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だいじな人

わたしは小さい頃からマセガキだった。 いつも同年代の友だちより、母親や親の友だち、 先生に囲まれている方が安心できた。 中学生の時、一人の”先生”を一人の”人”として見ていた。 当時の私はそれを”好き”と勘違いしていた。 今考えると、憧れであり、尊敬であり、心配であり。 自分の実の父は子育てにほぼ無関与だったので 親世代の男性が子どものことを楽しそうに話す人を 見るだけで、尊く感じる。好きだと思ってしまう。 どこかで父親の愛情に飢えていたんだと思う。 当時

    • やわらかく「信じること」にふれる

      以下のお話はすべて個人的な考えですので悪しからず。 私はよく買い物に行く時、出かける時、考えを巡らせている。 自分のことや、人のこと。 それぞれの人間の根源となっている思いとか原動力とか価値観に 辿り着きたくなってしまう。 考えを巡らせているうちに、着地しがちなのが 「母」「環境」「宗教」とかかな。 そしてここ1〜2年、漠然と宗教について気になっている。 学生時代にはたくさん宗教に関する事柄を勉強「させられた」。 あの頃はもう本当、字の通り、丸暗記。神様も仏

      • 後半戦

        案の定更新をサボってしまった。本当に何事も続かない。 でも広く浅く色々手を出してる方が、最終強かったりして?と 信じている。ほらね、と思えたことはまだないが。 そんなこんなで1年の半分が終わってしまった。 中身はあったのだろうか。 毎日同じニュース、同じムード。 今年の流行語大賞などノミネートすらいらんだろう。 今年の漢字だけは何か救いの意味がこもった字にしてほしいな。 そうは言っても、どんよりムードになっている場合でもないし、 じぶんは、休養タイムに休養で

        • チャージのとき。

          この数ヶ月、世界で流行するウイルスとは関係なく休養している。 活力の使い道を見失い、活力の出どころも分からなくなった。 思えば最愛の母を失った3年半前からずっと、深い海の中にいるような感覚。 底に限りなく近いはずなのに、まだ底に到達せず、足が地につかずふわふわ。 光ももちろん見えない。自分が何者であるかが分からなくなるような気持ち。 それに気が付かないフリをしてなんとか足掻いてきたが、 一体これを何年続けるつもり?と自問自答。 一度底を探すのも、空を探すのもやめ

        だいじな人

          ジンジャーシロップ

          暑い。とにかく暑い。サーキュレーター様様。 私の住むところは、数日前のジメジメぇぇ〜が 落ち着き気味だったので、暑さ慣らしの日にした。 薄着だけど、スリッパ履いて足は冷やさず、 冷房はサーキュレーターの微風のみ。 1回これやっとくと、夏に体が順応した感じがして 体調良くなるような。。 そもそもクーラーとか、扇風機の強風とか ザ・人工の風!みたいなのが苦手。 (話は脱線するが、オフィスの蛍光灯ビカーン!みたいなのは  もっと苦手。LEDのせいなのか?とにかく

          ジンジャーシロップ

          母へ  〜ガトーミエル編〜

          子どもの頃からお菓子を作ることが好きだった。 バレンタインデーに好きな男の子へチョコを渡すべく 生チョコを作ったところ、選んだレシピが良かったのか 自分が作った、ということも加味されたのか 衝撃的に美味しかったことを覚えている。 はじめて で成功体験を得られたことによる 好き と、 材料たちが完成に向かって姿を変えていく様子を 眺めることに喜びを感じる 好き が相まって 飽き性の私が唯一続けられる行為なのでは、と最近気付きはじめる。 最近は自分の時間が増えた

          母へ  〜ガトーミエル編〜

          こっそりはじめてみた。

          一週間ほど前に、SNSで少し長めの文章を書いたところ、 友人から、ブログはじめてよ。とコメントをもらう。 前から文章を書くことは好きだったけど、機会もなく。 でもあれからずっと友人の一言が私の頭の中でぐるぐる。 今に至ります。 私は好きなこと・ものを表現していこうと思います。 私の好きなこと・ものとは、主に、 季節、匂い、美味しい、、かな。 もちろんジャンル違いな日も多々あるでしょう・・・ でも自分の記録として。 あの時こんな風に感じていたんだな。とか

          こっそりはじめてみた。