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世界に出ろ、チャンスは自分の手でつかめ、という義父のことばが胸に響く理由

先日福井に帰省した際に、今年高校を卒業し看護学校を目指す姪に
「世界に出ろ、チャンスは自分の手で掴めよ。」
と義父は言っていた。

その言葉は私の中に残った。
義父の言葉は、本当に、その通りである。

自分で打席に立って挑戦しない人間には、チャンスなんて永遠に来ない。

そして、そういうまっとうなことを面と向かって言ってくれる大人は、とても減ってしまったように思う。

代わりに、もっともらしいことを大きな顔をして言っている人ばかりがSNSを中心にもてはやされている気がして、私は何となく、それが悔しい。

***

おそらく義父が上場企業に勤めていたり、地方の中小企業の経営者だったら、この言葉は私の中にそんなに残らなかっただろう。

義父は今年82歳。
最終学歴は中卒で、そして夫によると、中学すらまともに出ていない。
もともとただの地方の土建屋である。

苦労が多い人生で、それなのに年金問題の余波を受けて国民年金すらおそらくまともに受け取れていない。
だから今でも、雪が降る福井で新聞配達をしたり、バイトに精を出す。

6人兄弟の長男で、中学卒業後大阪で賄いすらまともにもらえない丁稚奉公をし、苦労して二級建築士になり、バブルの良い時期も崩壊した悲惨さももろに味わった。自分の家族を養うために日本全国の建設現場で働き、親の介護を乗り越えてきた。

私は嫁なので詳細は知らないが、いろんなことがあったんだろうな、と帰省するたびにどことなく感じる。

でも、義父からこの世に対する愚痴めいたものはこれまで聞いたことがない。
腰が痛いとか、咳が止まらないとかは時々聞くが、だって80歳過ぎのご老人だ。それは当然いろいろ健康に対して気になることだってあるだろう。

「momomiさん、腰が痛いんだが、腰痛がなくなる薬はないかね?」
「お義父さん、そんな薬はないですよ(にっこり)」

そんなものがあれば私は今頃大金持ちだ。
ないとわかっていて、薬剤師である私をからかっているだけである。

***

愚痴の代わりに、義父はいつも楽しそうに、今やっている仕事の話をする。

新聞配達や林業、毎年請け負っている遺跡発掘のバイトなど、本当にいろいろな仕事をしている。
ご多分に漏れず、妻や娘には仕事の話は相手にされないため、義父の話を聞くのは主に息子とその嫁(私)の仕事である。

話はそれるが、私の義実家での仕事は、基本的には3つ。
・孫を見せること。
・笑顔で義父の話を聞くこと。
・時々ご飯の後片付けをすること。
全く嫁として期待されていないので、要するに気楽である。

義父の話は私には面白いのだが、なかでも何年か前にやっていたクロネコヤマトの宅配のバイトの話は、私のお気に入りだ。
結局やめてしまったのだが、辞めた理由はなんと「義父が英語がわからないから」である。
聞いたときは少しびっくりした。

地方の工場は、コロナの始まるずっと前から外国人労働者が幅を利かせていて、着実に増えていた。そして運ぶ荷物の受取先もマンションの表札が出ていないので、確認のために宅配先に電話をかけても受話口に出た本人が日本語が話せないのである。
75歳を過ぎた義父に英語を学べというのは、さすがに酷すぎる。

***

そして、そんな義父は、私が知る限り、かなり現実的に時勢を把握している人である。

地に足がついた現場感覚を持ち、しっかり新聞を読み、人の流れの変化を感じて世の中がどっちの方向に動くのかを把握しようとしている。
その辺のビジネスパーソンより、その感覚はよっぽどまともだといつも思う。

もともと夫が大学院まで地元にいて、そして長男なのに就職を機に地元を出たのも、義父の一言が原因である。
「大工なんて継がなくていいから外へ出ろ。薬か食品の会社に勤めろ。」

しかも義父はこの年代の地方在住の男性としてはびっくりするほど、男尊女卑的な感覚が全くない。

義理の妹の旦那なんて、(悪い人ではないのだが)見事に家事も育児もしないが、男だという理由で何となく威張っているように感じるときがある。
一方で、義父は、そういう振る舞いはしない。
育児を除けば基本的に何でも自分でやる人で、今でも自分の好きなものは自分で調理して食べ、昨年は自宅のキッチンの改装も全部一人でやっていた。
そして、仕事をしてきた私を尊重してくれている気がする。

私の仕事については聞かれたことがないが、結婚したときにさすがに学歴や薬剤師であることは知っている。
その件で嫌味を言われたこともなければ、子どもの世話をかいがいしくしている自分の息子を何とも思わないことには、本当に感謝している。
「momomiさんは何が食べたいんや?」と聞かれては、いつものほほんと「私カニ食べたいです💛」といって許される環境はありがたい。

そんなこんなで、義父との会話はそれほど多くないわりに心に残ることが多い。いつも大事なことを言われているような気がするのだ。
何が人と違うのかはよくわからないが、生きてきた姿勢がそう感じさせるのかもしれない。

***

何だか義父へのラブレターみたいな記事になってしまったが、親には本当に元気でいてほしいなと思う。
何年か前に止めたはずの煙草を再開していたのには正直えーと思ったが、もうこの年でお元気なので、酒もたばこも、もう何でもいいやと思う。
お義父さんとお義母さんが元気で幸せでいてくれれば、それで十分だ。

できれば私も義父みたいに、大概のことは自分でやって前向きに年をとっていきたい。
そして、これからの時代をつくる若い人たちに、まっとうな言葉がかけられる大人になりたい。うるさがられない程度に。
40代も半ばが見えてきたというのに半人前の私は、今でも学ぶことばかりである。


「そういえば関東にいたころは、よくドンキで買い出ししたな~」

え、お義父さんドン・キホーテで買い物するんですか?!、と今年も驚かされたお正月であった。


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