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「くだらない」には愛がある。

今日も英語が話せないことに打ちひしがれているmomomiです。
こんにちは。

ふと気づいたのですが、私たちが『くだらない』という日本語を使うとき、吐き捨てるようなニュアンスがある時と、くだらない、の中に愛を感じるときと2パターンありませんか?

最近私が『くだらない』を使うとき、後者の愛があるパターンが多いです。

なんていうか、しょうもないところに愛着を感じるときにくだらないって使っている気がします。

くだら◦ない【下らない】の解説

連語]《動詞「くだる」の未然形+打消しの助動詞「ない」》まじめに取り合うだけの価値がない。程度が低くてばからしい。くだらぬ。くだらん。「—◦ない話」「—◦ないまちがい」「—◦ない連中と付き合う」

デジタル大辞林より

例えば、このmomomi noteについて話すとき”このくだらないmomomi noteを”、って言います。
それは多少の謙遜(?)も入っているけれど(いやほんとにくだらないことしか書いていないのも事実だけれど)、自分で書いているものを愛しているからくだらないと書いていることの方が多いような気がします。

例えば、旦那と子供の会話に「またくだらないことばっかり言って!」と怒ったりします。
しょうもないことばっかり言ってるのは事実なんだけれど、私はそんな家族をとっても愛しているから、くだらないって言うのです。多分。
だって大好きなんだもん。
くだらない日常をありがとう。

でも私が外国人で日本語を学んでいるとしたら、日本語のくだらないの中にある愛を感じられるんだろうか。
ちょっとニュアンスが難しいような気がします。

私が英語が話せなくてへこむとき、本当はこのニュアンスを伝えたいのに英語で言えない!ということがとても多い。



いや、わかってます。
本当はそれ以前の問題なんだけど、それは触れないで・・・

もっと英語と触れ合う時間を増やそう。

読んでくださってありがとうございます。

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