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元限界ワーママとして、ワーママ問題を考える。

ときどき限界ワーママという言葉を目にする。
そして半年ほど前まで、限界ワーママの一人だった私は、なんだかとても胸が苦しくなる。

本当にみんな限界なんだろうな、と思うからだ。
自分で限界って言わないと、もうやっていけないくらい、これは無理ゲーだって言っている本人は気づいている。

ただ、それを周囲にわかってもらうことは容易ではない。

仕事をしていたとき「何がそんなに大変なの?」「何がそんなにしんどいの?」と聞かれたことは一度や二度ではない。
でも、傷ついている時や大変な時にそういう風に聞かれると、傷つく。

私が無能だから大変なんだろうか・・・と思うときもあった。
もっとうまくやる方法があるんだろうか、効率よくやれば何か変わるんだろうかとか。

身近な人に理解してもらえない、ということも本当につらい。
見ているんだったら助けてよ、と言いたい。
でも言っても届かないことも多いし、相手も助け方がわからないというのも見かける。

私は元同僚の男性陣が何人かそれで奥さんにやり返されているのを見て、そりゃそうだと思ったことが何度かある。
『子どもを二人風呂に入れるなんて大したことないだろ』と言ってしまった同僚は、赤ちゃんとお兄ちゃんを同時にお風呂に入れる羽目になり、確かにこりゃ無理だと言っていた。
そういうことが永遠に繰り返されるのが母親業である。

***

仕事をしていたとき、もう本当に無理だと思った瞬間はたくさんあった。

息子に断固卒乳を拒まれて、授乳継続したまま仕事に復帰し、繁忙期に突入したら乳腺炎になり、突然会社で高熱を出して震えが止まらなくなるとか…(さすがに上司にタクシーで帰っていいよといわれたが、どうやって帰ったのか記憶がない)

ある年は子どもの風邪を繰り返しもらうせいで、冬の間中、咽頭炎が完全に慢性化してしまい、抗生剤を何を変えても効かず、4か月以上いつも何か抗生剤を飲む羽目になったが治らないとか…(これでも一応薬剤師なので、そんな生活は腸がボロボロになってしまうことも怖かった)

子どもは3歳で、親も遠方だと言っているにも関わらず、アメリカに一人で一か月行って、開発方針を変えるように交渉してこいとか…(英語力もなく、向こうにツテもないのに無謀すぎる。全力でこの出張はつぶした)

小学一年生の息子が学校が合わず、挙句の果てに「おれ、死にたい…」と言われたときもあった(学校を休ませて、落ち着くまで仕事以外のすべてのリソースは息子に全振りした)

でも、こういうときに仕事を辞めたいと思ったことはなかった。
不思議である。
すごく疲れたことは確かだ。

ただ、こういうときに仕事や家庭で情報伝達やコミュニケーションのトラブルが起きるとものすごくHPを削られる。そしてHPが完全に回復しないまま、仕事と向き合い、子どものお世話をする毎日。
子どもの機嫌がどうやっても良くならなかったり、問題を抱えたりしているときに限って、仕事で嫌味を言われたり、嫌みじゃなくても心無い一言が刺さる。

別に私は大変だったと言いたいわけじゃない。
みんな他のワーママに聞いてみると、みんな多かれ少なかれ、大変な目にあっている。
ワーママじゃなくても、自分が胃腸炎でまともに歩けなくて旦那に帰ってきてと頼んでいるのにも帰ってこず、もうこの人(夫)には頼るのはやめたと聞いたこともある。

誰の人生だって大変な時はある。
でも社会が余裕を失っているとき、会社が忙しくてみんなが余裕ないとき、いつだって一番先に犠牲になるのはそこにいるマイノリティなのだ。

こういうときに正論や論理は何の慰めにもならない。

***

メリンダ・エプラーのTED talkを見ていて、本当に私が疲れ切ってしまった原因は、microaggressions (自覚なき差別) なのかなと思う。
本当に些細なことの積み重ねが、私の力を奪っていったような気がする。

会社というのは基本的には男社会だ。
そこに適応するために必死で頑張って、その決められたルールにのっとって成果を出す。仕事だから成果を求められるのは当たり前だと思っていた。

でも、自分に必要な合理的な配慮をどこまで求めていいのか、それは最後までよくわからなかった。
だからとにかく仕事で成果を出し、見方を増やすために本を読んだり行動し、助けてもらえるように、仲の良い味方を見つけ増やす。できるだけヘルプラインを持つ。それはいつも心掛けていた。
自分で少しやればできる頼まれごとは進んで片付け、少しだけ借りを作り、そしてたくさん助けてもらった。

まだまだワーママは多くないし、会社に残っている人は基本的にはある程度男性化している人が多いので弱音を吐かない人も多い。でも話を聞いていると、弱音を吐かない人は単に本当に追い詰められている人より少しリソースが多いだけだったりもする。

***

ある程度いい加減になること、
人の気持ちがわからない人からはそっと離れて自分を守ること、
気持ちがダウンしているときは、論理で攻める人には近寄らないこと、
これ以上自分を犠牲にすることを止めること、

仕事は所詮仕事なんだから、とあきらめて淡々とやり、割り切ること
必要なことは言わせてもらいます、と強気の姿勢で臨むこと、
自分のために調整すること、交渉すること、
 
自分の好きなことをとことんやることを許すこと、
ライブに行くこと、マッサージやエステに行くこと、
ヨガをすること、散歩に行くこと

仕事をしてきた中で身に着けたスキルや習慣、そして友人は、今の私のかけがえのない財産である。


一方で、いつも余裕がなかった私も、どこかで誰かを傷つけてきたんだと思う。
人から見れば、優遇されているように思った人だっているだろう。
momomiさんはズルい。と言われたこともある。

でも、もっとズルくても良かったかなと思う。
自分を見失わない程度にしたたかに、そうなれたら良かったかもしれない。

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