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芭蕉稲荷神社(東京都江東区)に参る

こんにちわ 唐崎夜雨です
五月なかばに 東京都江東区常磐一丁目にある
 芭蕉庵古跡 を訪れました
狭い敷地の中には古跡の石碑と
 稲荷神社が建っています
そしてこの地で有名な 古池や の句が
 作られたと伝えています

今回も句読点を使わずに書いてます
あらかじめご了承ください

芭蕉稲荷神社へのみちのり

小名木川が隅田川と合流する地点の
北岸に 芭蕉庵古跡 ならびに 芭蕉稲荷神社 はある
地下鉄清澄白河駅から徒歩10分くらいかな

とても狭い敷地なので何人も中に入れない
もっとも訪れる人もほとんどいない
 と思われる

芭蕉庵旧蹟の由来

敷地内に 芭蕉遺蹟保存会 による案内版がある
それを抜粋して載せると

 松尾芭蕉は杉山杉風に草庵の提供を受け
 深川芭蕉庵と称し延宝八年から元禄七年に
 大阪で病没するまで ここを本拠として
 古池や蛙の句を作り
 おくのほそ道などの紀行文を著した

 ところが芭蕉没後
 深川芭蕉庵は武家屋敷となり
 幕末 明治にかけて滅失してしまう

 大正六年津波来襲ののち
 芭蕉愛好と伝わる石造蛙が発見されたことで
 この地に芭蕉稲荷を祀り
 大正十年には東京府がこの地を旧跡と指定

 戦災で荒廃したものを
 昭和三十年芭蕉遺蹟保存会により復旧

これによると敷地内の稲荷神社は
大正六年の創建ということで
比較的新しい神社になる

江戸切絵図と比べてみると

嘉永五年(1852)と記された江戸切絵図には
小名木川が隅田川と合流する北側に
松平遠江守の屋敷があり
 庭中に芭蕉庵古跡とある

「江戸名所図会」にも
芭蕉庵旧址 萬年橋の北詰 松平遠州候の庭中にありて 古池の形今猶存せりといふ とある

また杉山杉風は俗称を鯉屋藤左衛門といい 
芭蕉庵は杉風が江戸小田原町の魚商だった頃の生簀屋敷で
のちに此の業をもせざりしかば
 生洲に魚もなく
  自ずから水面は水草が覆ひ
まさに古池の如くになりしゆえに 古池の口ずさみありしといへり

いまの芭蕉庵旧蹟は萬年橋北詰の西側に位置しているが
江戸時代の地図を見ても遠州候の屋敷は萬年橋北詰の東より
いくらか実際の地とズレているように思われる

芭蕉庵史跡展望庭園

芭蕉庵旧蹟の前の道を西へ進む
突き当りを右手にゆくと隅田川の川べりに出られる
また左手には芭蕉庵史跡展望庭園への段がある

庭園といっても狭い
されど小名木川と隅田川の合流地点で隅田川の景観を
眺められるので空は広い
ちょうど正面の青い橋が 清州橋

隅田川に架かる清州橋 永代橋 勝鬨橋は
 国の重要文化財でもある

この庭園に芭蕉像がある
奥州へ思いを馳せているのだろうか
 旅の夢が駆けめぐっていることだろう



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