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同僚になにかしてみる?の話

素人ながら思うのは
不登校っていうのは
単純にこれとは言えないけど
ヘンだなというのをちゃんと感じられる人が
なりやすいのではないかと思います。

学校に通っている人をディスるつもりは
全く!全く!全く!!ないけれど、
通い続けられるのは
良くも悪くも鈍感さがあってのことではないかと。
通っていたとしても、
言葉にしづらいなにかの息苦しさとかを
なんとなく感じながら、
でもそれが当たり前になりすぎていて
自覚さえしていない人も一定数いるのではないかと、、、
(自分は子どもの頃これだった)

構造的に、これまでの経過?的に、
・みんないっしょ
・そろえることをよしとする
・環境的にも関係的にも狭い
・時間がギチギチで余裕ない
・大人に忖度、顔色うかがい
・大人主導が多い
・ものごとを決めるプロセスが民主的でない
・清く正しく美しく
・善悪を教えるところ、と思っている人がいる
(自分で感じて考える、をすっとばす)
・価値観、指標が単一
たぶんほかにももっとある

しかもこれらがあまりに当たり前すぎるから
「学校の何がイヤなの」と問うてみたところで
「うーん…」と、言葉にならないだろうし、
言葉で伝えてくれたとしても
上に書いたみたいなものは複合的だから
ひとつのことが暫定的に解決されたとしても
それでOKとはなりにくい。
あと、万一、思うことがあったとしても、
「こんなこと言っても、
ワガママって思われるかな
なんでできないんだろうって自分がいちばん残念なのになんでそれを言って上塗りしないといけないんだろう
学校はそういうところだから、とか一刀両断されるのでは」
みたいなものを感じて言えない、とか。
(大人だって山ほどあるでしょう
まわりにどう思われるかが怖くて
とても正直になんか言葉にできない場面が)

最近でこそとりざたされるようになってきたけど
こういうのが学校で改めて本腰入りにくいのは
残業代がつかない云々以前に
本気で心身の健康を守ろうと思ったら
ムダ(と判断される基準も人による、、、)を極力省いて退勤するしかない、
そこにまた新たな何かが追加され
従来のものは省かれないので、仕事は増えるのみ
みんなものすごい仕事量をこなしている
管理職は職員の健康や人権を守るために
自分自身も守られない中ですり減らしている

つまり
職員も瀕死

そんな中で対話やWSしたいなんて言ったらもう、
針の筵なのが目に見えている🥺

でもなあ
やれたらほんと
少しずつ、息しやすくなるかもしれない
、、、
、、、、、

対話、NVC
多様性について
なにか同僚とか学校とかでやれないかな
という最近です。

去年くらいからは
多様性、特権、差別、
マイクロアグレッション、
アンコンシャスバイアス
とかばかりでしたが
最近はなんとなく気になって

個人でやってて効果を感じるものを
学校にどう取り入れるのか、
対話できるようにしていくにはどうするのか、
という関係のを
読むようになりました。

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