女性のホモソーシャル ~ プレゼント文化と承認欲求に関する考察
こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。
今回も雑記帳なのですが、あるツイートを見て、緊急企画的に思いついた話題です。
男女それぞれの独自のコミュニティの中で、もう片方から見ると「理解しがたい」と言われるものがいくつかあります。
これらはよく、特に男性社会における「ホモソーシャル」として取り上げられることが多いですね。
ですが、「ホモ」という言葉は誤用されることが多いのですけれども、そもそもの意味は「同性」であり、女性の社会におけるホモソーシャルも存在している、として研究されている方もいらっしゃいます。
そしてこのホモソーシャルは、実は典型的な男女差別などよりも、よほどもお互いから理解され難く、解消することも不可能に近いのではないか、という気がしているのです。
そんなわけで、私が女性社会におけるホモソーシャルの文化の一つでは、と思っている、「プレゼント」に関するお話について、です。
「プレゼント」で受け渡されるのがモノではない場合がある
本題に入る前に一つだけお断りしておきます。
この話には私的な経験と独自研究と解釈による、多少の偏見が混じっているであろうことは否定しませんが、私は決して、女性社会を侮辱したいのではありません。
このお話で伝えたいのは、
ホモソーシャルは女性社会にも存在する
ということと、
女性も男性も、ホモソーシャルは今後も根絶することは難しいであろう
で、あると同時に、これが一番大事なのですが、
でもそれらが存在するのは、男女が平等に暮らせる世界とは別のレイヤーであり、実は影響なんて無いので放っておこう
と、いうのが主旨です。
それでは、本題に移ります。
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男性における典型的なホモソーシャルは、仲間外れを作らないように馴れ合い、コミュニティを大事にしようとし、しばしばそれを仲間内で強要し合うような、いわゆる体育会系的なものを指して言われることが多いですね。
女性からは、辛辣な言葉とともに忌み嫌われることが多い印象です。
では、女性社会にそういったものは無いのか?と考えた時に挙げられるのが、「プレゼントの文化」ではないかと思ったのです。
きっかけは、ちょっとバズっていた、こちらのツイートの件でして。
ストレートに言うと、このツイート自体はネタツイか釣りくらいに思っていますw。
私がこれを読んだ時にまず思ったこと……は、いくつかあるのですが、それらはちょっと後でお話します。
それとは別に、ちょっと気になったのが、女性がこれを読んだ時の反応でした。
(男性からの反応は、まぁなんとなく想像がつきましたので(苦笑))
私の中で予想された女性の反応は、大きく分けて2つ。
「えーそうかな……私が欲しい物とも違うし、みんながみんな同じように欲しがるわけじゃないんじゃないかな…」
というものと、
「そうそう、こういうことなのよ。男性にもわかって欲しいわ」
というものでして、リプ欄や引用RTを眺めてみると、やはり予想通り、女性を標榜されているアカウントの反応のみを拾ってみても、見事に分かれていました。
前者の意見は主に、
・そもそもブランド品に興味がない
・実用的な品や食べ物の方が良い
・あまり高価なものをもらうのは恐縮してしまう
・好意を持てる人にもらえるものなら何でも嬉しい
といった感じに、多様な意見が多いのですが、後者の方は、
・共感がやばい。自分では買わないから。
・みんな現実を見たくなくて必死すぎw
・こんなのもらったらイチコロですよ
・これだけ言ってるのに安物しか持ってこない男がいると思うと、鳥肌で大根おろせる
と、まぁ掛け値なしの全肯定の様子でして。
元ツイートの引用RT欄を覗いていただければ分かりますが、別に極端な意見だけ拾ってきたわけではなく、というか、もう少し 極端な 意見も ありましたが、ここでは割愛しております。
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では話の前後を戻しまして。
私がこのツイートを読んだ時、まず初めに思ったことは、
「これって、プレゼントが欲しいのではなくて、自分がそのレベルのプレゼントをもらえる価値のある人間だということを確認したいだけなのでは?」
ということでした。
例えば50万円のハンドバッグを手に入れるのに、
・自分で一生懸命に働いてお金を貯めて買う
・運良く宝くじに当たって買う
・誰かにプレゼントされる
の、いずれでも、手元に来るのは全く同じバッグですが、得た人にとってそれぞれの意味は異なることでしょう。
つまり、先のツイートではそこからさらに進んで、プレゼントそのものではなくて、その意味を得ることが目的になっているような印象を受けたのです。
当然ながら、このような高価なプレゼントは、誰でも黙っていれば手に入るようなものではないでしょう。
ツイートの女性は、常に自分を高める努力をし、ファッションに気を使い、ボディケアにコストをかけ、話術を磨き、そのプレゼントをもらうに値する人間であろうとしているはずです。
そして、それを誰かに認めてもらうために、安易な言葉ではなく、目に見える形で表して欲しい、と考えた時に、
「他の誰もが欲しがり、得るたびに羨望を向けられるもの」
を、他者からもらうことが大事なのでは、と考えられます。
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……と、ここまで考えた時に、これって何かに似てるような…?と思ったのですよね。
それでしばし考えてみたところ、
「ああ、SNSとかでよくある承認欲求だ」
と気づいて、また同時に、これは古来からある女性同士のプレゼント文化にも同じようなことが言えるのでは?と思ったのです。
SNSの「承認欲求」は、女性社会の「プレゼント文化」の派生では?
男性の目から女性社会を見た時に、理解が難しいと言われるものの一つが、ちょっとしたことの度にプレゼントの交換が行なわれる、プレゼント文化ですね。
グループの誰かの誕生日、クリスマス、ハロウィン、はたまたバレンタインなど、何かイベントがあるたびに、互いにプレゼントを交換しあう文化は、女性同士ならではのものではと思われます。
となれば、これは女性のホモソーシャルにおける文化なのでは、と考えました。
一般的な男性社会におけるホモソーシャルで、よくあるパターンは、
「互いを否定せず、常に馴れ合い励まし合い、仲間はずれを作らないようにして一致団結する」
だと分析しておりますが、女性の場合は、
「ことあるごとにお互いを承認する機会を作り、承認の更新を怠らない」
「グループとして好きなもの、嫌いなものを認定し、それに対して共感を表明するのを忘れない」
といった辺りかと思っておりまして。
ここでまず注目したいのは、最初の「承認を更新する」という部分です。
プレゼントを交換するというのは、「自分の存在を誰かに承認してもらうための作業」だと考えると、それはそのままインスタグラムやグループLINEなどで行われている、「暗黙の了解のもとに、当然のごとく『いいね!』が要求され、既読スルーは許されず、互いにそれを遵守することで常に全員を承認し合う」というやり取りと同じ空気感があるように思えました。
それともう一つ。
「グループとして好きなもの、嫌いなものを認定し、それに対して共感を表明するのを忘れない」
という方ですが、これはネタ元のツイートを見た時に、私が初見で思ったことの一つでもあります。
女性の方で、こういう覚えがある方はいらっしゃらないでしょうか。
小中学生くらいのグループ内で、好きなアイドルグループ、ファッション、コスメ、テレビ番組、マンガや小説、等などにおいて、グループ内で声の大きい子たちが、
「◯◯ってサイコーだよね!」
「ねー!今だったら絶対◯◯が一番だよね!」
的なことを言うと、その瞬間からそれを好きだと言わないといけないような呪縛を感じたご経験はありませんか?
グループについていけなくなるということは、現在のヒエラルキーからの脱落を意味するので、それが恐ろしくてつい、自分が好きでも無いものを好きだといい、特段に欲しいというわけでも無いものを手に入れて、周りに合わせることで自分をグループの中に埋没させておこうとする所作は、多かれ少なかれ、体感したことがある方が多いのでは、と存じます。
私は元ツイの、「これで喜ばない女の子はいない」というニュアンスに違和感を感じたのですよね。
その、いわば統一された価値観のようなものは、どういうところから発生するのか、と。
女性しか興味が無いようなハイブランドを欲しがる理由は?と考えれば、ほとんどの場合は、それを所有していることを誇示しなければならない自分以外の女性が、自分の周囲にいることではないでしょうか。
もちろん、全ての、とは申しませんが。
職場、趣味のサークル、母親同士の集まりなどで、「グループ」はどの年代でも存在し、小中学校の頃と同じように、自分の所有するモノをさりげなく見せて、同グループの人間はそれにいち早く気づかなければならず、そして忘れずに「いいね!」ボタンを押すという義務を課せられているのでは、と思ってみたり、です。
ホモソーシャルは、その性において必ずしも統一された価値観ではない
と、ここまで女性の世界のことを勝手に語って参りましたが、最初の方で申し上げた通り、私は女性社会を侮辱するつもりでこんな話をしているのではありません。
というのも、おそらくプレゼント文化に関しても、自分の周りにはあまりそういう文化が無かった、という方、あるいは、
「自分はプレゼント文化に馴染めず、ずっと肩身の狭い思いをしていた」
といった女性も、決して少なくないと思うからです。
実際にネットで声を拾ってみても、そういった話がたくさん見つかります。
また、加えて言うならば、SNSでの承認欲求についても同様に、別に皆さんが好きでやっているわけではなく、グループ内でのやり取りに煩わしさを感じている方が多いのも事実です。
前項までで、こうしたものが「女性のホモソーシャル」の特徴である、という話をしてきたわけですが、当然ながら、多様性などという言葉を使うまでもなく、個人の感覚としてこうした他者からの承認の押し付け合いに疲れてしまう女性もいるわけです。
一方で、男性の場合はどうか、と見てみますと、こちらも当然ながら、男性同士の下世話な会話やコミュニケーション、大昔で言うなら「呑みニケーション」のような、男同士の付き合い的なものに馴染めずに苦労する人や、辟易して自ら抜け出す男性もいらっしゃいます。
つまり、女性においても、男性においても、ですが、
ホモソーシャルは間違いなく存在するが、それぞれの性別の中で統一された価値観ではなく、「女性社会の全て=女性のホモソーシャル」、「男性社会の全て=男性のホモソーシャル」と考えるのは軽率である
ということだと、ここでは結論づけておきます。
今回この記事で、ずっと「男性社会」「女性社会」という言葉をわざと使い続けてきたのですが、実はこの一言が言いたいがため、でしたw。
言い換えると、「男性社会」も「女性社会」も、一枚岩ではない、ということです。
ですので、SNS上でよく見られる「男性はすべからくホモソーシャルの中で生きている」といった論旨はいささか乱暴であり、男性の中にも、そうしたものに馴染めずに苦労している人がおり、大雑把に「男性」という大きな主語で括ってはいけない、ということです。
また、言うまでもないことですが、男性においても、女性のことを「女ってやつは」などという、非常に雑な区分で笑い者にすることは恥ずべきことであり、女性のコミュニティに入れず、あるいはストレスフルな状態のままコミュニティに居続けなければならない人もいるのだ、ということを念頭に置いていただきたく思います。
ホモソーシャルは否定せず、畏敬をもって臨むべし
と、ここまで、自分で読み返してみても、何やらホモソーシャルが悪いもののように書き連ねてきてしまいましたが、それもまた、この話の本意ではないのです。
女性のプレゼント文化がフツーに楽しいという人ももちろんいますし、男性における体育会系なノリも、大勢で一つの仕事を一致団結して行なう時のモチベーションアップには役立つ、ということもあるでしょう。
つまり、ホモソーシャルは、「ソーシャル」の名を持つ通り、それぞれの性社会においては、重要な意味をもって発展してきたものだと思うのです。
よく「性差別」と「性差」をごっちゃにされて、
「性差別を無くすべきだ」
と同じ調子で、
「性差を無くすべきだ」
と仰る方がいますが、個人的には、これには異議を唱えております。
私は「性差別」は無くなる方向で向かうべきではあるが、「性差」を完全に無くすのは不可能であろうと考えています。
「性差」は、個々の性別における個性としての意味合いもあり、そこを起点にして発生する「性差別」は許されざるものだとしても、個性である「性差」は、いわば性別ごとの多様性でもあるではないか、と思うのです。
またそもそも身体的な性差は解消すること自体が不可能ですので、性差を無くせ、となると、この性差は良い、この性差は悪い、などという選別をせざるを得なくなりますが、そんなことはあまりに不毛でしょう。
それを踏まえて、ホモソーシャルは、それぞれの性差において、それぞれが効率よく物事を運ぶために、それぞれの社会を上手く回すために存在してきたのだと思うのです。
でなければ、おそらく男性・女性が、性別という自我を持った頃から今まで、途切れること無く続いてくるとは考えられないから、です。
加えて、私が観測し考察した限りではありますが、おおよそホモソーシャルというものが、お互いの目から見て、
「キモい」
「不可思議」
「謎の文化」
「何やってんだか全く分からない」
だと思えたとしても、実際には、それ以上の影響は別に何もないのでは?と思っています。
ホモソーシャルが「性差」の影響で生まれるものであったとしても、それが「性差別」に直接繋がるのでなければ、見逃しておいてはいかがでしょうか。
もしホモソーシャルに何かしらの問題があり、それを解消する必要があったとしても、それは異性からの指図により行われるのではなく、同性内におけるイノベーションとして行われるべきででしょう。
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理解できないから、という理由だけで攻撃の対象にするなら、相手から同じことをされても文句を言う資格はありません。
もしそういったものを観測した時でも、
「自分には理解できないが、きっと相手には必要なものなのだろう」
と考えてスルー出来ること、それこそが畏敬と呼ばれるものであり、相手への尊重であろう、と思うのです。
男女に限らず、相手と自分は違う。
無理に理解する必要はなく、ただ、否定しないでおけばよい。
たったそれだけのことでも、相手方の意志と文化を尊重するということに繋がるのではないでしょうか。
(了)
~ 最後までご清覧いただき、誠にありがとうございました ~
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