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はなむけの言葉は「猫の手になるなよ」

別れと旅立ちの季節には、きっと各地で餞(はなむけ)の言葉が飛び交っていることでしょう。

私にとって、一番印象に残っている「はなむけの言葉」があります。

大学を一年間休学して、あちこちを旅していた時、山形県の農家さんでサクランボの収穫アルバイトをしました。
オーナーのNさんは60代中ごろ。
温厚な方だけれど、仕事に対してはとても厳しい人で、
過去には生半可なバイトは一日で帰らせたこともあるほど。

そういう人の下でのアルバイトは緊張感もありましたが、
サクランボの期間が終わったあと、
Nさんに「リンゴの摘果も手伝っていかないか?」と言ってもらいました。

そうして、予定より長く、約3週間、Nさんのところで働かせてもらいました。

出発の日。
車で30分くらいの最寄り駅に車で送っていただく。
車内でも、ぽつりぽつりと話。
そうして駅に着いて、別れぎわ
「猫の手になるなよ」
とNさんに言われました。

微笑をうかべつつ、キリッとした顔で。

駅にて。その言葉をもらった前後

Nさんからは、「大学を卒業したら、うちで働かないか?」
とお誘いいただいていたので、ある程度、働きぶりはかってもらっていたとおもいます。

ただ、言われてみれば季節労働というものは、どれだけ懸命に働こうと
たしかに「猫の手」から脱することは難しいでしょう。

新規就農して、きっとたくさんの苦労をしてきたであろうNさん。
そんな人からの言葉は、不思議と嫌味な感じは全くなく、本質的なエール・激励の言葉として、私の中にストンと入ってきたのです。
「今はバイトであちこち経験をするのもいいけれど、いつまでも猫の手でいちゃダメだよ」というようなメッセージとして。

「こう言ったら相手はどう思うかな? 嫌われるかな?」
などと話し手が、自分自身の保身のようなものに意識がいくと、
言葉の力は、きっと弱くなります。

でも、あのときのNさんは、幾多の困難を乗り越え、自信に満ち溢れた人。
100%私に意識を向けて、必要な言葉を選んで伝えてくれたのです。
その言葉は、まっっすぐに届きました。

大学を卒業したあとも、浴びるようにいろんな本を読んできたけれど、
結局今の自分を支えているのは、そうした「生(なま)の言葉」だなぁ、と。

今の生活で、つい自己成長をサボってしまいそうになるとき、
Nさんと最後にお会いしてから4年以上が経ったけれど、
今もなお、その言葉は私の背筋をのばしてくれています。

別れは名残惜しいけれど、
自分の芯であり続けるような言葉を贈られること――
そのかけがえなさ、有り難さをしみじみ感じています。

これからどんな言葉に出会えるか、贈ってもらえるか、ということも、
自分の生き方・あり方にかかってるんだろうなぁ。

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