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暮らしの手帳と私

初めて自分の部屋を持ったのは、小学5年生の時だった。

2歳違いの兄が中学校に行くときに、男女一緒の部屋で寝るのはまずい、と親が思ったのかどうかはわからないけど、幼稚園の時に引っ越した家の二階は部屋が二つあり、その時までは兄と「寝る部屋」と「勉強する部屋」を使っていた。

小学生に六畳の一部屋を与えてくれるなんざ、当時はなんとも思っていなかったが、今考えたら、なんて贅沢な暮らしをさせてもらったものかと驚く。

本が大好きな両親が作ったその部屋には、大きな書棚が作りつけてあり、その棚には「少年少女世界文学全集」なるものがずら〜っと並んでいた。

もちろん部屋にはTVはないので、寝る前にはそのワイン色の表紙の分厚い本を箱から取り出して、片っ端から読んでいた。
人魚姫や白雪姫は何度も読んだ。
シンドバットやシンデレラ、小公子小公女、イソップ物語や日本昔話まで。

中でも何度読んでも泣いてしまうのは「幸福の王子」だった。

毎日毎日読んで、読むものがなくなって来たなと思ったら、天井近くの戸袋にひっそりと積み重なっていたのが、母が買っていた「暮らしの手帳」だった。

初めはその中にある「子供に読んで聞かせる話」というページだけを読んでいた。当時から影絵の藤城清治さんが挿絵を描いていて、その美しさに惹かれていた。

そのうちに他のページも読むようになった。
面白かったのは、「商品テスト」のページだった。

当時から暮らしの手帳は広告ページがなかったので、(どうやって出版の費用を賄っているのかよくわからないが)スポンサーがいないから、公平に実名を出して商品のテストができたのだろう。

例えば電気オーブンの性能を調べるのに、食パンを何枚も焼いて焦げ具合を調べたり、畳や絨毯にゴミを撒いて、一回でどの程度綺麗になるかの掃除機の吸引テストをしたり、当時の日本製品のみならず、GEとかのアメリカ製品もテストしていた。
ある時はチョコクッキーの色素についてやっていた。結局どれもいろんな色素が使われていて、「お勧めしない」ような内容だった気がする。

当時中学生の私の頭はすっかり主婦になっていたが、周りにその知識を広げる相手もいなかった。
なのでせめて自分が主婦になる時には、賢く家電を使い、料理もしっかり作って、暮らしを楽しもうと思っていた。

、、が。自分が本当に主婦になった時には、本を読む余裕もなく、一時は七人家族の食事に追われ、毎日バタバタと過ぎていった。

いろんなことがあり、過ぎていった。

そんな中、昼休みにふと立ち寄った書店で「暮らしの手帳」が目に止まった。

50年も昔に読んだ表紙とほぼ同じなのは、使われている文字が同じだからだろう。ああ、このフォント好きだわ。と思う。
編集の花森安治さんと大橋鎭子さんの想いがずっとここに残っている気がする。

静かに暮らす今ならゆっくり読めるかな?と手にとった。
家で開くと「アイロンがけの仕方」が載っていた。
袖口からかけるその方法は、私が中学生の頃に読んだ記事とほぼ同じだった。
あれ以来、「洗濯屋さんのように美しくシャツにアイロンをかけられる私」は自分の中だけの自慢だった。

料理の記事もどれも美味しそうだし、
丁寧な暮らしをするための工夫が相変わらずたくさん書いてあって、とても楽しめる本だった。

確か当時「戦争の暮らしの記録」も読んだ。
「戦後」と言っても終戦から十数年しか経っていない時に生まれた私には、ずいぶん遠い時代のように感じていた。

巻末についていたハガキを出して、1年間購読をすることにした。

そしたら小さな封筒が送られてきて、中に可愛いイラストのついた暮らしの手帳社との共同開発したフキンが入っていた。

私のノスタルジーがマックスになった瞬間だった。

小学生から読んでいた本に半世紀後にまた出会い、今度こそはゆったりと素敵な暮らしができるといいなあ、と思う。

社会情勢がどんなでも、景気がどんなでも、戦争を生き延びた人たちがいた日本で、お風呂に入り、ご飯を食べて、ゆっくり眠れる毎日をただ感謝して生きていこうと思う今日この頃な私です。

皆様も、どうぞごゆっくり。一人の時間を楽しんでくださいね。

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