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脳内宇宙の不思議

久々の一人になった日曜日の今(14時半過ぎ)、ふと、自分の性格というより、自分の脳内について、水槽の中の魚たちを見るような気持ちで再考している。
 私の脳内には、いつも絶えず、詩や物語の断片のようなものが星空の星の動きを写真に撮ったあの、矢のような光のように飛び交っている。
 それは、最近のことなどではなく、30代、20代、10代、いやもっとかなり前の自我に目覚めた4、5歳の頃からあったようだ。
私は先天性の両足に軽度の障害があったので、物心着いた時から病院にいた。その頃はよく眠れない夜には、色々なことを想像していた。妄想とはちょっと違う、想像。海の向こうの国のことや、人魚姫はきっとどこか、ヨーロッパの本当に碧く美しい海にいるはずだ、とか、ぬいぐるみがあたたかいのは、その子の目の奥に命が宿っているんだ、とか。
あるいは、不思議の国のアリスに会いたい、とか。数え上げたらきりがないが、私はとにかく想像家だった。
 今思えば、私がこうしてものを書く人間になったのは、必然的だったのかもしれない。
それにしては私は、小中学校と、国語が抜群に得意な方ではなかった。いつもテストは70点台、高校受験の模試の偏差値も、公立高校で55、私立高校で62程度だった。
 今思えば、高校が良い高校だったのかもしれない。私の通っていた高校は、私立の、進学率もまあまあの高校だったが、学力より人間力、大学では人生をしっかり学んでこい、的な先生たちが大半だった。私は両親が高一の時に離婚したため、お金も余裕が無かったので、地元の隣の市川市の短大の国文科に進んだのだが、高校も短大も、文学を学ぶには最良の環境だったのが救いだったのかも知れない。

 話を戻そう。
想像家の私には、じつは最大の難点がある。
いつも指摘されたのが、文章力はあってもプレゼンテーション能力が欠けているのだ。
つまり、人に上手く自分の意見を、全くではないが、伝えるのが下手なのだ。どうしても言葉に詰まる、金縛りにかかったかのように、伝えたいことが伝えられない。だから、詩の研究会などで意見を言おうとすると、よほど入念にノートにまとめて言わないと、上手く伝えられない…。中には、文章力もプレゼンテーション能力も両方備えた才人もいる。過去の研究会で、講師の先生に、文章力を声に出して伝える能力も両方備えていないと、詩は書けても評論は書けないよ、と言われた。私は悔しかったが、不思議と落ち込まなかった。
 それは、私が社会人であるからだった。私の今の仕事は総務だ。総務、財務、人事は会社の中枢。そうだ、仕事でプレゼンテーション能力を鍛えよう、と私は心に決めて、今日まで生きている。それには、 まず、相手の意見に耳を心から傾けること。そして聞き流さず集中すること。

今、改めて思う。
私には「会社」というフィールドがあって良かった、と。これで、少しまた一つ前向きになり、明日を生きる糧になった。

しかし、私の脳内宇宙は今でも休みなく廻り続けている。

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