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更年期は、その人の考え方や性格、本性が出る時期

どこの病院に行っても、一向に症状が良くならないのよ

結婚当初に、鹿児島の義理母がわたしに相談をしてきた
カラダがだるくて思うように動かない
何をする気もおきない

わたしにカラダの不調をよく相談してきた

当時68歳の義理母は、3番目の長男の嫁になったわたしを気に入ってくれた
元旦那は当時、46歳のバツ2、鹿児島男児

当時76歳の義理父は、足腰が丈夫でピンピンしていた
健康そのものだ

その義理父は、体調が悪くて辛い想いをしている義理母を見ては、動かないから体調が悪いと勝手に思い込み、散歩がいちばんいいと誰かから聞いてきたのだろう

勝手にペットショップでチワワを購入し、散歩させようとしたのだが、そのチワワがあまりにもブサイクだから、散歩なんかしたくないと言っていたらしい

初めて、鹿児島の実家に行った時、そのチワワはわたしを見て、頭突きしてきたことを今でも忘れない

しかし、義理母の体調の悪さはどこから来ているのか🤔

当時のわたしは若年性更年期障害で治療を続けていた

ともちゃんは、婦人科で治療していて体調がいいのかい?

わたしはこの体調の悪さがいまいちどこからきているのか、全くわからなくて困っているのよね🤔

あちこちいろんな病院をたらい回しにされ、検査をたくさん受け、いろんな薬を出されて飲んでみたものの、一向に良くなるどころか悪化していく一方だ

そんな義理母にわたしがアドバイスをしたのは

もう一度、婦人科で検査をしてみてはいかがでしょうか?

実は、この一言がきっかけで義理母68歳、まだ更年期の症状が続いていたということを知るのだが



▶︎まさか68歳で更年期?


この記事を読んでいる人はきっと

😳は?

と思うかもしれない

だが、これはノンフィクションなのだ

もうとっくに閉経してるわよ😂
だから更年期もとっくに終わってたと思ってね

婦人科での検査の結果

もう年齢的にもホルモンは出てないですしね(更年期前のようなという意味)
気のせいでしょう🤔気のせいなわけがないw

と婦人科医に言われたらしいが、納得しない義理母はわたしに聞いてきた

更年期の症状に似てるって婦人科医に言われたのよ🤔
だけど、年齢的にホルモン補充療法をすれば、子宮がんリスクが上がるから、もう何もしない方がいいですよって言われたのよね

ホルモン補充療法をしなくても、女性ホルモンのバランスを整える方法、なんかない?

と聞いてきた

実際、わたしも婦人科医からなんとか自分の力でホルモンが作られるように働きかけることが大切だと言われた

その時に勧められたのが🤔大塚製薬から販売されている『エクエル』だ

更年期障害と診断をされ、最初に婦人科医から紹介されるのは、大抵この『エクエル』なのだ

この『エクエル』はエクオールを補給できるサプリメントだ😌

エクオールとは大豆に含まれる大豆イソフラボンを腸内細菌が分解し産生することで作られる物質で、女性ホルモンであるエストロゲンとよく似た働きをします。

クラシエ 40代からの若さの秘訣!女性ホルモンをサポートする「エクオール」とは?

エクオールは、腸内でつくられるのだが、日本人の2人に1人しかつくられないそうだ

エクオール検査キット「ソイチェック」というのがあって、自分の腸内でエクオールがつくられるかを調べることもできる

とりあえず3ヶ月間『エクエル』を飲んで症状がやわらぐか試してみましょう😌
と義理母にアドバイスをした

わたしも実際、『エクエル』を試して間もない頃だった

まぁ、症状がすごいよくなったかというと、よくわからないが、飲み続けていくうちに、更年期症状が和らいでいたので、義理母に勧めてみたのだ

ともちゃんが飲んで症状がよくなっているのであれば、わたしも試してみるわ

まずは3ヶ月続けてくださいね😌とお伝えしたのだが…

飽きっぽい義理母はたった1週間で飲み続けるのをやめてしまった

わたしは今すぐこの症状をなんとかしたいのよ

その後、10万もする漢方とか、更年期に良いとされる食材とか、いろいろ試してみたものの、一向に良くなるはずがない

本人はとっくに閉経しているから、更年期だとは思っていない
婦人科医も更年期に似ているが、更年期とは断定できない

どこの病院に行っても『原因不明』と言われるだけ

医療費がかさむだけと、義理母は嘆いていた

義理父は、更年期がどういうものなのかを知らないものだから、具合の悪い義理母を無理矢理車に乗せて、あちこち連れ回すのだ

そのおかげで、義理母は動きたくないカラダを無理矢理動かしている状態のため、疲弊していた

仕舞いには、『もうお父さんと離婚したいのよ』と熟年離婚を言い出す始末😂


▶︎更年期という時期を知らない義理父


笑い話なのだが

昔、高校時代から交際していた彼氏は、都内有数の進学高に通っていたのに、この手の知識はほぼゼロで、女性はいくつになっても『子供が産める』と思っていた😂

20代半ばで、そろそろ結婚しないと…と話をしたら

女はいくつになっても子供が産めるんだから、今結婚する必要はないだろ

…と言われたのだ

30歳になり、そろそろいい加減にしろと思ったのはいうまでもない

ノンバイナリーのわたしは、自分のカラダへのコンプレックスがその当時半端なかったので、子どもを産みたいと思わないと産まないと決めていた

人生でたった一度だけ、子どもを産みたいと思ったことがあったが
彼のその一言が原因で、たった30分でその思いは消えた

今思えば、日本における『性教育』は全くもって意味がない内容だ
結局、肝心なところを教えていない

だから、社会人になって『女はいくつになっても子どもが産める』や『排卵日を過ぎれば避妊しなくてもいい』など、間違った知識のまま女性と関係をもつのだろう

『性病』が蔓延している今、国も対策をと考えて動き出しているが🤔


話は戻るが、義理父は女性の更年期という時期がどういうものかを知らなかった

息子は息子で、(元旦那)家族で過ごしたのは小学校6年生までで、それ以降は叔母の家や寮生活などで、家族の愛を知らずに過ごしてきた

性教育に関しては、母親から何も学んでいない🤔

正直な話、女性の扱いを知らない男だった

わたしのこの更年期の症状に対しても

早く病院に行け‼︎
早く治療してもらえ‼︎

俺にどうしろって⁈病院に行けば治るだろ

この一言がきっかけでわたしは『この人と一緒に人生を歩もう』という気持ちは消え、このまま一緒にいたら『殺される』と考えるようになってしまったのだ

離婚までの3ヶ月間、わたしは『更年期うつ』を発症していたことに気づいたのは、離婚して1ヶ月後、あまりの体調の悪さに婦人科医が『その症状は更年期うつ』と言ってきた

鹿児島の義理母も、義理父にあちこち連れ回され、体調が悪化しわたしと同じことを思ったのだろう🤔

このまま一緒に過ごしていたら、寿命が縮む…と

ほとんどの男性が、『更年期』を理解していない


▶︎数年後、義理母のその後の容体は


何をやっても体調は良くならない
もう諦めたようで、病院での治療もやめた

義理母に容体はどうかと尋ねたら

お母さんね、考え方を変えたのよ
そうしたら、症状がだいぶ良くなったの

お父さんはどうしようもないから、離婚も諦めて一生この人について行こうって決めたのよ

だから、あなたたちもわたしたちのような夫婦になりなさいね😌

と言われたのだ

どうも、全てを諦めて人生を送ると決めたら、更年期の症状がなくなったのだとか

義理の両親は、鹿児島のとある島出身
はっきり言って、常識が通じない

島特有の風習が常識だと思っている

わたしも彼も、義理の両親に振り回され続けていた

特に彼は、父親を憎んでいた
長男だから厳しく育てられたというのはわかるが、そこまで恨むことではないと思うのだ

結婚して、彼の実家や親族、その他もろもろいろんなものが見えてきた

北海道では考えられないことも多々あった

彼との結婚はわたしにとって『覚悟』を決めての結婚だった

余生は島で過ごしたいという彼の願いを叶えるのであれば

もう北海道には帰れない

鹿児島に帰省するたびに、親族から言われ続けた言葉は
『関東の人間は、鹿児島では長くはもたんだろ』

わたしの故郷が北海道というだけで、変なコンプレックスを持たれたこともある

困ったことがあれば、頼れるのは彼だけなのだが🤔
その彼もわたしに対して

『島暮らしは覚悟した方がいい』

恐怖心を植え付けられ、『支配』されていることに気づいてしまったのだ

彼の親族から、わたしという存在を受け入れられていないことを知り、ショックのあまり、わたしは『更年期うつ』という形で、更年期症状が悪化していった

更年期症状も消え、元気になりつつあった義理母も
『夫婦間で何かあっても、相談してこないでね』
『何か問題があっても、ふたりで解決しなさいね』
『わたしたちはあなたに面倒を見てもらおうと思っているから、早く鹿児島に引っ越してきなさい』

問題が起きても、一切協力しないという宣言をされた

そして、極め付けは

『あなたのお母さん、亡くなってからでいいから、わたしたちの面倒をみてもらうの待ってるのよ』

あまりのショックに、言葉が出なかった

更年期症状が消え、元気になった途端
義理母の本性が出た瞬間だった


▶︎更年期はその人の本性が出る


わたしのスクール生から教わったのだが🤔

更年期という時期は、それまでの人生の中で培われてきた考え方や性格、本性が出る時期だという

鹿児島の義理の両親に結婚のご挨拶をしに行った時、初対面のわたしに一番最初話してくれた内容は…

元嫁の今までの出来事全てを聞かされた

だから、あなたのような嫁が来てくれてうれしいわと

会ったこともない、元嫁の悪口を3日間聞かされて思った🤔
わたしももし離婚したら、ボロクソに言われるんだろうなと

結婚生活6年間の中で、それでも義理母はわたしに優しくしてくれた😌
あの言葉がなければ、とは思うが

離婚後、義理母に最後の電話をした

何も聞かされていない義理母は、いつものような明るい声で話してくれた

だが、このままさようならをすべきかどうか悩んだ

離婚1ヶ月前に義理父が倒れ、検査の結果『急性白血病』だった
余命3ヶ月と言われ、義理母はパニック状態の最中の話だ

あれだけ散々、振り回され続け、更年期の症状が悪化し、熟年離婚しようと悩んでいた義理母も、余命3ヶ月と言われれば覚悟を決めていた

その義理母にわたしは言うべきか悩んだが

いずれわかることだと思い、実は…と切り出したのだ

義理母はあまりのショックに、電話の向こうで号泣していた

お父さんが関東にいるあなたたちに会いたいと言っていた
それで息子に電話をしたら、おかしなことを言ってたのよと

今、所持金1万円しかないから、鹿児島には行けない

あなたが一緒だから、何を言っているのかと思ったけれど、そういう理由だったのね

息子は、鬱になってないか?

その言葉で理解した

彼は、この東京に出てきて何度も鬱を発症していたらしい
ただ、今回の場合は『更年期』による鬱だ

ここに出てきている登場人物のうち、更年期ではないのは義理父だけ😂

あとは全員『更年期』
そして、全員が本性丸出しという状況

あれから1年🤔
義理父がその後どうなったのかは、わからない

離婚後、たった1度だけ彼からメールが来たのだが、その内容は

『離婚届出したのはいつだ?』

あのメールを見た瞬間、あぁ、義理父は亡くなったんだなと思った

暑い8月のお盆の日だった

鹿児島男児の元に嫁いだわたしは、鹿児島という文化に受け入れてもらえなかった
いや、もしかしたら🤔わたしが受け入れようとしなかったのかもしれないが

わたしは、故郷の北海道に帰ろうと決めた

お互いまだ関東にいるが、いずれ故郷に帰るのは確実だ

『更年期』とは、人生の分岐点😌
様々な出会いと別れを繰り返し、自分のこれから先の人生を考える大切な時期

その時期起きた出来事は、その後の自分の人生をもっと豊かにしてくれるはずだ

離婚というワードは、どうしてもネガティブな気持ちになると思うが、わたしにとっては人生の分岐点のひとつにしか過ぎないのだ

だからこうしてnoteに綴ることができている

その試練を乗り越えられているから、今こうして次の人生に向かって進んでいる

ただ、それだけのことなのだ




佐方ともみ 
美容業界28年目 エステティシャン
IOB認定オーガニック専門家
食べて痩せるオーガニックダイエットBioeat(ビオエット)®︎協会代表
フェミニンケア×更年期プラクティショナー養成講座主宰兼講師

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