神谷和宏

批評家・北海道大学国際広報メディア観光学院博士後期課程・教師/著書『ウルトラマン「正義…

神谷和宏

批評家・北海道大学国際広報メディア観光学院博士後期課程・教師/著書『ウルトラマン「正義の哲学」』『ウルトラマンは現代日本を救えるか』(共に朝日新聞出版)『3分あれば世界は変わる ウルトラマンが教えてくれること』(内外出版社)等/関心事はポップカルチャー特に特撮・社会学・教育・文学

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  • 特撮会議―研究と批評―

    『ウルトラマン「正義の哲学」』や『ウルトラマンは現代日本を救えるか』の著者による特撮研究/批評。  特撮コンテンツの表象する社会について読み解くのみならず、特撮コンテンツ自体の文化的特質について論じる。

最近の記事

映画『シン・ウルトラマン』雑感

1 『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』、『ウルトラマン』と『シン・ウルトラマン』  『シン・ウルトラマン』冒頭は、『シン・ゴジラ』のタイトルを打ち破って『シン・ウルトラマン』と銘打たれるところから始まるが、『シン・ウルトラマン』は『シンゴジラ』的な作品ではない。  『シンゴジラ』は、1954年の『ゴジラ』が存在しなかった前提で物語が始まりつつ、『ゴジラ』という怪獣映画の”祖”をリブートして見せるものであった。だから、設定上の連続性などは全くないながらも、『ゴジラ』が「戦争」「核開

    • 〈風景〉としての建築物

      ―そのコンテクストとコントラスト―  先日、近隣の市街にある公園へ行ってきた。  写真のような抽象物や、その他の作りからも軽く30年以上は昔に作られた公園なのだろうなと直感的に感じた。  僕たちは古い建築物や街並み、風景に時代錯誤を感じる。東京タワーが今もなお魅力的であるのは、それが時代の最先端を象徴するからではもちろんない。新たな事物、事象に溢れる東京の風景の中で、今日となってはレトロな佇まいが、新旧のコントラストを生み出すからだ。  だが、東京タワーはかつて、時代

      • 『ウルトラマンは現代日本を救えるか』未収録原稿―『ウルトラマンレオ』終盤に見る「公」と「男性性」の退潮―

         『ウルトラマンは現代日本を救えるか』は、1960年代から2000年代までを10年区切りとし、その年代の作品が表象する社会について論じたものだ。1970年代の未収録の内容について、当初のプロットをもとに書き下ろしていきたい。  『ウルトラマンレオ』の終盤、第4クール(第40話以降)は4年で4作品続いた第2期『ウルトラマン』シリーズの最終局面でもあった。シリーズとしては初となる、人間の姿をした(実際は宇宙人)悪の司令官であるブラック指令の号令の下、円盤生物が地球を襲来する。最

        • 『ウルトラマン「正義の哲学」』未収録原稿―機械と人間のボーダレスの果てに―

           『ウルトラマン「正義の哲学」』(元版は『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』)の未収録原稿がある。『ウルトラセブン』「第四惑星の悪夢」に関するトピックスだ。単行本、文庫本に掲載とはならなかったのだが、その時のプロットをもとに書き下ろしていきたいと思う。  「第四惑星の悪夢」には怪獣も宇宙人も出現しない。出るのは第四惑星と呼ばれる星(見た目は地球と何一つ変わらない)を支配するロボットだ。といっても、このロボットは人間と見た目は何一つ変わらない。このころ『ウルトラセブン』はコ

        映画『シン・ウルトラマン』雑感

        • 〈風景〉としての建築物

        • 『ウルトラマンは現代日本を救えるか』未収録原稿―『ウルトラマンレオ』終盤に見る「公」と「男性性」の退潮―

        • 『ウルトラマン「正義の哲学」』未収録原稿―機械と人間のボーダレスの果てに―

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        • 特撮会議―研究と批評―
          7本

        記事

          2020年という一年

           2020年の到来を歓迎していた去年の今頃。  社会学では1945年以降、およそ25年ごとに社会は大きく変動するという考え方がある。1970年、1995年の前後は確かに、日本社会にとって変革期であっただろう。僕が実感しているのは95年だが、確かにこの頃、日本はバブル期の好況、上げ潮への回帰を静かにあきらめ、ダウンサイジングを受け入れていったように思う。  25周年周期説はただ、親世代から子世代への世代交代が晩婚化、非婚化によって遅くなった今日に有効であるかはわからない。それで

          2020年という一年

          2020年、パラダイムシフトの行方―新型コロナ以後の世界―

           敗戦の1945年以後、25年ごとに社会は大きな変化の局面を迎えており、1970年、1995年を時代の節目と捉える。社会学的にはそのような考え方がある。それに従えば、2020年、今年は25年ぶりの変化の年ということになる。もっとも、第一子の平均出生年齢が30歳を超えている現在、25年周期はもう少し長くなるかもしれなとも言われているが、それでも本来なら二度目の東京五輪が開催されるなど、今年2020年は新たな時代の幕開けになるのでは、という思いはあった。2045年のシンギュラリテ

          2020年、パラダイムシフトの行方―新型コロナ以後の世界―

          上原正三先生の思い出②子どもに向けたまなざし

           『できるかな』(NHK)で、のっぽさんを演じた高見映さんは、とっくに番組を卒業した昔の”子ども”たちが、今もあの頃のまま、放送しているはずと思うだけで安心するような番組が『できるかな』であったというようなことを、番組終了後に書かれた『のっぽさんがしゃべった日』で書いていたように記憶する。  私たちは少年少女ではなくなっても、少年少女だった日の風景にはいまだあり続けてほしいという気持ちがあるということだ。自分も変わる。周囲も変わる。世界も変わる。でも、幼かった日の風景には変

          上原正三先生の思い出②子どもに向けたまなざし

          上原正三先生の思い出

           今日は夕焼けが綺麗だった。  2歳の娘が「真っ赤な夕焼け!」と言ったのを聞いていた人が「詩人さんみたいだね」と言ってくれた。  昔の人の考え方の一つに、西に浄土があるというものがある。浄土は日が沈む方向にあると考えたのだろう。  特撮の脚本を多く手掛けられた上原正三先生が浄土へと旅立たれた。  初めてお会いしたのは15年ほど前になる。中央林間駅の改札前で待ち合わせていると、思っていた以上に大柄な上原先生が笑顔でいらっしゃった。  多分、最初にお会いした時間は2時間

          上原正三先生の思い出

          幽霊的身体としての怪獣の表象性

          1 幽霊とは何か―幽霊と怪獣『ゲンロン5 幽霊的身体』は、幽霊論と演劇論を特集したものである。「幽霊と演劇」という組み合わせは必ずしもすぐに浮かび上がるものではなく、これを組み合わせると怪談や能楽のようなものがイメージされるかも知れない。  しかし、本書で言われるのはそういう狭い意味ではない。表象(つまり”representation”)というものが、元来、目に見えない抽象的な観念を象る意であるように、不可視であるものを束の間、可視化してみせるような(つまり、非現前のものを

          幽霊的身体としての怪獣の表象性

          【書評】『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』

          『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。  本書内で述べられているように、アニメやゲーム等のポップカルチャーが語られること自体、何も珍しくない時代にあって、特撮は等閑視され続けてきた。  それでも『ゴジラ』論は、特に『シン・ゴジラ』(2016年)前後において、繁く語られてきたが、『ウルトラマン』論はそう多く語られてはいない。  主要な書籍を、思いつく限り上げてみる。  切通理作氏の『怪獣使いと少年』はその中でも、エポックメーキングであったし、他にも原田実氏の『ウルトラマン

          【書評】『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』

          Netflix『ULTRAMAN』論―自らもポストモダン化する”等身大”の、そしてシンクロニシティのウルトラマン―

          1 昭和『ウルトラマン』世界のn次創作的な再構成 Netflixで公開されている『ULTRAMAN』を見た。原作となるマンガ作品の存在は知っていたがそちらは未読である。  『ULTRAMAN』は、昭和『ウルトラマン』シリーズのn次創作的な再構成による作品である。n次創作的という点では『ウルトラマンメビウス』もそうであったが、「再構成」しているという点に本作の特徴がある。  簡潔にその世界観を示せば、ウルトラマンがゼットンに敗れ、ウルトラマンとハヤタが分離した瞬間、つまり『ウル

          Netflix『ULTRAMAN』論―自らもポストモダン化する”等身大”の、そしてシンクロニシティのウルトラマン―