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特撮会議―研究と批評―

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『ウルトラマン「正義の哲学」』や『ウルトラマンは現代日本を救えるか』の著者による特撮研究/批評。  特撮コンテンツの表象する社会について読み解くのみならず、特撮コンテンツ自体の文…
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記事一覧

映画『シン・ウルトラマン』雑感

1 『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』、『ウルトラマン』と『シン・ウルトラマン』

 『シン・ウルトラマン』冒頭は、『シン・ゴジラ』のタイトルを打ち破って『シン・ウルトラマン』と銘打たれるところから始まるが、『シン・ウルトラマン』は『シンゴジラ』的な作品ではない。
 『シンゴジラ』は、1954年の『ゴジラ』が存在しなかった前提で物語が始まりつつ、『ゴジラ』という怪獣映画の”祖”をリブートして見せるもので

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『ウルトラマンは現代日本を救えるか』未収録原稿―『ウルトラマンレオ』終盤に見る「公」と「男性性」の退潮―

『ウルトラマンは現代日本を救えるか』未収録原稿―『ウルトラマンレオ』終盤に見る「公」と「男性性」の退潮―

 『ウルトラマンは現代日本を救えるか』は、1960年代から2000年代までを10年区切りとし、その年代の作品が表象する社会について論じたものだ。1970年代の未収録の内容について、当初のプロットをもとに書き下ろしていきたい。

 『ウルトラマンレオ』の終盤、第4クール(第40話以降)は4年で4作品続いた第2期『ウルトラマン』シリーズの最終局面でもあった。シリーズとしては初となる、人間の姿をした(実

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『ウルトラマン「正義の哲学」』未収録原稿―機械と人間のボーダレスの果てに―

『ウルトラマン「正義の哲学」』未収録原稿―機械と人間のボーダレスの果てに―

 『ウルトラマン「正義の哲学」』(元版は『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』)の未収録原稿がある。『ウルトラセブン』「第四惑星の悪夢」に関するトピックスだ。単行本、文庫本に掲載とはならなかったのだが、その時のプロットをもとに書き下ろしていきたいと思う。

 「第四惑星の悪夢」には怪獣も宇宙人も出現しない。出るのは第四惑星と呼ばれる星(見た目は地球と何一つ変わらない)を支配するロボットだ。といって

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上原正三先生の思い出

上原正三先生の思い出

 今日は夕焼けが綺麗だった。

 2歳の娘が「真っ赤な夕焼け!」と言ったのを聞いていた人が「詩人さんみたいだね」と言ってくれた。

 昔の人の考え方の一つに、西に浄土があるというものがある。浄土は日が沈む方向にあると考えたのだろう。

 特撮の脚本を多く手掛けられた上原正三先生が浄土へと旅立たれた。

 初めてお会いしたのは15年ほど前になる。中央林間駅の改札前で待ち合わせていると、思っていた以上

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Netflix『ULTRAMAN』論―自らもポストモダン化する”等身大”の、そしてシンクロニシティのウルトラマン―

1 昭和『ウルトラマン』世界のn次創作的な再構成 Netflixで公開されている『ULTRAMAN』を見た。原作となるマンガ作品の存在は知っていたがそちらは未読である。
 『ULTRAMAN』は、昭和『ウルトラマン』シリーズのn次創作的な再構成による作品である。n次創作的という点では『ウルトラマンメビウス』もそうであったが、「再構成」しているという点に本作の特徴がある。
 簡潔にその世界観を示せば

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幽霊的身体としての怪獣の表象性

1 幽霊とは何か―幽霊と怪獣『ゲンロン5 幽霊的身体』は、幽霊論と演劇論を特集したものである。「幽霊と演劇」という組み合わせは必ずしもすぐに浮かび上がるものではなく、これを組み合わせると怪談や能楽のようなものがイメージされるかも知れない。

 しかし、本書で言われるのはそういう狭い意味ではない。表象(つまり”representation”)というものが、元来、目に見えない抽象的な観念を象る意である

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【書評】『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』

『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。
 本書内で述べられているように、アニメやゲーム等のポップカルチャーが語られること自体、何も珍しくない時代にあって、特撮は等閑視され続けてきた。
 それでも『ゴジラ』論は、特に『シン・ゴジラ』(2016年)前後において、繁く語られてきたが、『ウルトラマン』論はそう多く語られてはいない。
 主要な書籍を、思いつく限り上げてみる。
 切通理作氏の『怪獣使いと

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