見出し画像

やる気のない疲れた探偵

 このあいだ久しぶりに探偵小説を読んでいたら、僕の内で、物語の主人公像というものへの見方が少しだけ更新された。こういう探偵の描き方があるのか、という新発見である。

 探偵が、「失踪した孫娘を捜してほしい」という依頼人の老人から事情を聴取するのだけど、この時の彼の態度がなんだか冷ややかで、やる気がないように感じられた。新設したばかりの事務所だから仕方ないにしてもお茶も出さないし、孫娘の安否を気遣う老人に対しても、内心「知らんよ」とぼやく。「本当はこの仕事興味ねーんだけどさ」という声が聞こえてきそうだった。

 この探偵の一挙一動がちょっとヤな奴で、僕にとっては発見だった。こういう描き方もありうるよな、と。こういう主人公もいていいのだよな、と。ただ、これはヤな奴が魅力的、という話ではない。

 これにはちょっと説明が必要だと思う。


 小説には「依頼と代行」という考え方があって、探偵小説なんかは大抵これを踏襲した始まり方をする。読んで字の如く「依頼」を受けて、仕事を「代行」する。事件というのは外から舞い込んでくるもので、主人公はそれを解決するために、あるいは探偵としての実績を得る為、生活費を稼ぐために仕事を請け負うのだ。

 多くの小説家はそれだけで仕事を描くには味気ないと考えて、主人公の探偵に隠れた情熱を持たせたり、乗り越えるべき過去のトラウマを用意したりして、「肉づけ」をしていく。最後までやる気がなくて冷ややかな探偵には、読者が感情移入できないから。人間味を作っていこうということですね。探偵は(探偵じゃなくても同じだけど)途中で人間的に成長したり、トラウマを乗り越えたりして、事件解決に積極的に臨ようになる。「なんだ、いいとこあるじゃん」と読者は思う。そして探偵を応援するようになる。

 でも、僕が読んだ小説の探偵にはなかなかそういう肉づけの気配がなくて、それがかえってリアルに映った。本当に淡々としていて、「依頼と代行」しかないのだ。探偵になりたくてなったわけでもない。しかし仕事はこなさなければならない。

 それはもしかしたら、最低限の労力で成果を出すプロフェッショナリズムに通じるものかも知れないけど、僕はプロ意識については専門外だ。

 僕が言いたいのは起伏のない主人公の視点で語られる物語って、妙に魅力がありませんか?ということだ。ちょっとのことでは態度も変わらない。仕事にも一喜一憂しない。例えば「ライ麦畑」のホールデンは最後まで人間的に成長しないで態度も変えないけど、魅力的である。物語的な面白さからはみだした魅力があるし、物語からはみだすというのは小説に余剰をつけることであり、余剰というのは表現が読者の現実と繋がるということだ。「この人は最後までこの調子なのかぁ」と思うと胸に響くものがある。

 そして、それを探偵小説でおこなうというのが僕にとっては新鮮だった。

 件の探偵は、捜査の途中で野良犬に襲われても表情を変えない。証人に身分を偽って話しかけているあいだも、職業論理から「嘘を吐いている」という罪悪感などない。感情の起伏というものがなく、常に一定だ。探偵に限らずともそういう人は現実に一定数いるだろう。そう思うと、覇気はないけれど逆説的に迫力のがあった。

 弁証法的に「トラウマを乗り越えて探偵として成長する」という書き方は素晴らしいけれど、最初から最後まで一定のトーンで仕事する疲れた探偵の姿も味わい深いと思った。

(最後まで読んだら、最後の最後で探偵がやる気を出した。すみません。やっぱり物語のセオリーとして変化しない主人公というのは考えにくいのかも知れない。物語の盛り上がり方を考えれば当然のことなのかなと思う。

 しかし、終盤に至るまでに抱いた僕の感想が帳消しになるわけではないんじゃないかと思う。件の小説の作者が造形した探偵の魅力は、この人間味の薄いトーンにあると思う。繰り返すようだけど、僕にとってこの探偵の造形はすごく新鮮だった)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?