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【#22】母親モード vs. 女性モード:ママ友グループでの発見🇨🇦

これは少し前の話なのだが、息子の通っている学校でママ友同士の会話に加わった結果、いつの間にかWhatsApp(日本のLINEのようなアプリ)のグループに勝手に招待されメンバーになってしまった。たぶん、息子のクラスの人数が全体で15人なので、そのうちの12人ほどの保護者(特にママたち)がこのグループに加えられたのだと思う。

たぶん、ことの発端はGeorgeのバースデーパーティーに遡ると思う。彼はクラス全員をボーリング場に招待したらしい。担任の先生も誘ったが、さすがに断られたようだ。そこで保護者同士が顔を合わせる機会があり、「グループラインしませんか?」という話になったのだろう。私はその場にちょうどいなかったので、詳細はよくわからない。

そこで、保護者たちは自分の知っている知り合いを次々とライングループに追加し、あっという間に人数が膨れ上がった。私はたまたま学校の付き添いボランティアで話したママさんたちと連絡先を交換していたため、勝手にグループに追加された。

最初の印象として、ママたちのプロフィール写真がセクシー❤️すぎて驚いた。保護者とは送り迎えの時間が重なることが多いので、普段の姿もよく見かけるが、正直言って「それパジャマじゃないの?」と思うような人もいるし、メイクアップをしている人は仕事に行くんだろうなと思う格好をしている人以外はほとんどいない。それに、寝癖がついている人もたまにいる。

しかし、このプロフィール写真を見よ!みなさま全力で自分が一番綺麗だと思う角度で撮影した写真を載せている。その写真をセルフで撮っているところを想像するだけで私は恥ずかしくなってしまった。中には水着姿の強者もいる。送り迎えの時の姿とのギャップが半端ない!

日本のママはほぼ子どもの写真をプロフィール写真に使用し、誰も聞いていないのに「私はママです!」とアピールする。というより、結婚したら母親モードになる気がする。しかし、こちらの保護者(だいたい北米出身者)は全力で女性であることをアピールする。というか、結婚しても女性のままでい続けるつまり女性モード。そして、もちろん母親でもある。この違いには驚いた。結婚しようが、母親になろうが、女性としての自分を大切にしている。

では、他の国の人たちはどうなのか、私の友人や知り合いを見てみると、西洋文化で育った人たちはほぼ自分の写真か家族写真(自分も含む)をプロフィール写真に使っている。一方、アジア圏で育った(特に東アジア)人たちは家族写真、子どもだけの写真、自分の飼っているペットの写真など、さまざまだ。番外編として、インド人のママ友は旅行に行った後必ずプロフィール写真を変えるので、どこに行ったかすぐにわかって面白い。

これは私の個人的な交友関係から導き出された話なので、全く当てにはならないが、見ていて本当に楽しい。

ただこれは、結婚後に女性としてのモードを保つか、母親モードに大きく移行するかという話だと思う。前にも記事で書いた気がするが、西洋文化、特にラテン系のスペイン、イタリア、フランスでは女性モードの保持率が高いように感じる。そういえば、息子がまだ生後8ヶ月くらいの時、母乳をあげていたら、義理の母から「まだ母乳をあげてるの?」と驚かれたことがあった。そして義理の姉は、「胸の形が悪くなるし、サイズが小さくなるから」という理由で母乳をあげなかったと言っていた。どこまでも女性を意識している!さすがフランスの女!と思ったのを思い出す。

他にも息子が最初に通った幼稚園では、担当の保育士がミニスカートにヒールサンダルという出で立ちだった。しかも、その保育士さんは、60歳近かったように思う。初めて見たときは、正直驚いた。高いヒールでどうやって子どもたちと遊ぶつもりなんだろう?その綺麗な服が汚れてしまわないかと、勝手に心配してしまった。トトロのエプロンでもプレゼントしようかと真剣に考えたほどだ。関係ないが、その保育士さんの代理で来た次の保育士さんは腕全体にタトゥーがあり、これまた個性的な方だった。ある日、幼稚園の近くのカフェで息子と一緒にお茶をしていたら、その保育士さんがタバコをぷかぷか吸いなが通りかかった。私たちの方を見て息子の名前を大きな声で呼んでくれた。確か2人とも既婚者だった気がする。

話がまた逸れてしまった。ちなみに私は完全母親モードになったのでフランス人の夫から苦情が来たことがなん度もある。文化によって結婚しても求められるものが大きく違うのは興味深い。というかアジア圏では結婚した女性が色気を放つと悪いことをしている様な風潮がある気がする。「結婚しているのにあの人は…….」みたいな。今はどうなのか分からないけれど。

ただバランスを取るのが大事だ。私も捨てられない様に少し女性らしくしないとと思うのだが、もともと女性らしさのかけらもない私はどうしたものやらぜひラテン系女性を見習いたいものだ。

ちなみに、あのグループラインはほとんど使われることなく終わってしまった。宿題の確認を何人かがしていただけで、それ以上の活動はなかった。クラスも終わったし、抜けてもいいものか悩んでいる。


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