音楽は褒め育て
アイルランドなどの民俗音楽は、人々の暮らしの中で娯楽として楽しまれてきました。演奏する人も聴く人も、ただただ楽しむばかり。私がこの音楽を習い始めたとき、厳しい決まりごとやヒエラルキーがなく、肩の力の抜けた気楽な音楽の世界っていいなと思いました。
褒める文化
フィドルのピート・クーパー先生は、レッスンの時、いつも生徒みんなを褒めて励ましていました。そうすると、リラックスできて自然と楽しい雰囲気になります。先生は、年季の入った先生だけあって、生徒を褒めてモチベーションを上げるのがとても上手かったです。
音楽を聴く側も同様です。私が人前で弾くようなことがあれば、「あなたの演奏よかったわ、ありがとう。」とわざわざ言ってきてくれる人が必ずといっていいほどいました。音楽に限らず、外国に行った人なら誰でも、こうした「褒められ」体験をするのではないでしょうか。
日本でも教育の場で褒め育てを取り入れてきた
私が最後に教わったクラシックヴァイオリンの日本の先生は、特にけなしはしないけど、決して褒めない厳しい先生でした。習い事に限らず、当時は、学校でも家でも、褒めるとその人に慢心が芽生え、甘やかしてしまうという考え方がありました。
けれども、1990年代ごろから教育現場と家庭で、子供を褒め育てようという風潮に変わりました。今の20代の方はそのように育ってこられたのではないでしょうか。それより上の年代の人は、人を褒めたり、褒められたりした経験があまりないかもしれません。こうした世代による文化ギャップがあるかもしれません。
私が2020年にオンラインコンペティションでソロ部門で金賞を頂いたとき、その審査内容を公表したら、「外国人のお世辞を真に受けてバカみたい」という人がいたようです。褒められることに慣れていない世代にとって、褒めるのが当たり前の文化は理解しがたいものかもしれませんね。
音楽をよくしようとダメ出しするのはかえって逆効果?
日本では、「そんなのアイリッシュじゃない」「あんな演奏は好きじゃない」「それは地域のスタイルじゃない」「あの人はインチキだ」「あんな伴奏をするなんてけしからん」「音楽へのリスペクトが足りない」などといった意地悪な意見がよく聞かれます。なぜでしょう?
それを言った本人は、アイルランド音楽を愛するあまり、日本での音楽がもっとよくなるようにと、親切心から「ダメ出し」したつもりなのかもしれませんが、言われた人や周囲の人はびっくりしてしまいますよね。
「ダメ出し」ができるくらいこの音楽に対して一家言ある人物だと自分自身で錯覚してしまうと行為はさらにエスカレートしていきます。ある人に粘着して嫌がらせをしたり、のけものにしようと呼びかけたり、人格否定までする人までいます。こうなると完全にハラスメントです。趣味の世界といえども、許されることではありません。
音楽モラルハラスメントには助長しないことが大切
自分が取り組んでいる音楽に対しての愛情は、他の人に負けないくらい持っていると、誰しもが思っています。音楽に対しての意見はどんな人も持ち合わせています。しかし、たいていの人は、マイナスなことに関しては、それを公言したところでどうなるだろうと考えて、普通は何も言わずにいます。
音楽モラルハラスメントは、これからやってみようという新しい人を遠ざけるのに絶大な効果があります。「そういうあなたは、いったい何様?」というような発言をSNSなどで見かけたら、少なくとも、同調しないことはできます。
活気ある楽しい音楽の環境作りをしていきましょう。
転載禁止 ©2024年更新 Tamiko
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モラルハラスメントという言葉を世に紹介した書。モラルハラスメントをする人は、職場や家庭でも常習犯です。音楽でもモラハラ許すまじ。必読の書。
『社会契約論』などを書いたルソーが文壇からモラハラに会い、孤立させられ、自然に慰みを得て、内省を深めていった一冊。彼は家庭の事情から自分の子供を孤児院に入れています。そのことが彼の才能に嫉妬するモラハラの恰好の攻撃ネタとなりました。つまり、子供嫌いな悪魔が書いた哲学教育書『エミール』は読むに値しない、とネガキャンが展開されたのです。ルソーの行く先々で「決して付き合ってはいけない人」といつもすでに手が回っていて、友人を含む多くの人がモラハラに盲従するのに、彼はほぞ噛む思いをします。
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