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十分に鬱だったが、怖がりが過ぎて、治療が遅れた話💊

これは、「たぶん適応障害か何かだと思うし、鬱だとしても軽いと思うし、薬はなんか怖いからのみたくないし、できれば会社も休みたくない」と思っていた私に起きたことだ。その結果、どうなったか?結論はタイトルそのままだ。

ある程度の時が経ったから、書き残しておくことにした。人によって異なることだらけの疾患との付き合いにあたり、私自身、「他人からの悪意のないアドバイス」や「勝手に提示される解決策」ほど辛いものはなかったので、本当にひとつの例として、読み流していただくものとして公開しておきたい。
私自身が、見知らぬ方々のnoteにとても助けられたから。

私と似たような感情と闘って、治療を遅らせてしまいそうな人がいるのなら、遅らせた私の例を反面教師とするのは、大いにありじゃないかと思う。

あなたの状態は、すぐに診断書を出せますし、薬を出せますよ。
薬は、眠れる薬と、楽しい気持ちになる薬です。
診断書も薬もいらないと言われてしまっては、
私たち(医師)にできるのは、生活指導くらいしかなくなってしまいます。
放っておいて良くなるものではないですし、悪化します。
楽しいことをすると良いです。

という初診が1月だった。
最初から泣きじゃくっていたので、まともな会話やこうなった経緯の話を、口頭ではできなかった。予約時にGoogleフォーム的なものに回答を入力したが、その話が出ることも特になかったように思う。医師の話を聞いて、「できれば会社を休みたくないから診断書は欲しくないし、薬は怖くて飲みたくないから欲しくない」と頑なな態度をとった。そして、(自力でできることで)何をしたら良くなりますか、とおよそ子どもの逆ギレのようなトーンで最後に尋ね、辛うじて得た答えが「楽しいことをすると良い」だった、と思う。我ながらひどい。

この日は、そろそろルミネで楽しいお買い物をできるのではなかろうか、という淡い期待が見事に挫かれた日だった。「そろそろ」というのは、それまでの半年ほど、休日に(食料や日用品の買い物を除いて)外に出かけるとか、仕事帰りに寄り道をするとか、人に会うとか、そういう「かつて何でもなかった、強いていえば楽しい方角のさほど特別でないこと」が、すべて億劫になり、できなくなって長かったからだ。

それまでもずっと、心身の不調は嫌という程感じていた。前年の(笑)4月くらいから、ずっと、何かしらおかしくなり続けていた。食欲がなくなり、体重が減り続け、通勤路や職場で吐き気を催し、職場以外の場所で所構わず泣いていた。外回りの昼休憩時のチェーン店での景色は、どれも涙目で見ていたから、ぼやぼやと歪んで体温くらいの液体で顔がぐじゅぐじゅになる感覚と一緒に思い出される。
泣いていない日がなかった。
常にイライラしていて、人と関わる余裕がなく、小さなことで怒るようになっていることに気づいていた。自制がきかない(というかこれまで自制しすぎてこれ以上は無理な)のがわかっていたから、人を遠ざけた。精神的な面では、言語化しづらいが、着々と新しい扉が開いて、新境地に進んでいるような感覚があった。人体実験をしているような気分だった。これ以上先に進むことは、マズイと思っていた。怖かった。

ルミネに行ったその日曜日、前触れもなく焦燥感と不安感の発作のようなものに襲われた。それまでにも、何度も起きていたものだった。貧血に似た背筋が冷えていく感覚。汗が吹き出る感覚。このまま気をもっていかれると、恐らく過呼吸になるからと、深呼吸しようと集中する。パニクってるし、帰りたいし、人混みが無理だし、なんか知らんけど心底悲しく、心底不安で、心底落ち着かなくて、涙が止まらない。
熱がない時に病院へ行っても仕方がないだろう、と考える発想と同じで、どうなったら病院へ行った方がいいのか、ずっと悩んでいた。そんな時、休日(仕事をしていない時)に起きた今回の発作は、それを今と思わせるのに十分だった。帰りの電車内で号泣しながら、2時間後の初診を受け付けてくれるような病院を予約した。

それがあの初診だ。

残念なことに、薬をのむことに対する、私の行き過ぎた怖がりと頑固さはここで終わらず、結果的に更に半年以上続く(笑)が、話の結論は冒頭のとおりだ。過剰に怖がらずに、医師の言うことを聞いて、薬を処方してもらえば良かったのだ。少なくとも、もっと早く、楽に、なることができたはずだ。そしてあのタイミングで診断書をもらって休んでいれば、今のようにはならなかったかもしれない。

上手に眠ることができなくなり、仕事に支障が出ていたので、眠る薬欲しさで3ヶ月ぶりに再診に行った。5月から処方された睡眠薬(デエビゴ※幻聴、悪夢、金縛りは慣れるまで凄かった笑)は眠るのを助けてくれたし、漢方薬(加味逍遙散と抑肝散)は気がおさまる感じがしたし、仕事は診断書を出して、最低限の引き継ぎをして、結果的に3ヶ月休ませてもらった。きっと大したことはない、(元々の体質もあってか)朝元気だし、身なりなんとかできてるから、大うつ病ではない、時が経てば治るかもと思っていた。思いたかった。
でも、私はそれでは良くならなかった。
良くなったとはまるで思っていないが、最悪だったときと比較してどうかを考えたときに、休んだことで改善があったのは事実だった。例えば、夜が怖くなくなったこと、電車に乗って移動できること、再び本を読めるようになったことがそれに当たる。

このまま(睡眠薬と漢方をのんで)休んで時を待って後回しにしても、復職が楽になることも、状態が今より良くなることも、ないと思った。だから、諸々の都合を踏まえ、内心「一旦」くらいの気持ちで、復職することにした。
それに、よくなる見通しも感じずに、「うつ病」とか「抑うつ状態」とか書かれ続ける診断書を見る度、私の中に渦巻いていたのは、
❶これは気の持ちようで、極論を言えば私の妄想で、いつまでこういう診断書を書いてもらえるのか知らないけど、お金もないし、何をきっかけに大丈夫と言ってもらえるんでしょうか、そんな日は来ないですよね、これ
❷体力の低下とその戻らなさも著しくて、週5勤務は無理じゃないか、正社員が無理じゃないか、何が無理なのかわからないと、この先のこと(働き方)も決めようがないですよね
という気持ちだった(よく聞く、復職を焦る患者、ネガティブ思考がマックスになってる患者ってやつですかね)。

他方、復職するかしないかを(医者は、私ができると言えばそう書きそう、できないと言えばできないと書きそう、全ては私の意思次第、また初対面の医者だろう、と言う当てにできない状況だったので)一人考え続けていた7月、本を読んだり調べたりができるようになった時、ようやく転院先探しを始めた。
第一に、自立支援医療費制度の指定病院に転院したかった。第二に、今後休職することになった時、復職するしないに関する専門家の意見を得やすい体制の病院に移りたかった。つまり、継続して自分のことを診てくれる「主治医」が欲しかったのだ(最初の病院は予約はとりやすかったものの、在籍している医者の一覧さえなく、不規則なシフト制、10回の通院で8人の医者に会い、ほぼ毎回はじめまして、余談ながら後に書いてもらった紹介状の初診日は5ヶ月も異なる誤植が後から発覚したりする感じだった)。

前もって動いてはいたものの、とれた予約日は、復職を決め、「就労可能」の診断書を医師に作成してもらい、会社に報告した数日後になっていた。

薬飲んでないみたいだけど……
なるほど薬拒否してたのね……
薬が禁じ手では前の病院も大変だったでしょうに……
十分に薬を必要とするレベルに重めの鬱状態です。
漢方にも効果はあるが、それだけで治せる状態ではないです。
騙されたと思って薬をのみ始めて欲しいし、復職は本当はすすめない。

(大意)

◯月◯日から「就労可能」の診断書を、元の病院で作成してもらった数日後、転院先の医者の診断である。

復職は復職。治療は治療。
申告を取り下げて復職を延期することも選択肢にはあったが、やってみて、ダメだったら、早めに撤退しますから、と話して復職した(社内規程と自分が得たい権利との綱引きの結果として一旦復職したかった)。
※この復職が吉と出るのか凶と出るのかは、まだ分からない。身体というか、体力的なキツさは、想像以上ではある。


おかげさまで、抗うつ薬と抗不安薬(トリンテリックスとメイラックス)が、運良く最初からぴったり合ったようで、問題になるような副作用もなく、服用を始めて1か月が経とうとしている。
何が楽って、恐らく後者の効果なのだが、とにかく病的な「焦燥感」と「不安感」が消えていることだ。長らく、「普通の状態」がどんなだったか、もうすっかり忘れてしまっていたが、この2つが片時も離れず自分に付きまとっていたことの異常性に気づけたのが最近だ。本当に辛かった。病的な焦燥感と不安感、落ち着けないこと、安心できないこと、何かが怖いこと、から自分を解放させるのは、もっと早くて良かったと思っている。
とはいえ、薬を飲み始める前以上に体力がないこと(これは復職したせいかも)、睡眠時間を体が欲しがることが、薬を飲む前と飲み始めてからの変化としては挙げられるけれど、楽になった側面の方が個人の体感としては大きい。

薬は、のむ量と、のむ期間が、肝です。

と言い、薬をのむのを怖がる私に対し、依存性がないことなど、他にも色々と納得させる説明を、強くしてくれた今の主治医に感謝しつつ、前の病院の先生方には、素直に言うことを聞けなかったことを申し訳なくも思っている。量も期間も、プロにしかわからないのだから、すべて任せて言うことを聞こうと思う。

でも、「薬をのまないで治るならのまないで治りたい」頑固な私の半年以上の闘争と敗北(笑)も、超怖がりな私には必要な過程だったと思う。身を滅ぼすだけでしたけどね。笑

楽しいことを書く場所にしたいと思って作ったアカウント。
最初に公開するものがこれになったのは、全くもって予想外。

心身ともに楽に生きられる日が近づきますように🕊️


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