だいじな人

わたしは小さい頃からマセガキだった。

いつも同年代の友だちより、母親や親の友だち、

先生に囲まれている方が安心できた。

中学生の時、一人の”先生”を一人の”人”として見ていた。

当時の私はそれを”好き”と勘違いしていた。

今考えると、憧れであり、尊敬であり、心配であり。

自分の実の父は子育てにほぼ無関与だったので

親世代の男性が子どものことを楽しそうに話す人を

見るだけで、尊く感じる。好きだと思ってしまう。

どこかで父親の愛情に飢えていたんだと思う。

当時、大変な事情を抱えておられ、

顔つきも暗く、痩せていく先生を見ていられなかった私は、

30も歳の離れた人へ、何かできることがあれば言ってほしいと手紙を書いた。

笑える。何もできるわけがない。

学校内が平穏であることがその人にとって

一番省エネになるのに、むしろ迷惑だったかもしれない。

でもその先生は、いつも丁寧に接してくれた。

おかげで私は、人をだいじに思う気持ちとか

人を観察する力とか、大切なことを学ばせてもらえた。

世間的にはまずい話だが、私はすごく良い経験を

させてもらえたなと大事に思っている。


ありがたいことに今も年賀状のやりとりや

数年に一度電話やメールをさせてもらっている。

成人式のパーティーに来ていただいたが、

私は幹事役でほとんど話す時間がなく残念な思いをした。

それが最後。もう7年近くが経とうとしている。

久しぶりに思い出し、連絡してみたら

次帰省してきたら飲みにいきましょうと誘ってくれた。

ほんとーーーーーーにありがたい。それに尽きる。

離別した大好きな父親に会えるような気持ち。

話したいことがたくさんある。

聞きたいこともたくさんある。

きっと結婚が決まったことも喜んでくれるはず。


久しぶりに未来に楽しみができた。

なんの取り留めもない話だが、最近の嬉しかったことでした。


アツコ

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