映画『日本のいちばん長い日』(1967)
こんばんは、唐崎夜雨です。
明日は8月15日。いわゆる終戦の日。ということで本日ご紹介する映画は、1967年に公開された『日本のいちばん長い日』。東宝35周年創立記念と銘打った約2時間30分超のオールスター映画。
監督は『独立愚連隊』や『暗黒街の顔役』などの岡本喜八。
脚本は『張込み』や『砂の器』などの橋本忍。
『日本のいちばん長い日』は、昭和20年8月14日正午の御前会議から翌15日の玉音放送が流れるまでの緊迫した24時間をドキュメンタリー風に描いている。あまり知られていないかもしれあいが、宮城(皇居)が終戦に反対する陸軍の一部によって占拠された事件が起きている、
本映画での原作は大宅壮一編となっていますが、実際は半藤一利のノンフィクションです。当時半藤は文芸春秋の社員だったので、営業上の理由からすでに名のあるジャーナリスト大宅壮一の編とした。
現在は決定版と題して半藤一利名義で刊行されています。
監督の岡本喜八は1924年生れ。おっと、生誕百年!!
岡本喜八監督は反戦をにじませたコミカルな作品が多いのですが、これは喜八監督には似合わない王道で重厚な作品になっています。
『日本のいちばん長い日』は近年リメイクされています。このリメイク作品を観ていないので偏見になりますが、監督のみならずスタッフやキャストの多くが戦争を経験し、昭和20年8月15日を体験している映画のほうが生々しいのでは、と思います。
男たちのにじみ出る脂汗に、あの夏の日の暑さと、歴史的な苦渋の決断を迫られた人々の苦悩が感じられます。
「男たち」と申しましたが、女性はほとんど出ません。ひとり新珠三千代が出てますが、それもほんのわずかです。モノクロ映画。
7月26日、海外放送で日本に降伏を求めるポツダム宣言を傍受。鈴木貫太郎内閣はポツダム宣言を黙殺と表現。これが海外には拒絶と伝えられる。
8月6日、広島に原爆が投下。
8月8日、ソ連が参戦。
8月9日、長崎に原爆が落とされる。
もはやポツダム宣言を受諾するしか道はない。だが軍部とくに陸軍は受諾の条件を提示し、これを連合国が受け入れなければ戦争は遂行し本土決戦で戦局の好転をはかることを主張して譲らず。しかし国力は戦争継続を維持できる状態にない。
最高戦争指導会議でも閣議でも結論が出ず、最終的には天皇陛下の御聖断を仰ぐこととなり、そこで天皇は戦争の終結を望まれる。
8月14日昼の御前会議で天皇は無条件でポツダム宣言を受け入れ、そのための詔書を用意するよう鈴木首相に指示する。
ここから、日本のいちばん長い一日が始まる。
終戦は有史以来はじめての敗戦といってもよく、閣議ではあらゆることで意見の対立をみて、おもうように進展しない。詔書の文言ひとつとっても陸軍と海軍で意見の相違がある。
またこれをどのような形で国民に通達するのか、天皇のお言葉を生放送か収録か、いつ放送するのかで意見が分かれる。
一方で、陸軍の一部は天皇周辺の和平派を排除し戦争継続本土決戦をするため、宮城を占拠する。皇居を陸軍が占拠してしまう。その際に近衛師団長を殺害している。
また首相官邸や鈴木首相の私邸も襲撃を受ける。鈴木貫太郎は226事件でも当時侍従長で襲撃を受けている。
映画では語られていないが、鈴木貫太郎は議員ではなく武人であり昭和天皇により首相就任をお願いされた人である。早い段階で和平の道を模索していたのではないかとおもわれる。いやその就任時にすでに戦争終結の大命をおびていたのではないかとさえ勘ぐってしまう。
そしてその駆け引きは連合国ではなく、陸軍を相手にである。
終戦の陸軍大臣に阿南惟幾を指名したのは鈴木首相。鈴木が侍従長時代に阿南は侍従武官だったこともあり二人は親交がある。
登場人物は多い。内閣、陸軍省、東部軍、近衛師団、宮内省、航空基地、放送協会などの場所や人物に字幕が入る。これがノンフィクション風の手助けをしている。
喜八監督らしいテンポの良い編集とこの字幕の手法は『シン・ゴジラ』に継承される。『日本のいちばん長い日』も『シン・ゴジラ』も政府関係者が中心となり会議等のシーンが多く、前例なき国難に対処する指導者たちの映画。リスペクトは『シン・ゴジラ』にすでに故人の岡本喜八監督が写真で出ている。
この映画の成功により東宝は8.15シリーズと呼ばれる戦争映画を製作する。8月15日は終戦の日であり、お盆でもある。故人を悼む気持ちが強まる時期に終戦というのはなんのめぐり合わせだろうか。