そういうことにしておこう
「日本ではクリスマスになると国民全員がケンタッキーフライドチキンを食べるんですよ!」
昨年のこの時期、英国の公共放送BBCのアプリ「BBC World Service」でニュースを聞いていたら、リポーターがそう報じていた。何の根拠があってそんな嘘八百を世界中に広めやがるんだ、と思ったものだ。
でも今は違う。そういうことにしておこう。そのほうが面白いから。
この、「そういうことにしておくほうが面白い」を「ストーリーテリング」と読み替えられないだろうか。ストーリーテリングはコンテンツマーケティングやマネジメントに有効とされ、数年前から盛んに語られている考え方、ないしは手法だ。ストーリーを語ることによって受け手の共感を呼び、時には負の感情さえ抱かせ、何らかの行動を起こさせる。
「そういうことにしておくほうが面白い」の最たるものがサンタクロースだろう。さすがに今年は中止になったそうだが、30年近くにわたって毎年フィンランドから公認サンタが来日している。何しろこのフィクションには賞味期限というものがない。先日もテレビ番組「笑点」の大喜利で、トナカイのかぶり物をした三遊亭圓楽師匠(紫色の着物の人)が、サンタをめぐるストーリーにバカバカしい最新の尾ひれを付け加えていた。
明日が誕生日のイエス・キリストは、ユダヤ教の改革派ではあっても決してキリスト教の創始者ではない。倉山満著『日本人だけが知らない「本当の世界史」』によれば、イエスの死後、筆頭の使徒だったペトロを理論家パウロが初代ローマ教皇に仕立ててキリスト教を創始した。これだって「そういうことにしておくほうが」の一例だろう。
キリスト教というのはそういうオトナのニギリ、判断停止の仮構の上に成立している。教化された/伝来した国/地域ではプラットフォーム化して土着の信仰と結び付いたり、その地の文化に影響を与えたりして今日に至っている。
例えばスウェーデンでは民間信仰と結び付き、トムテ(tomte)と呼ばれる小さな子供くらいの背丈の妖精がサンタクロースふうに描かれる。クリスマス(ユール)になるとポリッジという甘い粥をトムテに供える。人間も食べる。甘酒のなり損ないみたいな味がする。
日本に伝来したキリスト教は千利休の高弟や時の茶人に大きな影響を与え、この国の文化の神髄である侘び茶に色濃く宿っている。牧師の高橋敏夫氏が『茶の湯の心で聖書を読めば』という本で解説している。「一期一会」に並ぶ茶道の精神「和敬清寂」は英語ではHarmony、Respect、Purity、Tranquility。「英訳されると、キリスト教的背景があぶり出されてきて興味深い」という。
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サイモン・シネック氏の説く「ゴールデンサークル」もストーリーテリングの亜種と言えるだろう。優れたリーダーや革新を起こす人は常にWhy(なぜ)から始め、次にHow(どうやって)、最後にWhat(何を)という順番で思考する。引き合いに出されるアップルやキング牧師、ライト兄弟は皆、ストーリーテラーというわけである。
だがちょっと待て、そうしたフレームワークは結局どれも後講釈なんじゃないの、と「ほぼ日」の糸井重里氏が見抜いている。個性的で機能的な家電製品を開発し続けるバルミューダの寺尾玄社長を招いたインタビューで、扇風機や加湿器などに続いてトースターを開発した動機(Why)を尋ねた。寺尾氏から「五感すべてを使う体験、すなわち『食べること』に関わらなきゃいけないんじゃないか、と思ったんです」というゴールデンサークルど真ん中の答えが返ってくると、すかさず糸井氏は−−。
このインタビューはそのほかにもいろいろな示唆に富む。寺尾氏の熱いパッションと糸井氏の至高の話芸。長いけれど通読することをおすすめする。
英国ではこの時期、チキンではなく七面鳥を食べるという。七面鳥と言えばMr. ビーンの「ターキー事件」のエピソードを思い出す。今見てもバカバカしくて涙が出る。さて、そろそろ日本国民の一人として近所のケンタッキーフライドチキンにクリスマスパックSを受け取りに行く時間なので、そのエピソードを紹介して結びとします。
(冒頭の画像)Photo by Jezael Melgoza on Unsplash