おもいめぐらす誕生日
先日、母が誕生日を迎えた。
全部食べきれないかもと思い、日持ちのするパウンドケーキを買っていった。
すると、めずらしく父もホールケーキを買ってきていた。
洋生菓子の扱いには慣れていない父。
そうめんの木箱と竹ひごを組み合わせて、鳥かごを自分でつくってしまうくらい器用なのに。
箱を開けたら、バースデーケーキの「バースデー」たる部分を担うプレートが、前面に伏せていた。
おそるおそるめくってみたが、天面のコーティングはおろか、ムースもはがれてしまった。
ケーキのふもとにはブルーベリーがいい感じに散りばめられていたが、これもおそらく、限りなく事故に近い奇跡である。
プレートは大事な部分が伏せ字のようになっているものの、結果「おめでとう」と読める奇跡。
もしかしたら
「お(もいがけない)おめでとう」
「お(ににかなぼう)おめでとう」
「お(もうぞんぶん)おめでとう」
「お(うごんじだい)おめでとう」
かもしれない。
あ、
「お(おいずみよう)おめでとう」
かもしれない。
ついてしまったクリームとムースをフォークでこそぎ落としたら、やっぱり「たんじょうび」が出てきた。
たのしい。
スクラッチタイプのバースデープレート、たのしい。
わざわい転じて、愉快。
ささいなお祝いや記念日に急にケーキを買っていって「え?今日はなんのお祝い?」と、プレートのスクラッチを削るまで煙に巻くとか、たのしい。
こういうのもありだな、と思う。
そもそも、年を重ねるごとに誕生日祝いがひっそりとしていったり、何歳なのかよく分からなくなっていったりする。
だるまに目を入れるみたいに、じぶんで好きな年齢を入れられるようにしてもいい。
今年はこの年齢の気持ちでいく、という自己申告と意思表示。
ピロウズの『パトリシア』の歌詞にもあるように、「年をとるのはもうやめた」っていいと思う。
プレートはともかく、ベリーの酸味がきゅっときいている、軽くてふわふわのかわいらしいケーキであった。
いっぽうわたしが買っていったパウンドケーキはこれだ。
ずっしり重たい、いちじくのパウンドケーキ。
誕生日感は皆無の茶褐色だが、いちじくは母も好物である。
なんだか父と選ぶものが逆だな、と思った。
しっかりしたクラフト箱に入っているので、持ち帰りに気をつかわなくていいのが助かる。
やはり父と選ぶべきものが逆だ。
長さ19㎝、幅9㎝、高さ7㎝、重さ580グラムのに見合う、天面と中身の詰まり具合。
マーロウさんは少々お高いのだが、おうおうにしてボリュームと満足感もハンパないので、結果納得してしまう。
ブランデーの効いたパウンドケーキ本体は、ぎゅううっと詰まっているのに、しっとりじんわりやわらかい食感。
甘く香ばしいアーモンドプードルの多幸感と包容力は、冬場のふとんに負けていない。
なによりセミドライのいちじくが、ちょっとかたそうに見せかけて、くにゃりとやわらかいのがいい。
いちじくのいちじくたる部分のプチプチと、天面のアーモンドスライスのカリカリ食感がアクセントになっていて、シンプルなのに食べ飽きない。
そして、お腹もかなりふくれる。
少し厚めに切った分をとった母は、「最後の一口が入らない…」と翌日に回していた。
このパウンドケーキは1週間くらい日持ちするので、ゆっくり楽しめる。
誕生日の余韻も1週間。
しばらく、生まれてきたことに感謝する。
こういうのもありだな、と思う。
来年は気持ち的に何歳の設定でいこうか、ふと考えた。
友人に話したところ、「わたしは68にする」と返ってきた。
推している松山千春さんが、68歳になることをラジオでアピールしていたからだという。
そういうのもありだ。
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