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「感じないこと」は「感じること」と同じく尊い

「感じないこと」も学びになる


「動き」のメタ認知は、快適なポジションに身をおき、自分の「動き」のプロセスを観察していく旅路です。フェルデンクライスメソッドのAwareness Through Movmentのコンセプトが元になっています。
その旅路の後で、それぞれの体験を共有する時間は興味深いです。
みなさんいろいろな感覚を共有してくれます。

「目を足の方に向けた時、顎を食いしばっているのがわかった」
「背骨がクネクネして、最後に歩いたら海藻のようにフワッとしている感じ」
「部屋の天井が近くなって、部屋に置いてある植物の葉脈がこんなにもくっきり見えてびっくり」
「鼻がすーっと通って、腰から伸びて動いているのがわかる」

などなど、豊かな身体感覚を表現してくれます。会話を続けていると、ある参加者の言葉がインスピレーションを呼び、「そういえば、確かに私も……」と気づきを広げ、それぞれの学びが促進していく助けになっています。
なので、オノマトペでいいので、身体感覚を言葉にしてみるをおすすめしたいです。

https://note.com/feldenkrais/n/nb8312d27b117

一方、「そこまで感じなかった」と打ち明けてくださる方もいらっしゃいます。先日は、「なんでみなさん、あんなに豊かに感じるんだろう」と打ち明けてくださいました。
身体感覚は、実体が乏しく複雑であり表現しずらいものです。
それぞれの社会的な背景は違うし、自分のコンディションも日によって違うでしょう。
ですから「感じられない」時もあることは自然なことです。

しかし、感じないことは「学び」になっていないのでしょうか?


「動き」をメタ認知をする上で、一番大事なのは、自分が何やっているかがわかっていることです。
なので、「感じないこと」がわかっているということを把握していることは、自分の状態をメタ認知できているということであり、それは大切な気づきです。
なので、「感じないこと」は「感じること」と同じく尊いことだと思います。

「感じない」時の注意点


学びにつなげるにあたって、「感じない」時に注意すべきことが2つあります。
①「感じること」に対し劣っていると感じてしまうこと
例えば、他者の表現に過剰に反応し、それを基準に捉え自分の「感じない」感覚を抑圧してしまうことです。自身の感覚に正直になることが大切です。

②強迫的に感じようとしてしまうこと
ある瞬間の変化を強迫的には感じようとすると、かえって緊張を生んでしまうことがあります。その時は緊張していることに気づくか、感じようとするのを手放すことが学びにつながっていくと思います。

以下にまとめます。



ある瞬間の変化を強制的に感じようとすると、かえって緊張を生んでしまうことがあります。
その時は、自分が緊張していることに気づいたり、無理に感じようとするのを手放すことが学びにつながっていくと思います。繰り返しになりますが、自分を観察して、「感じない」ということがわかっているのであれば、「感じること」と同様に学びは進んでいます。
このレッスンの特徴は、声かけの誘導で行われ、お手本がないことです。
モーシェ・フェルデンクライスは、見本を示し、その正解に引っ張られることで参加者の学びのプロセスを妨げることに気づいていたのでしょう。特に「動き」をまねる際には、自身のプロセスに耳を傾けないと、今までの癖の動きや固定的なパターンを使ってしまう傾向があります。
フェルデンクライスはいくつか著書を残していますが、図や写真がほぼありません。参加者が自分で判断し、自由に選択していくことで、能力を高めていくことができます。


でも気をつけなくてはいけない反応があります。

わからない


「わからない」とき、特に混乱しながら無理やりレッスンに入っていくことは自分を痛める可能性があります。
しかし、「わからない」ことがわかっている状態であれば「気づき」や「学び」に変えていくことができます。
その際、参加者は質問する勇気をもつことが重要です。このようにすることで、参加者や教師(プラクティショナー)にとっても「学び」に変換していくことができます。
その際、教師は質問しやすい雰囲気をつくることが大切になります。
また、参加者の「わからない」状態をキャッチできる能力が求められます。 レッスンをリアルな会場で行う場合は、参加者が無理な動きをしているか、混乱しているかどうかが姿勢反応として現れます。
その場合、教師は枕のサポートを提案することができます。
オンラインでも、身体の一部が見えていると、無理な動きをしていないかどうかを調べることができ、教師はレッスンを臨機応変に組み立てていくことができます。なので、オンラインでも身体の一部だけでもカメラオンにして共有することをお勧めします。

つまらない

この状態はよくありません。
その日の体調や教師との相性のことも影響しているかもしれません。
「つまらない」と感じたら、参加者はその場から立ち去る勇気を持つことをお勧めします。
教師側は自分自身を振り返る必要があります。
伝え方が恩着せがましくなっている可能性があります。
また、教師側にとって当たり前すぎるので、そのことを噛み砕いて伝えるのが難しいことも理由に挙げられるでしょう。
優れたパフォーマーが優れた教師になれると言われればそうではありせん。これは野球やサッカー、体操、ダンスなどだけでなく、日常の「動き」にも当てはまります。
例えば、子どもにペンの持ち方、字の書き方、自転車の乗り方、縄跳びの飛び方などを教える際にどのように伝えればよいでしょうか?
大人にとっては暗黙知であり、数量化や言語化が難しいため、アイデアを提案することがなかなか困難です。
教師には、自身の暗黙知である感覚世界に踏み込む勇気、その世界をメタ認知していく能力、そして参加者の様子を観察する力が問われると思います。


最後に


「感じる」、「感じていない」、「わからない」、「つまらない」状態を表にまとめてみました。
参加者-教師関係だけでなく、部下-上司、患者-治療者など、あらゆる場で適用できそうな気がします。さらにアイデアや思索を深めていきたいと思います。


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