ビジネスは金か。社会は誰か。


ローソンのパッケージが可愛くなった。友達は早速パケ買いをしてインスタに載せていた。

パッケージを見た瞬間に「あ、荒れそう。」そう思った。なぜなら可愛さを重視しすぎて視認性が低いからである。ユニバーサルデザインには程遠い。実際に目の悪い人からは、以前のパッケージの方が良かったとの声も上がった。


しかしその批判とは裏腹に、売り上げは伸びたそうだ。ターゲットとしている一人暮らし層や女性にハマったのだろう。


この社会はビジネスで成り立っている。良いことばかりしようとしたら赤字になるのも当たり前だ。企業たるもの利益を生み出さねばならない。でないと存続さえ危ぶまれる。そんな前提を頭で理解しながらも、弱者がビジネスのターゲットからはずれることは、多様性を認めていく上ではなかなか壁になる気がする。

だが弱者はマイノリティが故に弱者なのである。そこをターゲットに経営を展開していくことは、社会的イメージの向上にしかならないかもしれない。実利を伴わないというわけだ。


私も一般企業で働く身として、日々クライアントの予算の有る無しを気にしている。実際個人的に応援したい企業や団体、取り組みがあったとしても、上司に「それはお金にならない」と突き返されることも多々ある。とても悲しい現実である。

だけど企業の社会的イメージが良くなれば消費者だって商品に対して好意的な印象を持つ。そのためにサスティナビリティやダイバーシティに取り組んでいる企業も少なくはない。ただ、大手のようなしっかりとした土台がある企業に限られる。

シンプルなものをかっこいいと思えるのは、私がそこに不自由さを感じない健常者であるが故だ。そして大多数が私と同じであるということでもある。


恥ずかしながら、最近になって「色盲」という言葉を知った。友人がそうだったのだ。焼肉に行って、生なのか焼けているのかが分からないらしい。

帰ってみて調べてみると、私が知っている世界とは全く違う世界がそこにはあった。おいしそうなものは不味く見えるし、綺麗なものが汚く見える。男性の20人に1人のレベルでそのように生きてきた人がいることに驚きを隠せなかった。

「色覚異常」や「色弱」など細かく分けるといろいろなタイプに分かれるようだが、25年間私が見ていた景色を、この人は全く違うように見ていたんだと思うと正直震えた。

写真にとってもその美しさや綺麗さは伝わらない。検査や治療、特注の眼鏡などはなかなかお金がかかるとのこと。彼にとっては当たり前の不自由さかもしれないが、私には到底想像もつかなかった。


ここ最近じわじわと、性的少数者や障がい者に対しての偏見が薄れてきたように思う。社会のために何かを創り出す企業であれば、その社会にそういったマイノリティが思っている以上に存在しているということを認知すべきだと感じる。

重要なのは、確かに利益。だけど自分にとっての当たり前が他人にとっての当たり前ではないという驚愕の事実をしっかりと認識して、それも酌んだ上でデザインに落とし込むのがこれからの時代の担い手なのではないかと思う。


批判ではないが、伸びしろを感じるビジネスの領域だ。


mito

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