ 東通工
問合せ殺到!? テープレコーダーの認知度を高めた、東通工 (現ソニー) 初の ″宣伝広告” 〜 『毎日グラフ』 1950 (昭和25) 年3月15日号
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (10) 松竹映画女優 西条鮎子 が表紙を飾る『毎日グラフ』1950 (昭和25) 年3月15日号では、東京通信工業 (現ソニーの前身、以下 東通工) 初の”宣伝広告”として当時開発中だった国産初のテープレコーダー『G型』開発状況の取材記事が「ものをいう紙」というタイトルで紹介されました。 ” 毎日新聞社が発行している『毎日グラフ』の昭和25年3月号には、A型、G型、ソニ・テープなどの開発状況の取材記事が掲載されました。 東通工にとって初
盛田昭夫によるテープレコーダー解説書 〜 『テープ式磁気録音 - テープコーダーとはなにか? 』 盛田昭夫 著 1950 (昭和25)
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (13) 1950 (昭和25) 年当時の日本では、放送局等ごく一部での輸入された物を除いて、「テープレコーダー」の使用方法どころか、存在そのものが、一般的にはまだ認知されていませんでした。 当然、国産初のテープレコーダーとして開発された東通工 (現ソニー)製の『G型テープコーダー』も、一般消費者から見ればまだまだ「未知の機械」にすぎなかったのです ソニー創業者の一人盛田昭夫は、約40kgの大きな筐体の『G型』テープレコーダーを自ら担い
視聴覚教育の需要に応え、教育現場に広く普及。 柳宗理 による日本初のインダストリアル・デザインを採用 〜 『H型』テープレコーダー
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (14) 家庭への普及を目標に、東通工の技術者・木原信敏の手によって開発された『A型』テープレコーダーを原型として開発された『H型』テープレコーダーは、熱海の旅館によりすぐりの技術者を缶詰め状態にすることで、短期間で完成、国産初のテープレコーダー『G型』発売から一年を待たずに、1951 (昭和26) 年3月に正式に販売が開始されました。 「家庭に入る品物は、 デザインとしても秀逸であって欲しい」 というポリシーの元、『H型』テープレコー
アメリカと同じやり方では満足いくものはできない! 肩がけ可能で「街頭インタビュー」に最適、日本初のポータブル第一号機 〜 『M型』テープレコーダー試作機
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (16) 教育機関での予算に合わせたコストダウンを実現し、音質や音量も向上した『P型』テープレコーダーは、「視聴覚教育機材」として最適なものとなり、1952 (昭和27) 年頃の、学校をはじめとする教育分野を中心に、大きく普及することに成功していました。 しかし、『P型』テープレコーダーは小型で軽量となったとはいえ、使用できる場所はAC電源のある場所のみと限られていました。 1951 (昭和26) 年頃には既にNHKでもスタンシル・ホフ