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オレンジもシブースト

その名を知ったのは、百貨店の洋菓子売場で働いていた入社1年目。

まだ洋菓子に詳しくなく、ご近所のメーカーの冷蔵ケースにならんだ商品をちらちらと横目でみては「あれは一体なんだ?」と思っていた。

朝の開店準備のとき、がらんとしたほの暗いフロアにほんのりただよってくる、カスタードの甘い匂い。

失われた時を求める作家のような、奥深そうなその名前。

見た目はクリーム色~茶褐色のワントーンで、派手さはない。

天面はカラメル状に焦げていて、茶褐色のくたくたとしたなにかをはさんだクリームは、ふんわりというよりはぷるんとしている。

それを、タルトのようなパイのような、しっかりした土台が支えていた。

【シブースト】

洋菓子の一種。
パイ生地やスポンジケーキの上に、カスタードクリーム・ゼラチン・イタリアンメレンゲを合わせた「シブーストクリーム」の層を作り、表面にカソナード(褐色をした砂糖の一種)をかけてカラメル状に焦がしたもの。甘く煮たりんごなどの果物が入るのが一般的。
「シブースト」は19世紀にこのクリームを考案した、パリのサントノーレ通りにあった店のパティシエの名

コトバンクより

マドレーヌ同様、シブーストもひとの名前が由来だそうだ。
そこはかとなく感じていたプルースト感は、あながち間違いではなかった。

ご近所のメーカーの看板商品も、「りんご」のシブーストだった。

だから、シブーストの枕詞は無条件でりんごだと思っていた。

だが先日、《清見オレンジのシブーストタルト》なるものを見つけ、柑橘好きなので無条件で買った。

なんとフレッシュな枕詞。

色合いはいつものシブースト

清見オレンジは温州みかんとトロピタオレンジを掛け合わせた品種で、もはやいくつあるのか分からない、華麗なる柑橘一族の親分的存在。

オレンジと名乗りながら、ミカン科ミカン属に分類されているらしい。

本人、いや本柑は納得しているのだろうか。

よなよな、セカオワのHabitとか聴いて「君たちったら何でもかんでも/分類 区別 ジャンル分けしたがる」と果汁をたぎらせたりしていないだろうか。

ふつふつと。

横からみると、プルプルで分厚いシブーストクリームが、一番上にドーンと乗っているのがよくわかる。

プルプルシブースト、略したらもうプルースト

持ち帰り時は、厚紙でぐるりと囲んでケーキ函に固定してくれるけれど、側面フィルムはない。

笑点における座布団8枚くらいのバランスのようで、大丈夫だと分かっていてもなんだかハラハラする。

よく崩れなかったな、ゼラチンの力か、わたしの持ち運びの妙か。

パリパリのキャラメリゼは、薄氷を割るようなクレームブリュレのそれとは異なり、フォークがスッと入るくらいの薄さ。

クリームには牛乳の代わりに清見の果汁が使われているらしく、比較的さっぱりしていて、しっかり甘いキャラメリゼとの相性がいい。

その下からは、清見がミカンであることを証明するような、小さなオレンジ色の房がいくつも出てくる。

褐色グラデーション

缶詰め?シロップ漬け?というくらい甘いし、まるい酸味もちゃんとあり、プルプルシブーストクリームがそれを受け止める。

果肉の弾け方はオレンジ、味はしっかりミカン。

土台のタルトはサクサクなので、はじける清見と一緒にほおばると、口の中の水分バランスがwin‐winである。

枕詞も味もフレッシュなシブーストで、とどのつまり、「こーゆーのって好物」。

りんごのシブースト、であっても、シブーストはりんご、ではないらしい。

プルースト著『失われた時を求めて』では、主人公が、紅茶に浸したマドレーヌの香りで幼少期の記憶を思い出す場面があるという。
ギネス記録にも載るほどの長編だから、読んではいない。

そこから、特定のにおいがそれに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象のことをプルースト効果と呼ぶそうだ。

残念ながら、シブーストが放つカスタードの甘い香りをかいでも、新入社員の頃のフレッシュな気持ちまでは戻ってこなかった。

その後、自社の工場や試作室で何度もかいだため、いろいろ上書きされてしまったのだと思う。

幸か不幸か、もはや日常のにおい。

失われたフレッシュさを求めたい。

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