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運転席より心を込めて

外を歩くときは、イヤフォンをしていることが多い。

いきなり鳴る大きな音や、必要以上に大きな声で話すひとが苦手という理由もあるが、風景に合わせた音楽を聴くのが好きだからだ。

快速電車に乗るときは、高確率でスピッツの「快速」を聞く。
風景というより、電光掲示板の「快速」の文字に条件反射を起こしているだけかもしれない。

だから、駅や公共交通機関のアナウンスをちゃんと聞くことはあまりない。

しかし、たまたまイヤフォンを忘れたり落としたりで、耳に入ってきたアナウンスにハッとさせられたことがある。

横須賀美術館から帰るときに乗った、京浜急行バスでの出来事。

横須賀市や鎌倉市を走るごく普通の路線バスで、わたしが乗ったのは横須賀線の終着駅、JR横須賀駅~観音崎を走行する路線だ。

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おおまかに、茶色の線上を約1時間かけて走行している。観音崎に近づくにつれ、車窓はオーシャンビューになる。
地図を縮小すると表示されなくなるJR横須賀駅よりも、京急横須賀中央駅の方が、実際にも栄えている。

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観音崎は神奈川県のこのあたり

ご乗車ありがとうございます、という定型アナウンスのあとだった。

「横須賀駅まで長時間の運行となりますが、安全運転に努めてまいります。ご案内は湘南京急バス堀内営業所、〇〇でございます。また横須賀にお越しの際は、どうぞ湘南京急バスをご利用ください。運転席より心を込めて」

う、運転席より心を込めて・・・?

路線バスの運転席から心を込められることある・・・?

空港からのリムジンバスにも言われたことないのに!!

あまりに意表を突いたアナウンスで、一言一句記憶してしまっていた。

横須賀美術館には何度か行ったことがあるものの、あふれ出るホスピタリティの運転士さんに遭遇したのはこの一度だけだった。
一歩間違えればうさんくさく聞こえるかもしれないけれど、喧騒から離れた横須賀の海と空には、とてもよく合う詩的なアナウンスだった。

この運転士さん、前職か前世はホテルマンかFMラジオのパーソナリティだろうか。落ち着いたトーンの聞きやすい声だった。

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横須賀美術館の屋上から見える海

一方、わたしがふだん通勤に使う路線バスが繋ぐのは、駅と山頂のわずか20分くらいの距離。この路線の運転士さんは、だいたい寡黙でテンションが低い。乗客も、通勤や通学の行き帰りのひとが多く、きわめて静かだ。

停留所案内は、自動音声が流れる。

運転士さんは、喋ったとしても

「っしゃしまぁ、ぉつかまりくださぁ」
(=発車します、おつかまりください)

「がりまぁ、ほちゅういくだぁ」
(=曲がります、ご注意ください)

と湯気のように消えていきそうな声である。

先日、鞄からイヤフォンを取り出したとき、どこかに引っ掛かってイヤーピースを落としてしまった。バスに乗り、「またやっちまったぜ・・・」としょんぼりしていたとき、運転席から聞こえてきたアナウンスに耳を疑う。

「こんばんは、本日も一日お疲れ様でございました。このバスは〇〇経由、▲▲行きです」

この路線バスは長く使っているが、こんなアナウンスは初めてだった。

元気百倍、とまではいかないものの、足湯のような、めぐりズムをあてたときのような、寒い日に帰ってきて口にしたひとくちめの味噌汁のような、凝り固まった部分がじんわりとほぐされるような感覚があった。

この運転士さん、前職か前世は執事だろうか。運転士さんもお疲れ様です。

「本日もご乗車ありがとうございます」「〇〇バスをご利用いただきありがとうございます」と通りいっぺんの御礼を言われるよりも、響く。

日常的に使う公共交通機関にホスピタリティはさほど求めていなかったので、ささいなアナウンスが日常の中の非日常となった。

そういえば、バナナマンの設楽さんがかつて西武鉄道で駅員のアルバイトをしていたとき、バレない程度に「白線の内側にふせて・・・お待ちください」などのふざけたアナウンスをしていた、と聞いたことがある。

そういうのは、ぜひ聞きたい。むしろ、聞き逃したくない。

おもてなし体質の運転士さんが込めた心を受け取れるように、たまにはイヤフォンを外すのもいいな、と思った。

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