見出し画像

読書日記:まともって何だろう? ”まともがゆれる”

日本で生活していると、まともであることへのプレッシャーに負けそうになるときがある。

誰も強制していないのだけれど、きちんとしていなきゃいけない感じ。
真面目に一生懸命やっていることこそが善で、普通に厳しく、はみ出るとよってたかって叩かれるんじゃないかという怖さ。

昭和に比べたら、今の人たちはみんなカジュアルで、生き方だって多少バラエティが生まれてきたように思うし、結婚やみんなが求めるわかりやすい人生だけが正解じゃないよね、という空気はだいぶ生まれているような気がする。それでもどことなく感じる『ちゃんとしなくちゃ』へのプレッシャー。

別に誰に対して証明しなくちゃいけないわけでもないけれど、私たちの記憶の中に、時に恥という形で『ちゃんとしていない』ことに対する恐れというのは埋め込まれているような気がする。

***

1年ほど前、出張で訪れたサンフランシスコで、関連会社のカフェテリアをに立ち寄ったことがある。世界有数のバイオテック企業のカフェテリアであるだけのことはあって、ちょっとしたフードコート並みにお店は充実していた。
素材から自由に組み合わせられるサラダや、お寿司、ピザ、デリなどたくさんのお店と利用者でとても賑わっていた。
日本の社食感は全くなくて、フツーのお店みたいな雰囲気。

私はサラダを選び、持ち帰ることができるようにランチボックス代を払って持ち帰り用にしてもらった。ほうれん草やレタスがベースでブリー(チーズ)とナッツのトッピング。
何かの手違いか普通のお皿で出てきたので、改めてランチボックスに入れ直してもらった。「ごめんごめん、そうだった」みたいなノリで。

現地で働いた友人はお寿司を選んだが、なぜかばっちりつけていないはずの枝豆がついていた。
「ランチボックスのお金払ったけどランチボックスに入ってないとか、付け合わせつけるを選んだけどついてないとか、そんなの日常茶飯事ですよ。だってそんなこと誰も気にしないから。」

確かに目くじら立てるようなことではない。
でも日本でそんなことが多発する店は口コミで投稿されそうな気がする。
些細なことでも私たちはとても大事に、ルールを守って生きている。

***

京都・上賀茂にあるNPO法人スウィングは、「こうであるまともな姿」から大幅にはみ出した障がい者とスタッフが活動する福祉施設である。

「べき」やら「ねば」やら既存の仕事観・芸術感に疑問符を投げかけながら、世の中が今よりほんのちょっとでも柔らかく、楽しくなればいいな!と願い、様々な創造的実践を繰り広げている。

NPO法人スウィングについて

この言葉のとおり、表現活動も全身ブルーの戦隊ヒーローの格好をして行う清掃活動も、変態的な記憶力を駆使して京都の市バス案内を行う活動もどれもシュールでちょっと笑える。

高尚なイメージの社会福祉活動というより、どこにでもいるちょっと困った人たちが(いや多分身近にいたらだいぶ困っている)自分のダメさや周りの人の困った感をなんとか絶妙にやりくりして、とても人間臭く生きている感じがするのである。

 Swingとは
オラSwingとはなにか。
それは、
自由気まま。
天使らんまん。
なんでもありの、
場所であり。
好きな時に、
仕事をして、
お金をもうけたり。
もうけなかったりする。
所である。

Swingとは/Q/2017

本を読んでいて面白いエピソードには事欠かないが、私が一番いいなと思ったのは「本当にどうでもいいこと」を発言する朝礼の話。

昨日の晩御飯のおかずとか昨日のスウィングからの帰り方とか(毎日同じ)、週末にはこんな予定がある(その日が来るまで毎日発信)をかわるがわるどうでもいいことを朝礼で発言していくうちに、参加者が積極的に、自分事としてその場に関わることができるようになり、主体性を取り戻していく。
そして、それ以外のところで自由な仕事や表現が生まれるようになった話。

この話、大人の困った人の話として読むから、ん?と思うけれど、よく考えたら子どもの話というのはだいたいこんな感じである。
自分の超狭い視野で興味があることを、永遠と主観的に話すのが子どもであり、「どうでも良くないことしか口に出しちゃいけない」と学んでからだんだん発表したり人前で表現するのが苦手になっていくのである。

となると「まともさ」を求める弊害というのはけっこうあるような気がする。あるべき姿の朝礼、食卓、学校生活、仕事・・・
本当は「まともな」「ちゃんとした」人なんてどこにもいないんじゃないだろうか。

まともさの追求をあきらめることで(だって『まとも』も『ちゃんと』も終わりがないのだから)かえって人間らしく、自由に表現できるようになったり主体的に生きることができるというのはある種のパラドックスであり希望である。

案外こんなことから意外な才能が目覚めたり、主体的に生きていくひとが増えたりするのかもしれないなと思いながら、子どもに「ちゃんとかたづけなさい!」とつい言ってしまう自分を振り返るのでした。

読んでくださってありがとうございます。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?