スルースキルについて

スルースキルって、庇ってくれる仲間の多い人や多数派に属す人や有利な立場にいる人にとっては有用で、当たり障りなくしていれば事態が好転する事もあり、確かに使えるスキルの様な気がします。その人に経済面や健康面などの余裕が十分あればスルースキルで大抵の事は乗り越えられると思いますが、現実的には今の時代にそういう人はあまり多くはないかもしれません。

また見方を変えれば、スルーとは元々余裕のある人がただ面倒ごとを避けているだけに過ぎないとも言え、場合によっては問題が悪化していくリスクもあり、スルースキルは決して万能ではありません。

逆に孤立した人や少数派に属す人、不利な立場にいる人にとってはジリ貧で、誰か(の悪意や攻撃など)を受け流しスルーし続けようとしてもそれは容易でなく、風向きが変わらなければいつか押し潰されてしまう可能性があるのではないでしょうか。

以上をまとめると、問題に直面している人の周囲が本人にスルースキルを求めたとして、本人がスルーしてそれで事態が改善しやすいのは

①「スルー対象」と「本人」の力関係が対等であるか、「本人」の方が強い

②「スルー対象」が単体または多くない、または本人の属するグループが圧倒的多数か優勢の状態

という条件のどちらかは最低限整っていないと、既に問題に直面している人が周囲からスルースキルを求められても、それが新たなプレッシャーにもなり、なかなか事態は改善しにくいのではないでしょうか。

上に挙げた条件に該当しない例としては、

➀’「スルー対象」=「姑」、「自分」=「嫁」、これは目上の相手なので無視できず、対処が難しい為にお嫁さんが全てをスルーできなくても仕方ない。

②’旦那さんがお嫁さんの味方をしてあげて「姑」一人に対して夫婦二人で向き合う構図を作ることが必要で、そうでないと旦那さんがお嫁さんに「スルースキル」を求めるのはおかしい。

といった感じになります。

同様にパワハラ上司に対しても、いじめっ子に対しても、助ける力もない周りの人が「孤立した被害者」本人の方にスルースキルを求めるのはおかしいと言えます。

また➀②の条件に拘わらず、一見強そうで成人している人であっても、意外と孤立的な境遇や生い立ちがあったり、メンタル的に孤独を抱えている人や、社会的弱者や過大なストレスやプレッシャーを抱えている人に対しても、スルースキルを求めるのは酷なケースがあるでしょう。

そもそもスルーされた人が逆上して逆効果になるリスクも無いとは言い切れません。問題に直面している当事者に、外野がスルースキルを求めるのはおかしいと言っても過言ではないかもしれません。

一方そういった人間関係の問題が生じている事に周囲の人が気づいたら、その時はスルーすべきでしょうか?可能であればそれはスルーせず、その問題に気づいているという意思表示くらいはした方がいいかもしれません。損得勘定などして見て見ぬフリを続ければ、「助けてくれない冷たい人」に映ってしまうし、この場合のスルーも無責任であると言えるかもしれません。

この様に、たとえ時にスルースキルが有用であろうとも、スルースキルにばかり頼るのは、共感性や思いやりに欠けている人かもしれません。無視されている人を傷つけるかもしれません。また困っている人を見殺しにしかねず、逆に問題を大きくするなって手遅れになるリスクもある、危険で無責任な考え方なのかもしれません。

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